「これからは絶対に泣かせたりしない」「……嘘つき、だね」
「んぅ……あれ……?」
意識を取り戻した円佳が目にしたのは、散りばめられた金箔や描かれた模様がプラネタリウムのように見える天井。ため息が出るくらい見事な天井は、毎日のように眠る前に見ている自室の天井であった。
「──っ、進七郎君っ!」
目覚めたばかりで霞がかっていた意識は、頭の中に浮かんだ少年によって全て吹き飛ぶ。同時に身体をバッと起こし、すぐに立ち上がろうとしていた。
「はい。なんでしょうか円佳様」
「……へっ?」
きょとんとした円佳は返事が聞こえてきた方にゆっくりと顔を向ける。
そこには、頭の中に浮かべるや否やその身の無事を何よりも願った少年、武蔵進七郎が正座をしていた。いつもと変わらぬ真面目を地で行く顔だが、その頭には包帯が巻かれていた。
「し、進七郎君……だよね?」
「もちろんでございます円佳様。……いや、今なら”まるちゃん”か。おはよう、まるちゃん」
進七郎は今この場が二人きりということと、彼女の話し方が”義経院円佳”ではなかったことから、目の前の少女をそう呼んでいた。口元を緩ませ、優しさを感じさせる表情と話し方となって。
「っっ……進七郎君っ……!」
「わわっ、まっまるちゃんっ?」
「ごめん……ごめんね……!」
安心させようとしていた進七郎だったがその目論見は外れた。
少しの間、呆気に取られていた円佳。しかし今にも泣き出しそうな顔になったかと思えば、もう次の瞬間には瞳から涙を溢れさせて抱きついてきていた。
彼女の華奢で触るだけで崩れてしまいそうな身体も鈴を転がすような綺麗な声も震えており、そこには悔しさと自責の念がふんだんに含まれていることを進七郎は感じずにはいられなかった。
「私……また守って貰っちゃった……! 私がっ……進七郎君を守らなきゃいけなかったのにっ……! 進七郎君があの時っ……今度は私が進七郎君を守らなきゃって決意したはずなのにっ……!」
「まるちゃん……」
「私……結局っ何も出来なかった……怖くて震えて泣いてたっ……あの頃の私のままだったっ……! また進七郎君に怪我させてっ……私っ……私っ……!」
何も出来なかった無力感、何も変わっていなかった己の不甲斐なさに打ちひしがれる円佳。それ以上は何か言うことすら出来ず、すすり泣く声が不定期に紡がれるだけだった。
「そんなことはない。まるちゃんは俺を守ってくれたよ」
溢れんばかりの後悔と無力感で心の中がぐちゃぐちゃになっている円佳に、その言葉を何の迷いもなく進七郎は口にしていた。
「……えっ?」
「千頭会長、いや超絶クソ迷惑魔霊に俺は確かに一度は敗れた。意識がほぼ途絶える寸前で、戦うなんてとても出来なかった。そんな俺がどうして今も生きているのか? そんなの決まってる。まるちゃんが俺を守ってくれたからだ」
「……でっもっ……私はっ……」
「立ち向かうこと、それ自体が戦うことであり誰かを守ることの始まりだ」
「っ……!」
「まぁ今の言葉は親父が教えてくれたことなんだが、ようやく身に染みて理解出来た。まるちゃんは俺を守ってくれたんだ。これは誰にも否定させたりはしない。まるちゃんにだって、な」
涙をいっぱいに浮かべた円佳を見つめながら、思ったことを真っ直ぐに伝える進七郎。
その次に口にしたのは「俺の方こそごめん」という言葉は、予想だにしていなかったのか円佳の目を丸くさせていた。
「幼くて何も考えてなくて、そして何よりも戦う力がなかったあの時の俺は、ちゃんとまるちゃんを守れなかった。というより、今回だってそうだ。まるちゃんに守って貰えなかったら、俺はまるちゃんを守ることすら出来なかった」
「そんなっ……! 違うよ進七郎君は私を守ってくれたよっ……! あの時も今回もっ……!」
「ありがとう、まるちゃん。だが俺は俺を許せない。あの時と同じように、まるちゃんを泣かせてしまった無力な俺自身を……ッ!」
進七郎は円佳から顔を逸らした。眉間に皺が寄った苦虫を嚙み潰したような顔を見せたくなかったから。拳も、超絶クソ迷惑魔霊を屠った時と同じかそれ以上に力強く握り締めて、全身から怒りを迸らせていた
「俺がロクに友達も作らず、どうして”武蔵ボーン流格闘術”の修行に明け暮れたのか。それは、まるちゃんを守る為だった。まるちゃんを泣かせないよう、まるちゃんがずっと笑っていられるよう、強い自分になりたかったからだッ……! だが今回も俺は守れなかったッッッ……‼」
「進七郎君はちゃんと私を守ってくれたよっ! じゃなかったら私は今頃ここにいない!」
「だがそれはまるちゃんが俺を守ってくれたからでッッッ‼」
「でもそれは進七郎君が私を守ってくれたからっっっ!」
「だがまるちゃんがッッッ‼」
「進七郎君がっっっ‼」
「まるちゃんッッッ‼」
「進七郎君っっっ‼」
「まるちゃ──」「進七郎く──」
瞬間、夢中になっていた二人は気づくのが遅れていた。お互いの唇が互いにくっついてしまいそうなほど顔が近くなっていたことに。
「ぴゃああああぁああぁあああっっっ!?」「うおおおおおおおおおおおおッッッ!?」
同時に叫びながら、距離を取り合った進七郎と円佳。
お互い顔が明らかに真っ赤になりつつも呼吸を整えて。そうして先に口を開いたのは進七郎だった。
「俺は……まるちゃんのことが好きだ」
しかし、その直後の言葉があまりにも衝撃的で。
「ふえっ……えぇええぇええぇええぇえええぇぇえぇええええええぇええっっっ!?」
5秒ほど固まった後、元の色に戻りかけていた顔をまた瞬時に紅潮させ、円佳はまたも絶叫する羽目になっていた。よくよく見れば、進七郎の頬の色は紅いままであった。
「あの時は返事を伝えられなくてごめん。これが今の俺の正直な気持ちだ」
「ほっ、ほほっほ……本当に……わっわわわっ私のことが好きなのっ……?」
「あぁ、好きだ。いやッ、大好きだッッッ‼」
ストレート過ぎる進七郎の告白に顔から湯気が出そうな円佳。
そしてそれは進七郎も同じだった。言葉の勢いは弱めないものの人生で初めての告白、心臓は地響きを起こしてしまうんじゃないかと思えるほど強く凄まじく鼓動を繰り返していた。
(あの時のもまるちゃんもこんな気持ちだったんだろうか……凄いな。こんなに今すぐ逃げ出したいくらい恥ずかしいし、怖いなんてッッッ……!)
進七郎はかつてない衝動に駆られていた。
だが歯をグッと食い縛りその気持ちを抑えると、人生で一番と言えるほどの真剣な表情で自らの想いを口にする。あの時に伝えられなかった分も含めて。
「さっき学園生が見ている前でしたまるちゃんに告白は、”義経院円佳の従者”としての言葉だった。少子高齢社会である日本を憂いて、学園生の規範たるべく同級生の俺とも入学初日に手を繋いで登下校して、学園生に付き合ったりイチャラブえっちしやすい雰囲気を作るっていう円佳様の深謀遠慮に貢献するための言葉だったんだ」
「 」
「だがッッッ今からの言葉はッッッ‼ 従者としてではなく一人の男ッッッ武蔵進七郎の言葉として聞いてくれッッッ!!!」
「ぴゃっ!? はっはいっ‼」
ゴニョゴニョと円佳が何かを言っていたのはさておき、進七郎は急接近すると円佳の両手を熱く握り締める。じっとりと汗ばんでて申し訳ないと思いつつも、ド真剣そのものな眼差しで円佳から目を離すことなく。
渾身の想いを込めて、仕上げの言葉を口にする。
「俺はまるちゃんが世界で一番大好きだ。どんな危険が及ぼうとも、絶対にまるちゃんを守り抜く。まるちゃんがずっと笑っていられるようにする。これからは絶対に泣かせたりなんかしないから」
伝えた想いと言葉は何のひねりもなかった。
ただただどこまでも真っ直ぐで、変わらなかった円佳への想い。それを余すことなく、進七郎は伝えた。
円佳は呆然としたような表情のまま固まってしまい、進七郎は彼女からの返事を沈黙ではなく爆速で繰り返す鼓動の中で待つ。果たして不甲斐ない自分を、円佳は再び好きだと言ってくれるのかと。
「ッッッ……!?」
円佳が次に浮かべた表情に、進七郎は目を見開いて驚愕した。
円佳は微笑みを浮かべていた。だが、それと同時にせき止められていた涙が再び溢れ出していたのだから。
「……嘘つき、だね」
その声に責めるような印象は全くなかった。
涙が混じりつつもその穏やかで綺麗な声は、進七郎の耳に深く染み渡っていく。
涙が浮かびつつもその慈悲深く優しさに満ちた微笑みは、進七郎の目に深く吸い込まれていく。
「でも、私は進七郎君の隣で、笑ったり、時に泣いちゃったり、したいです。私も……──進七郎君が、世界で一番大好きです」
涙を浮かべたまま微笑む。
これまでにしたことのなかった顔を見せて、そうして伝えた円佳の言葉は、進七郎の心に深く突き刺さったのだった。
「……あぁ、久しぶりだな。俺だ」
「なんだ。急に電話してきて。どういった用件だ?」
「用がなきゃ電話しちゃ悪いか? 釣れないねえ全く。まぁ用はあるんだけど」
「だったらさっさと本題に入れ。私が多忙を極める身なのは知っているだろうクソニートめ」
「おまっ、本当に容赦ないのな! ……ごほん。端的に言うと……進七郎が完全に覚醒した。まだまだ荒削りだが、やはりあいつの才能はえげつねえ、特に最後の一撃は''奴ら''の急所である心臓を的確に捉えていた。本当に凄まじい、天才と言うしかねえな。あっ、親バカしてる訳じゃないぞ!」
「それは分かってる。何せ出会った巨大イノシシに取り憑いていた''奴ら''を一方的に屠ったのは進七郎君だったろう。初めての戦闘で、しかも5歳児という幼い子どもが、だ。驚異的と言う他にない。だが、戦闘の際の反動に自身の身体が耐えきれずに大怪我をしてしまったのも事実だ」
「あぁ。だからこうして10年もの歳月をかけて、進七郎には技ではなく徹底的に体を磨き上げさせた。だが進七郎が記憶を取り戻し、己の戦う意味を知った以上は次のステップを踏ませる必要がある。今の''仕事''が終わり次第、教えようと思う」
「しっかり励めよ''お父さん''。以前の時のように『自分が倒す予定だったのに息子の方が先に倒しちゃいました』なんて情けなさすぎる報告はするなよ」
「ばっ、お前なんでそういうこと言う時だけめっちゃ楽しそうになんの!? ホント性格悪いなこのアマ! ……まぁ、それは百も承知だ。今度こそ、絶対に俺は進七郎を守ってみせる。父親として命を賭けてでも、な」
「ふん。その意気だぞ。私の可愛い愛娘、円佳を預けているんだからな。もしも円佳の身になにかあったりでもしたら……我が義経院グループの総力を上げて、お前ら親子を抹殺してやる。拷問という拷問を施しらなるべく苦しめてから……な」
「は、はーい……じゃ、じゃあな……」




