第485話 アパートに戻って
温かい室内から一歩外に出た瞬間、夜の冷たい空気が二人の頬を包む。
降り続ける雪はふわりと舞い、街灯の淡い光に反射してきらきらと輝いている。
「……寒っ」
「うん、寒いよね」
桜彩も怜の言葉に頷き、首に巻いたマフラーをもう一度ぐるりと整える。
「でも、良い感じだな」
怜は笑いながら手を差し伸べ、桜彩の手を優しく包む。
桜彩も嬉しそうにその手に指を搦め、二人揃って踏み出した。
「こうやって雪が舞う夜のクリスマスに桜彩と一緒に歩くのって……」
「うん……クリスマスっぽいね。植物園も綺麗だったし、お食事も凄くて……」
二人で過ごしたクリスマスデートを思い返す。
装飾いっぱいの壮大なクリスマスツリー、窓の外の雪と明かりを眺めながらのディナー。
間違いなく、これまでで最高のクリスマスイブだった。
「植物園も良かったな。あの温室の中の香りとか、暖かさとか、ツリーとか……。桜彩と一緒に回れたのが嬉しかった」
「私も……楽しかったよ。クリスマスのお花を眺めながら二人でお話ししたり、ツリーと一緒に写真を撮ったり」
怜がぽつりと呟くと桜彩は少し顔を上げ、怜の横顔を見上げる。
夜の街は穏やかで、イルミネーションや店先の小さな灯りが輝いている。
「それに、ホテルも凄かったね。雰囲気もお料理も」
桜彩がぽつりと言うと、怜は頷きながら微笑む。
「うん。普段なら入らないような場所だし、こうして二人で楽しめるっていうのがいいよな。あのビュッフェも豪華だった」
「前菜も美味しかったけど、やっぱりターキーの香りが忘れられないな。切り分けてもらったときの湯気と香り……。あれを一緒に食べられたのが嬉しかった」
「日本だとクリスマスは七面鳥よりも鶏だからな」
「ふふっ。私、初めて食べたよ」
桜彩の瞳がキラリと輝き、思い出に浸るように小さく笑う。
「スイーツコーナーも印象的だったな。見た目もクリスマスっぽくて、食べる前からワクワクした」
怜も目を細め、少し頬を赤らめながら笑う。
「桜彩が喜んで食べてるのを見るだけで、俺も嬉しくなった」
「ふふっ……。私も怜が食べてるの見てるだけで楽しかったよ」
雪が再び舞い落ち、髪や肩に軽く積もる。
桜彩は手袋をした手で雪を払いながら微笑む。
「こうして街を歩くだけでも、なんだか特別な気分になるね」
「ああ。今日一日、いろんなことを一緒に経験できたな。リュミエールでのアルバイトも、植物園もホテルも、桜彩と過ごせて本当に良かった」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二人がバス停に着くと、タイミング良くバスが滑り込んできた。
ドアが開き、暖かい空気が二人を迎える。
中はほどほどに空いており、二人揃って座席に腰を下ろす。
「寒かったから、温かいね」
桜彩が嬉しそうに息を吐き、手袋を外す。
怜もその手に指を搦め、手袋越しではなく、直に桜彩の手を感じる。
「ふふっ。怜の手、温かい。手袋越しに手を繋ぐのも良かったけど、でもやっぱりこうして直接繋ぐのは良いよね」
「ああ。桜彩の手も気持ち良いぞ」
バスが発進すると、暖房が体がじんわりと温める。
「ほら、怜」
「ん。ありがと」
桜彩がマフラーの一部を解き、怜の首へと優しく巻く。
歩く時は危険だからできなかった、二人でのマフラー。
「ふふっ、温かいなあ」
「うん。暖かい」
寄り添って一本のマフラーを使い、手を搦める。
同じマフラーを二人で使っている為に、身体の距離がぐんと近くなる。
こてり、と怜の方に桜彩の頭が載せられ、幸せそうな表情で見上げてくる。
バスはゆっくりと道を進む。
時折、通りのイルミネーションや店の窓に映る暖かい光が顔を柔らかく照らす。
「外の景色も綺麗だし、雪も降ってきて……」
「そうだな。今日の思い出、いっぱいできたな」
怜が笑いながら言うと、桜彩も自然に笑顔になる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
やがてバスがアパートの最寄り停留所に近づく。
名残惜しいが、怜はマフラーを外して、再び桜彩の首へと優しく巻く。
「ありがと。もう少しこうしていたかったけどね」
「俺も。まあ、これからは何度でもする機会があるし」
「うん、そうだね」
停車したバスから手を繋いで降りる。
この辺りまで来ると喧騒は少し遠ざかり、住宅街の静けさが訪れる。
「……もうすぐ私達のアパートだね」
「そうだな。やっと戻って来たと言うのか、それとももう戻って来ちゃったと言うべきか」
「ふふっ、どうだろうね。長かったようにも短かったようにも感じるよ」
アパートが見えてくると、足取りは自然にゆっくりとなる。
雪にうっすら残る足跡を見て、桜彩はふふっと笑う。
「見て、二人の足跡」
「そうだな……。クリスマスにこの道を一緒に歩いた記念だ」
怜は小さく笑み、肩越しに桜彩の髪を撫でる。
桜彩は嬉しそうに笑いながらスマホを取り出し、足跡の残る雪道をスマホに収めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そしてアパートへと到着する。
リビングの自動ドアを、お揃いのキーホルダーの付いた鍵で開けて中へと入る。
寄り添ったままエレベーターに乗り、二人の自室の前へと到着すると、桜彩は怜に向かって軽く抱きつくように体を寄せた。
「楽しかったね……」
「ああ。桜彩と一緒だから、全部特別だった」
二人の顔が近づき、鼻先に雪の粒がくすぐる。
思わずくすくすと笑い合いながら、怜は桜彩の肩にそっと手を回す。
桜彩も怜の背中に両手を回し、そして顔を近づける。
「ちゅ…………ん…………」
「ちゅ……はぁ……」
二人でキスを交わし合う。
最初はそっと、柔らかく。
そして次第に互いの呼吸に合わせて重なり合い、唇が溶け合うような情熱的なキスへと変わっていく。
「ふぅ……」
桜彩が小さく息を漏らし、手を怜の胸にそっと置く。
怜も一度息継ぎをし、二人で見つめ合う。
そして言葉を交わさず、再び唇を重ね合う。
「……………………」
「…………名残惜しいね」
キスを離した後も、まだ唇が触れ合った感覚が残っているように感じる。
頬が赤く熱くなり、心臓がまだ高鳴ったまま。
「でも……またすぐ会えるからさ」
怜が優しく微笑むと、桜彩も微笑み返し、手をぎゅっと握り合う。
「うん、約束だよ」
二人はそのまま小さく頷き合い、目をしっかりと合わせる。
そして、お互いに贈り合ったキーホルダーの付いた鍵でそれぞれの玄関を開ける。
防寒対策はしていたとはいえ、さすがに年末のこの寒さ。
普段は二人共怜の部屋の浴室を使っているのだが、今日に限ってはそれぞれの自室のシャワーで体を温めることにする。
桜彩を玄関で見送り、リビングのドアを閉めると、怜は自然に肩の力を抜いた。
静かに流れる空気の中、暖房のスイッチを入れると、瞬く間に室内に柔らかな暖かさが広がる。
外の冷たい空気で冷えた体が、少しずつ温められるのを感じながら、怜は浴室へと向かった。
「……それじゃあ、すぐに行くね」
「ああ。待ってるよ」
玄関のドアを閉めると、怜は自然に肩の力を抜いた。
リビングの暖房のスイッチを入れると、音を立ててエアコンが動き出す。
リビングが温められるのを待つ間、冷たくなった体を温める為に怜は浴室へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シャワーの温かいお湯が肌を伝わり、怜の体を温めていく。
頭から肩や首筋、指先や足先、身体のいたるところがお湯に包まれるたびに、冷たさが徐々に温まっていく。
しかし頭の中では、これから桜彩と過ごす夜のことがずっと渦巻いたまま。
スポンジを持つ手を動かしながらも、思わず胸の奥が熱くなり、呼吸が少し早まる。
(……………………桜彩と)
この後のことを考えながら、怜は震える手で体を洗っていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シャワーを終え髪と体を拭き、リビングへ戻る。
もう既にリビングの空気は温かくなっており、風呂上がりでも体が冷めることはないだろう。
女性の桜彩は怜以上に時間がかかる為、桜彩が来るまでの間に温かいハーブティーを用意する。
準備を終えるとスマホが震え、画面を覗くと桜彩からのメッセージが届いていた。
『もうすぐ行くね』
短い文面に、怜の胸は一層高鳴る。
指先で画面をタップし、すぐに返信する。
『待ってる』
リビングに漂うハーブティーの香りが一瞬だけ緊張を落ち着かせてくれる。
しかし胸の奥は依然としてざわつき、手のひらが少し汗ばんでいるのを感じる。
ガチャリ、と玄関の鍵が開けられた音。
怜は一度大きく深呼吸をして立ち上がる。
数秒後、リビングのドアが開き、そこから桜彩が現れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一度怜と別れた後――
桜彩は自室のドアを閉め、軽く息をつく。
肩に掛かるマフラーを解こうと指先を動かすが、ふと手が止まった。
怜から貰った猫を模したマフラー。
暖かくて、柔らかくて、ほんのりと怜の存在を感じてしまう。
まるで、マフラーに怜が宿っているような。
自然と笑みがこぼれ、頬がほんのり赤く染まる。
「……嬉しいな」
指でマフラーを撫でながら、桜彩は小さく呟いた。
少しの間その感触に浸り、深呼吸を一つ。
とはいえいつまでもこのままではいられない。
今頃怜はシャワーを浴びて、体を温めていることだろう。
これから訪れる時間を想うと、心が甘くざわつく。
そっとマフラーを外し、浴室へと歩を進めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シャワーの温かいお湯が肌を伝わり、桜彩の体を温めていく。
頭から肩や首筋、指先や足先、身体のいたるところがお湯に包まれるたびに、冷たさが徐々に温まっていく。
しかし頭の中では、これから怜と過ごす夜のことがずっと渦巻いたまま。
スポンジを持つ手を動かしながらも、思わず胸の奥が熱くなり、呼吸が少し早まる。
(……………………怜と)
この後のことを考えながら、震える手で体を洗っていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シャワーを終えると、タオルで髪と体を拭き、少し濡れた髪をまとめる。
そしていつも着ている猫の着ぐるみパジャマに身を包む。
ただし、髪がまだ湿っている為にフードはかぶらずに。
そして初デートのネックレスを着用して。
用意していた小さなプレゼントの袋を抱え、リビングへ向かう前にスマートフォンを手に取った。
『もうすぐ行くね』
するとすぐに既読が付き、そして返信が送られてくる。
『待ってる』
胸の奥に再び緊張と期待が混ざる。
手に持ったプレゼントの袋の感触が、心の高鳴りを更に強くする。
玄関のドアに合鍵を差し込み、静かに回す。
そのままリビングへと続くドアの前に立ち、大きく深呼吸してノブを握る。
リビングに足を踏み入れると、怜の姿が目に映った。




