イチャラブとは何か。
進七郎の問いかけに答えるものはいなかった。反響した自身の声が消えていくと、後に残ったのは静寂だけ。壇上の下に並んでいる生徒も教師も、誰もが口をぽかんと開けたまま固まっている光景が広がっていた。
「俺はもちろんしたいですッッッ‼ 俺は大好きな円佳様と思う存分イチャラブえっちをしたいッッッ‼ したくてたまらないッッッ‼」
進七郎はそこに更なる追撃を加え、体育館内に氷河時代を訪れさせていた。進七郎自身はこの上なく熱のこもった声で叫んではいるが、壇上の下との温度差には一切気づかないままに続ける。
「この胸の内で燃える円佳様への想いッッッ、これを好きだと言わずして何と呼ぶのかッッッ‼ 今すぐにでも後ろにいらっしゃる円佳様を抱き締めたいッッッ、円佳様の温もりや匂いや息遣いや鼓動を余すことなく感じたいッッッ!!」
野球で例えるならば火の玉ドストレートでストライクゾーンド真ん中な球速100マイルの剛速球。大胆過ぎるという枠をあまりにも超えまくった進七郎の言葉の数々は放たれれば放たれるほど場を凍り付かせていき、円佳の顔が火を噴きそうになるほど真っ赤に染め上げていくのだった。
「だが──それはイチャラブなどでは断じてない」
しかし、ここで不意打ちとも呼ぶべき落ち着いた進七郎の声が空間を駆け抜ける。
「グレートマーベラススタンダード部の創部が決まり、円佳様と一緒に活動させて頂くことが叶った時に俺は考えたのです。”イチャラブにおいて必要なことは何なのか”と」
勢いと熱量が凄まじかった燃え上る炎のような話し方の先ほどとは打って変わった、静かにしとしとと降り注ぐ雨のような落ち着き払った話し方の進七郎。緩急とギャップの効いたそれに、意識を失いかけていた皆は聞き入っていた。
「最初に俺はこう考えました。イチャラブとは文字通りイチャイチャしてラブラブすること、つまり四六時中も好きと言って手を繋いだり抱き締めたりキスをしたりとか、そうすることがイチャラブなのだと。ですがそうではないということに最近……というかつい昨日に気がついたのです」
そう言うと、進七郎は後ろに振り向き円佳を見つめる。「円佳様のお陰で気づかせて頂けたのです」と付け加えると正面に向き直ったが、とうの円佳はキョトンとしていた。
「イチャラブとは何なのか、俺は今明確にこう定義しています。それは……''大切な人のことを第一に考えて行動する''ということです」
進七郎はさも真理にたどり着いたかのような面構えではあったが、聞いている側からすれば大したことのようには聞こえなかった。むしろ、拍子抜けするほど基本的なことでもあった、
「確かにこれは当然のことかもしれません。ですが俺はまだまだ青臭くて、そんな当然のことも出来ていませんでした。……ただ、円佳様が守ってくださったことで、ようやくその事が意識出来るようになったのです」
皆はまだ疑問符を浮かべていたが、ただ一人──円佳だけは、ハッとした様な顔をしていた。
「俺はこれまで、自分に出来ることで円佳様のお役に立とうとしていました。だからこそ、自分が出来ないことで円佳様のお役に立とうとするという発想が抜け落ちていたんです。もしもの話ですが円佳様の為に行動するとして、それに自分が出来ないことが関わってしまったら……諦める他にないですよね」
話が進む内に、徐々に生徒達も納得の表情を見せ始めていく。
大切な人のことを第一に考えて行動する、それは確かに基本である。しかし、人間というものはどうしても己の能力と可能性をまずこうりょし、その結果絞られた選択肢の中からなるべく相手の為になるものを選び取っているに過ぎない。
となるとその選択や行動は、相手のことを第一に考えていると呼べるのだろうか。そんな疑念が進七郎の話を聞いた全員の中に生まれていた。
「ですが、円佳様は違っていました。円佳様は自分が出来る出来ないという壁を超えて、震えて泣いてでも俺のことを守ってくれたのです。己の身を顧みず危険が迫っても、俺の事を……ッ!!」
先日の千頭に取り憑いていた超絶クソ迷惑魔霊との戦いを思い出し、拳を握り締める進七郎。
戦うなんて自分に出来ないことであろうと分かっていた円佳がそれでも身を呈して守ってくれなければ、気弱で泣き虫だった自分を変えるという決意を持って円佳が己の運命に立ち向かわなければ、今頃自分はここにはいない。
(確かにあの後、超絶クソ迷惑魔霊を倒すことが俺は出来た。だがそれは、あくまでも俺は出来ることをやっただけ。自分が出来ないことにも立ち向かった訳ではないッ……!!)
円佳をどんな時も支え、守ることを誓った昨日。その言葉を胸に刻みつけ、進七郎は叫ぶ。
「だからこそ俺はッッッ改めて誓うッッッ!! 円佳様に降り掛かるどのような困難も打ち倒しッッッ円佳様を守ることをッッッ!! 自分にとって不可能なことがあろうと決して諦めずに乗り越えていくことをッッッ!! そして証明してみせるッッッ!! 円佳様が好きだという想いをッッッ!!!!! これこそが俺の考えるイチャラブですッッッ!!!!!」
進七郎の今日一番の叫びが体育館内に響き渡り、何度も反響してようやく消えていった。
場内は恐ろしいほどの静寂に包まれ、進七郎もまた口を真一文字に結び真剣な表情のまま佇んでいた。
だが、次の瞬間には万雷の拍手と溢れんばかりの歓声を進七郎は浴びていた。
「うおぉぉおおぉおおぉおおおおおっっっ!! 感動したぁあぁああぁあああああっっっ!!」
「流石は常識の外にいる男っ、いや漢ぉぉおおぉおおおおぉおおっ!! あんたの言葉っしかと俺の胸に響いたぜぇぇええぇえぇええええぇええっ!!」
「なんという素敵な殿方ですのっ……円佳様がいらっしゃらなかったら私があなたに唇を奪われてみたかったですわ進七郎様っ……!」
「マジかっこ良すぎてバイブス天上天下唯我独尊って感じはぁーパナいわマジ尊み秀吉太閤殿下ウェ~~~~イ!!」
生徒達が各々の賛同や賛辞を送る中、進七郎は表情を一切崩さずに目の前の拍手喝采を見続けていた。
「……お疲れ様ですわ、進七郎さん」
が、その声にはハッとした表情となると進七郎は三度後ろに振り向く。
こちらに向けられる微笑みは少し困ったような、それでも優しさに満ち溢れた顔をしている円佳がそこにいた。
「労いのお言葉を掛けて下さりありがとうございます、円佳様」
「しかしながら、この全校集会の直前になって自分も話がしたいとあなたが仰った時にはどうしたのかと思いましたが、まさかイチャラブについて話したかっただなんて……」
「も、申し訳ございません! 俺の無茶な頼みを聞き届けて下さったのに、あのような内容でッッッ──」
「あのような内容? そんなことありませんわ。素敵なお話でしたわよ」
円佳が唇に指を置いたことで、半ば強制的に叫ぶのを止められてしまった進七郎。流石にこの状態で叫ぶ訳にはいかなかった進七郎は、気持ちを落ち着かせると円佳の手を取りゆっくりと跪いた。
「……申し訳ございません。皆様に叫んだ、皆様に誓ったはずの言葉を”あのような内容”と自ら否定してしまうようなことを言ってしまって。もう二度と、否定はしません。俺は絶対に、俺が思うイチャラブを貫いてみせます」
「あら、それはどうしてですの?」
「そして、俺が守ると決めた大好きな──あなたの為に」
決意を滲ませながら、握り締めていた円佳の手の甲に進七郎は口づけをした。
円佳も一瞬驚いて固まってしまうも進七郎がキスをした箇所を愛おしそうに撫でる。
「全く、あなたという人は……それでこそわたくしの……大好きな人ですわ」
「お褒めに預かり光栄……ッて大胆過ぎでは円佳様ッ!?」
「あなたに言われたくはないですわ。さぁ、立ち上がりなさい進七郎さん。今ここに、高らかに宣言しましょう」
「……はいッ!」
進七郎は立ち上がり円佳の隣に並び立つ。
先ほどの手の甲にキスというドラマのようなシーンもあったことでボルテージが最高潮を限界突破した学園の皆に、お互いに微笑みを向けながら進七郎と円佳は今まさに叫ぼうとしていた。
学園の皆の、そして自分達のイチャラブを紡いでいく部活動の名前を。
「全ク、年端のいかなイ若者というノはこれダから妬まシくて仕方がないデスねェ」
──しかしその瞬間、突如訪れた静寂と共に。
とても人間のものとは思えない声が、二人の耳に侵入してきたのだった。




