20 ヒロインになんかなれるわけがない
厳つい世紀末覇者たちと笑顔で手を振って別れ、待つこと約1分。門からとても綺麗な人が現れた。
「ごめんなさいね。将、まだ合宿とやらから帰ってなくて」
麗しい声で世界を塗り替えてくれたのは、環お姉さまだった。
デニム地の半袖シャツに白い短めのハーフパンツからはきめ細やかな白い肌が惜しげもなく晒されている。引っ掛けたのであろうミュールはミリタリー柄ながらも可愛らしいデザインのものだった。
相変わらず美しい……下手な装飾がない分、美しさが際立つのだけれど、以前会った時に比べると雰囲気が変わっていたので驚く。なんというか、幸せそうというか、凛とした雰囲気は変わらないのだけれど、柔らかくなったというか、目が離せなくなるようなしっかりとした存在感があった。
「そ…そうなんですか」
ああ、近衛君。なぜに留守なのか。こんな素敵な人が近くにいたら、堪能するしかないでしょ。3日経っても飽きない美人がここにいるというのに。勿体無い。私なら美の秘訣をじっくり観察するぞ。
「もし急ぎでなければ、後で将から連絡入れさせるけど駄目かな?」
ただし近衛君は現在電波が届かないところへ行っているらしく、もしかすると夏休み最終日まで連絡が付かない可能性があるという。この通信網が発達した日本で、電波の届かないところってどこだよ! 合宿って、貴方帰宅部!
「い、いえ、忙しいならいいんです。ただ、これを近衛君から借りっぱなしだったので、返しにきたんです」
本当は直接手渡しすべきなのですが……と、慌てて鞄から本を引っ張り出したら、指に引っかかったストラップと共に携帯電話まで引っ張り出された。そしてそれは勢い良く地面へとダイブし、1回バウンドしてカパッと口をあける。あ、電池パックの蓋が外れてコロコロ転がっていった。
「Oh!」
などと外国のCMのように叫んでいる場合ではない。しかし携帯電話より先に本である。
「大丈夫?!」
「あっ、大丈夫です。自分で拾います。それよりもっ、これ。近衛君が帰ってきたら渡してもらえませんか?」
拾おうとしてくれたお姉さまをさえぎるように本を差し出す。美しいその手で、砂にまみれた私の携帯を拾わせるわけにはいきません! と、足を踏み出したら、
……見事に分解寸前の携帯電話を蹴ってしまった。
コントかあああー!
おまけに蹴ってしまった携帯電話は、そのまま勢いよく放物線を描いて……
ぽちゃん
これまた可愛らしい音を立てて、池に飛び込む。
「ぎゃー! なんかブクブク泡立ってるし! あああああ、いかん、池の鯉が近寄ってくる。ああああああ、ごめんなさいすぐ引き上げます! どうしよう、錦鯉ですか!? 1匹1千万円ですか!?」
今なら千手観音になれる!
じゃなくて、ぺこぺこお辞儀しながらお庭に失礼し、慌てて池に手を突っ込む。鯉が寄ってくるまえに携帯電話をサルベージしなければならない。今が夏で良かったよ! 案外深いから、冬場だったら泣きそうなことになる。
「今タオル持ってくるね」
シャツまで濡らした私に環お姉さまは、ちょっと待っててと本を持って母屋へと走ろうとしてくれたのだけれど、
「すみません、本当にすみません、大丈夫です。夏なのですぐに乾きますから。それ、どうかよろしくお願いします!」
私は元携帯電話を手に、そのままエイト○ンも真っ青な速度で近衛君の家を飛び出した。
うう、こんなことなら思い切って近衛君にメールすればよかった。
クラスが変わったとか、図書委員のつながりがなくなったとか、言い訳ばかりしてメールできなくて、偶然を装って出会おうとばかりしていたけれど、本当は「こいつウザイ」と思われるのが怖かっただけなのだ。
機会ならあった。クラスが変わったとき、相良君から本を借りたとき、本を読み終えたとき。
近衛君からメールくれたら良いななんて淡い期待もあった。本を返すついでに会いたいと思う反面、返してしまったら最後のつながりまで手放してしまうような気がして……。
臆病者の私に、神様が機会なんてくれるはずがない。
角を曲がって電信柱の裏に身を滑り込ませれば、心臓がドキドキと音を立てる。何度か深呼吸をしてそれを収めた後、近衛君の家を再度見ることもなく、とぼとぼと歩き出した。
実は春休みの前、クラスが離れてしまう前に、本当に分かりにくいところにね、見つからないようにそーっと近衛君に伝えたい言葉を忍ばせたことがある。クリスマスのときのように気づいてくれないかな、なんて淡い期待と共に渡したのだけれど、当然のごとく見つけてもらえなかった。
当たり前だ。伝えたいのか、伝えたくないのか、覚悟すらはっきりしない気持ちなんて見つけてもらえるはずがない。
だから、このまま忘れられたらちょっと淋しいなと思う気持ちは、私のわがままだ。
これが普通だし、当然だし。言い訳していると、ひゅうっと風が吹いて、濡れたシャツをはためかせた。
「冷たっ」
とりあえずコンビニの袋に入れた携帯電話は相変わらずチャポチャポ危なっかしい音を立てているし、本は返してもらえないし、気持ちは伝えられなかったし、もう会えないし……
「はああ、馬鹿みたい」
大きなため息をついたら目の前がにじんだ。
別れる寸前じゃないと気持ちを伝えられないなんて。とは確か春にも思ったのだったか。同じ過ちを犯すなんて本当に馬鹿だよね。これじゃあヒロインになんかなれるわけがない。
帰ろう。
ここでばったり会えるなんて展開はもうありえないのだ。
心の中で「さようなら」と呟く。
できれば私の貸した本は、そのまま近衛君の本棚の片隅に……埃を被った状態で突っ込んでおいて欲しい。そのまま、進学して、大人になってから見つけてくれたら良いな。でね、捨てる前にふと……「ああ、そういえばそんな奴もいたな」って、一瞬だけで良いから一緒にいたということを思い出してくれれば嬉しい。
良い思い出をありがとう。
さようなら。
どんどん遠ざかる風景の中、一瞬だけ近衛君の姿が見えたような気がした。あまりにも私が見たい見たいと思っていたから神様が幻を見せてくれたのだろうか?
だとしたら私の日頃の行いも悪くはなかったってことかな。




