23 裏表紙
普通の人生を送る予定だった普通の私は、何故か普通じゃない人生を歩んでいた。一体どこで『普通』の道を踏み外したのかと問われれば、司書として戻ってきた母校の図書館の地下書庫だと答えようと思う。今の生活に満足しているので、悲壮感はないけどね。
「タマキ! 今週のお給料はすっげぇ美味いから早く取りにこいよー!」
「ありがとー! あっ、そういえばまだ本返ってきてないんだけど、もう少しかかる? 来週、行商さんが来たら隣村の貸出し希望者に届けてもらおうと思っているんだけど」
「だって、俺あの本好きなんだもん。あとで返すけどさぁ、Sランク冒険者かっけーよなぁ。てか、本当に冷めるから早く来いって親父がいってた」
私は今、異世界の山奥の村にいる。
図書館地下書庫の奥にある本棚に手をかけたら、隠し通路が現れて、覗き込んでみたら異世界ですよ。最初はびっくりしてわんわん泣いた。振り向いても元来た道は見えないし、出勤1日目で行方不明状態だし、親しい友達や家族にはもう会えないかもしれないと思うと涙が止まらなかったのだ。
それでも、私を見つけて世話をしてくれた村の人たちと暮らしているうちに、だんだん泣いてばかりじゃ駄目だと思い直し、文字を覚えるために図書館(というよりは本のレンタルスペース)へ通い始めたことがきっかけで、本の管理という仕事を得ることが出来た。
住めば都とはよく言ったものだと思う。村の大人は優しいし親切だ。ちょっと生意気で大人びた子供たちも可愛い。
ガスも電気もないし、下水道だって整備されてない。水道は井戸水をくみ上げて、沸かして使っているので、水を飲むにも時間がかかる。そして給料は基本的に現物支給。そんな生活に慣れなくてまごついていたら、お嬢様だと思われたのか
「都会へ行けば設備が整っているから、知り合いを探してみるかい? 村長の姪っ子が働いている商会があるから、そこで給料だって稼げるよ」
と、村の人たちがお金を出し合って路銀まで作ってくれたのだけど、その頃にはすっかりこの生活が気に入ってしまっていたので、丁重に辞退した。
当然小さな村だから、仕事は本の管理だけじゃない。畑の手伝いや木の実採取もするし、ちょっとした計算なら出来るから都会へ行商に行くおじさんの事務手伝いもする。空き家になっている家の掃除や、機織の手伝いもする。
忙しいように思えるけれど、基本的に仕事内容はその日の天候や体調で村人同士気遣いあいながらフォローするのがデフォルトだ。雨の日は自主休業にしてのんびり本を読んだり、暑い日は湖で魚を釣ったりして、毎日それなりに楽しく暮らしている。
決して楽なものでも、のんびりしたものでもない生活。しかし、生きている人の顔はキラキラしていた。
ちなみに今日は、さっきの男の子の誕生日で、みんなでお祝いしようと猪肉の味噌漬けを丸ごと焼き、大鍋にこの辺で取れる根菜類を詰め込んだシチューを用意している。
ふんわりと漂う香ばしい匂いと、それに混じる煙の匂い。確かに今週の給料はご馳走だ。
行商人に渡す本をくるりとひとまとめにし、村のはずれの図書館から足早に宴会会場へ向かおうとすると、麓へと降りる道に影のようなものが見えた。
何か生き物に乗っているように見えるが、行商人のように荷車を引いているわけではない。こんな夜更けに旅人だろうか……? 確かに村の裏手には貴重な薬草が取れる霊峰が聳え立っているが、この村よりも西へ行ったところにある村のほうが大きくて準備も整えやすいので、あまり旅人が来ることはない。
「あの! この村に御用ですか?」
草を掻き分けて小道に出ると、月明かりを背にしたその人物は乗っていた生き物にブレーキをかけさせた。その生き物が馬ではなくて、でかいトカゲであることに驚いて少し多々良を踏む。こ、これはもしや噂に聞くドラゴンでしょうか!?
だとすると、ものすごくプライドの高いドラゴンが人間を乗せているってどういうことなんでしょう! これは何かのフラグですか? この村に勇者が生まれたという予言があったとか!
いや待て、村の子供はみんな良い子だけど、普通の魔力しかない悪ガキだよ。
緊張しながら身構える私の前にその人は降り立ち、ドラゴンを数回撫でると、こちらへと向かってきた。
背は高め、程よく筋肉がついて、すらりと長い脚。大剣を背負っているというのに、しなやかな身のこなし。荷物はほとんどなくて、先ほどのドラゴンに括りつけた片手で持てるサイズの袋のみ。多分、かなり旅慣れていると思われる冒険者だ。
口元に巻いた風除けのスカーフに少し骨ばった手がのばされる。日焼けした肌、鋭い目、バンダナにまとめられた短い黒い髪。
――心臓が飛び跳ねそうになった。
まさかと思いつつ……否定しようとしても否定できない。
「よお」
ここ数年……下手したら10年くらい聞いていなかった声。耳に心地よい低音。
――耳と目がおかしくなったのかと思った。だって、ここ異世界なんだよ。
目を丸くしている私を見て、彼はクックックと笑う。
もしかして。
でも声がでない。どうしても声がでない。叫びたいのに、声が出てくれないの。
そんな私を見て彼は、柔らかく、優しく微笑んだ。
「探したぜ。……春日」
その言葉を聞いた瞬間、私の目からはとめどなく涙が溢れ、喉からは嗚咽だけがもれた。頭の中が真っ白になって、でもひどく嬉しくて、まぼろしでもいいから。
ありがとう。
ありがとう。
ああ、その声が聞きたかった。
ボロボロ子供みたいに泣くと、グローブをしたままの手がぎゅっと抱きしめてくれた。
まさか見つけてくれるなんて思わなかった。
まさか私の名前を呼んでくれるなんて思わなかった。
まさか、まさかもう一度会えるなんて思わなかった。
「近衛君! 近衛君……っ」
ぎゅううううっとシャツが皺になるまで掴んで、私はただひたすら泣いた。
ああ、歌が聞こえる。誕生日を歌う歌だ。
少し煙の匂いがする。お祝いの食事のための煙だ。
ゆっくり星空が姿を現す。街の明かりがないここでは、星が本当に綺麗に見える。
少しずつ涼しくなり……泣き止むまで近衛君は抱きしめていてくれた。
突然の客だったにもかかわらず、村の人は快く近衛君を迎え入れてくれた。
「いやー、まさかタマキにあんな男前の旦那がいるとは思わなかったよ!」
私も結婚する前だったらなぁと、笑いながらシチューをよそってくれたのは、同い年の女友達だった。顔立ちは全然違うけれど、さっぱりした性格は親友の瑞穂のようで安心する。そんな彼女には大事な旦那さんと子供が2人いる。
「旦那じゃないよ。うーん、昔の……友達?」
「なんでそこに『?マーク』を付けるのさ。何も思ってなけりゃ、こんな辺鄙なところまでくる訳無いって」
「いや、でも、本当に何しに来たのか分からないんだよね。近衛君」
「コノエ? どこかで聞いたような気がするんだけど。なんだっけ」
「知らないよー」
そんな噂の近衛君は、村長の酒の相手をさせられていた。きついお酒もぐいっと飲み干す姿は、ワイルドな見た目を裏切らぬもので。また、少し生えた無精ひげがなんともダンディで、今も昔もこの人は男前だなぁと惚れ惚れしてしまう。
――これはモテるだろうな。女性ホイホイめ。
心の中でちょっぴりやさぐれると、村長の息子が興奮したように叫んだ。
「すげえええええええ! コノエってSランク冒険者のコノエだろ!? うわああ、かっけえええええ。俺、大ファンなんだよ」
Sランク冒険者!?
「えっ、近衛君、何気に有名人なの!?」
「あー、そうだそうそう。Sランク冒険者のコノエ。世界に片手ほどしか存在しない伝説級の冒険者だって。特に彼は神出鬼没だから、見かけるのはレアだってのに、近くの街に現れたって行商人が興奮してたんだったわ」
おおう。伝説になっていたのか。……一体何やったのよ。
パチンと火が弾けるのを眺める。シチューと肉をたらふく食べて手ごろな木箱に座っていると、ようやく解放されたらしい近衛君が酔っ払いたちの屍を乗り越えてやってきた。
「なあ、ちょっと風にあたりに行こうぜ」
ぐいっとドラゴンをつないである道を指差す。
「さすがの近衛君も酔っちゃった?」
アレだけ飲み干せば無理もないよねと頷けば、彼は水を入れた手桶を持って苦笑した。
零れ落ちそうな星空の下をてくてくと歩くたびに、喧騒が少しずつ離れていく。まるで遠くからテレビを見ているようだと懐かしくなった。
「本当にビックリした。まさかこんなところで近衛君に会うなんて思ってなかったもん」
どうしてこんなところにいるのか。この世界のことは知っていたのか。……聞きたいことはたくさんあるけれど、自分でもまだ完全に整理しきれていないことについて尋ねようにも、上手く言えない。
「探したから」
そんな私にさらりと彼は答えた。
「えっ……と」
それはどういうことなのでしょうか! いや、さすがに偶然通りがかった訳じゃないかなって思ったけれど。真剣な顔でそんなこと言われたってどう答えていいのか分からなくなる。大体、覚えてくれていたことからして予想外だったのだ。どういうつもりで探してくれたのかなんて、思い至ることも出来ないではないか。
目が泳ぎだし、真っ青になって冷や汗をかいたり、真っ赤になったりと私の顔色は忙しい。
「クッ……ククク。やっぱりそうなっちまうんだな」
そんな情けない姿を見て、近衛君は笑いをこらえ切れなかったらしい。
「意味深な台詞を言うからだよ! 誤解されちゃうよ」
本当に罪作りな人だ。
ぷくーっと少し膨れてみれば、ひょいと目の前に本が差し出される。
「ホラ。借りてた本。引っ越しちまったから返せなかった。シグナル伝達の本というなら、一方通行じゃダメなんじゃねーの?」
月明かりで目を凝らせば、白い本が……しかも、例の帯は年月を経て文字がうっすらと浮き上がっていた。
「ぎゃあああああああーっ! 恥ずかしい!」
いやだいやだいやだ! 10年近く前に自分が書いたラブレターだぞ!? それを渡した相手から返されるという羞恥プレイ。すみません、黒歴史として今すぐキャンプファイヤーに突っ込みたいんですが、いいでしょうか、いいですよね!
絶叫する私のどこがおもしろいのか、近衛君はお腹を抱えて笑っている。ひどい。ひどい! 人の醜態を見て笑うの良くない!
なのに彼はひとしきり笑った後、まるで少年のような笑顔で微笑んだ。
「ああ、やっぱりこんなに笑ったのって久しぶりだ。やっぱり、俺、春日より好きだって思える奴いねぇんだよな」
「へ?」
一瞬何を言われたのか理解できなくて、きょとんとして、それから猛烈に赤くなる。とりあえず顔を見られたくなかったので、近衛君の胸に頭突きを食らわせてみることにした。そんな私の頭をぽんぽんと押さえ、彼はため息混じりにつぶやいた。
「……遅くなってごめんな」
ゆっくりと風が吹く。宝石をちりばめたような夜空を見ながら、近衛君と私は黙って座り込んだ。
綺麗な虫の声がする。スピーカーも何もないけれど、とても綺麗に響く。
朝が来たら全ては夢だったのかもしれないと思うほどに、幻想的で素敵な幻のようだ。そう伝えてみれば、近衛君は手をつないでくれる。そんな心遣いが心に沁みて、優しく響いていく。
さらにしばらくたった頃、近衛君がぼそりと呟いた。
「なあ。延滞10年って……罰則料金どうなるんだ?」
どうなるんだろう。
口を開きかけた瞬間、支払われたのは……
――甘い、甘いキスだった。




