第487話 一夜明けて
「ん…………」
午前七時、怜はゆっくりと瞼を開ける。
普段の起床時刻を大幅にオーバーした目覚め。
とはいえまだ外は明るいとは言い難い。
加えてカーテンも閉じている為に室内はまだ薄暗く、寝起きということもあって目を凝らさないと室内の様子を確認することは難しい。
しかし、隣で寝ている存在を見間違うことはない。
「すー……すー…………」
可愛らしい寝息を立てながら、隣で眠る大切な彼女。
幸せそうな笑みを浮かべ、唇をわずかに開けている。
その寝顔さえも、胸を甘くざわつかせるほど愛おしい。
怜の頭が徐々に覚醒していく。
ゆっくり息を吐き、布団の中の手を動かす。
指先が桜彩の手に触れると、きゅっと握り返される。
桜彩の温もりが手から体に伝わってくる気がする。
瞬間、昨日の夜の余韻が胸の奥で波打った。
(………………………………………)
慌てて桜彩から視線を逸らし、そしておそるおそる振り向いて、またすぐに逸らす。
(俺、桜彩と…………)
昨夜の行為を思い出しながら、空いている手で心臓を落ち着かせるように自分の胸を撫でる。
すると繋いでいる方の手に更に力が込められた。
反射的に桜彩の方を振り向くと、その瞼がゆっくりと開かれる。
「怜……」
桜彩の声はかすれ、小さく震えていた。
頬はほんのり赤く、寝ぼけているのか目はとろりとして焦点が合っていない。
怜も胸の奥が跳ねるのを感じ、手の温もりに力を込めたままぎこちなく微笑む。
「……おは……よう、桜彩…………」
言葉がぎこちなく、少し声が震える。
「怜……。おはよ……………………う!?」
そこで桜彩も覚醒したのか、目がカッと見開かれる。
怜もドキリとし、お互いに目を見開いて見つめ合う。
これはもう、二人揃って考えている、いや、思い出していることは同じだろう。
「……昨日……の……えっと……」
言葉に詰まる桜彩。
頬を赤くして視線を一度下げ、小さく呻く。
「お、おお……………………」
怜としても言葉に悩む。
昨夜の行為、それをそのまま言葉に出すのはとてもじゃないが恥ずかしい。
「き……昨日、一日……た、楽しかった……よな……?」
「あ、う、うん……! で、でーと、た、楽しかった、ね…………」
慌てて顔を上げ、頷く桜彩。
二人の視線が合い、慌てて離れ、そしてまたちらりと見てはすぐに逸らす。
そのたびに胸の奥がざわつく。
二人はベッドの端でぎこちなく体を起こす。
普段、椅子やソファーに隣同士で座る時には気にならない、それどころか積極的な体の接触が、今はとても恥ずかしい。
肩を寄せて身体を預け合うどころか、少し離れてしまう。
普段なら何でもない動作も、今は全てが特別な感覚だった。
しかし、そんな中でも繋いだ手だけは決して離さない。
「アルバイト……大変だったけど……」
小さな声で呟く桜彩。
クリスマスイブの洋菓子店でのアルバイトは本当に大変だった。
「そうだな……。でも、桜彩が……いて、くれたから……本当に……助かった……よ……」
怜も言葉を絞り出す。
「そ、そうだね……。大変……私も……あの……楽しかった……かな……」
二人共普通に話すことすらままならない。
恋人同士になった翌日ですら、ここまで不自然にはならなかったのに。
「植物園も……綺麗……だったね……」
「ああ……。クリスマスの……花が……たくさん、あって……」
「う、うん……。それに、ツリー……綺麗だった、よね……?」
「装飾も……たくさんあって……」
「そ、それに……プレゼントも…………」
アルバイトが終わった後に訪れた植物園。
そこで一緒にクリスマス仕様の雰囲気の中で植物を眺め、プレゼントを渡した。
とてもロマンチックな一時。
「ディ、ディナーも……美味しかったし……あの……雰囲気……」
「う……うん……落ち着く、感じで……。れ、怜と一緒、だったから……余計に……嬉しかった……」
怜の母が監修したクリスマスシーズンの特別ディナー。
ターキーをはじめとしたご馳走が並ぶビュッフェは、会場の雰囲気も、窓から見る景色も、前菜も、メインも、スイーツも、全てにおいて非の打ち所がない素敵な食事だった。
「家に帰って、桜彩からプレゼントを貰って……」
桜彩から貰ったテーブルクロス。
早速一緒に使ってみた。
そして――
それきり言葉が出てこない。
顔を赤くしてちらりと視線を合わせ、すぐに逸らす。
言葉を絞り出そうにも、喉の先へと出てこない。
胸の高鳴りだけがどんどん高鳴っていく。
体を起こしたまま、手を繋いでいるだけの静かな時間が続く。
視線を合わせる勇気が出ず、ちらちらと見つめ合い、また目を逸らす。
徐々に呼吸が荒くなっていく。
このままではいけない、そう思って、怜は決心して桜彩の方を向くと、同じタイミングで桜彩もこちらを見つめ返してくる。
しかし、今度は目を逸らさない。
空いている方の手で布団をぎゅっ、と握って言葉を発する。
「さ、桜彩…………」
「う、うん…………」
「そ、その……き、昨日の、こと……」
「き、昨日、の、こと、だ、だよね……?」
ゴクリとつばを飲み込む。
桜彩も緊張しているのが見て分かる。
そして怜は一度深呼吸をして切り出した。
「その……ま、まだ、思い出すと、ドキドキ……してる…………」
「う、うん……。私も……まだ……思い出すと……ドキドキする……」
恥ずかしそうに、だが目を逸らさずに小さく答える桜彩。
怜も頬を赤くし、目を逸らしたまま小さく頷く。
「ありがとな、桜彩」
「私こそありがとう、怜」
「その…………桜彩に、捧げられて、本当に嬉しい……。桜彩が、捧げてくれて、本当に、嬉しい……………………」
その言葉を聞いた桜彩の顔が、更に一段階赤くなる。
怜も自分の顔が真っ赤になっていることが良く分かる。
そして桜彩は真っ赤な顔のまま、嬉しそうに小さく微笑む。
「私も……、怜に、捧げることができて、嬉しいよ……。怜が、捧げてくれて、嬉しい……………………」
そう言って顔を真っ赤にしたまま見つめ合う。
繋いでいる手に更に力が入る。
近づいていた二人の距離が徐々に近づき、肩が触れる。
瞬間、すぐに離れて、そしてまた見つめ合ってどちらからともなく肩を寄せる。
そして互いに寄り添うような形で落ち着く。
「……まだ……恥ずかしい……ね……」
「……ああ……、まだ、恥ずかしい…………」
ぎこちなく声を交わし、しばしの静寂が訪れる。
お互いの呼吸音だけが耳に届く。
視線を合わせ、手を握ることでお互いの気持ちを確かめ合う。
「怜……」
「ん……?」
「ずっと……こうして……いたい……」
怜も胸が熱くなり、ぎこちなく笑みを浮かべる。
「俺も……桜彩と一緒に……」
「うん…………」
二人は見つめ合った顔をゆっくりと近づける。
視線を合わせたまま、指先を搦め合ったまま。
そして、二人の間の距離がゼロになり――
「ちゅ…………」
優しく、おはようのキスを交わした。
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