第481話 ディナー① ~ホテルのビュッフェ会場~
夜の空気と粉雪が頬を撫でる中、怜と桜彩は次の目的地へと向かう。
「えへへ~」
怜が隣を向くと、桜彩が嬉しそうに、口から白い息を上げながら笑っていた。
首に巻かれたプレゼントの長いマフラーを優しく撫でながら(さすがに歩きにくいので、二人で巻くのは止めている)、嬉しそうにうっとりとした声を漏らす。
「ふふ……。やっぱりあったかいね、怜のマフラー」
怜はその仕草を見て微笑み、手を差し伸べる。
指先が自然に桜彩の手に触れ、温もりが伝わった。
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
「ふふっ。寒い中でもこれがあれば大丈夫だよ」
怜の声に、桜彩は少しだけ肩をすくめながらも笑う。
二人は植物園の小道を抜けて並木道へと出る。
夜の街灯が、空気に白く反射している。
並木道を抜けると、バス停までの小道が現れた。
通りにはクリスマスの飾りつけをした店がちらほらと灯を灯していて、家族連れやカップルの楽しげな声が遠くから聞こえてくる。
「外の景色も綺麗だし、雪も降ってきて……」
「そうだな。こういう日は、ゆっくり歩くだけでも良い思い出になるよ」
「うん」
桜彩はふわりと微笑み、マフラーの端を指で弄りながら怜の腕に軽く寄り添う。
バス停に着くと、タイミング良くバスがやってきた。
席同士で座り、窓の外の景色を眺める。
桜彩は怜の腕に軽く触れながら小声で呟く。
「怜、寒くない?」
「全然大丈夫だよ。桜彩がこうして隣にいてくれるから」
窓越しに二人の顔が映り、柔らかい光に照らされるたび、桜彩は小さく笑う。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
バスが目的地近くの停留所に着き、二人は雪の降る石畳を歩く。
白と金を基調とした外観がイルミネーションに映え、夜空の中に浮かぶ城のように堂々としている。
「わぁ……やっぱり大きいね、ホテル」
「うん、写真で見るより迫力あるよな」
ホテルの前で立ち止まり、桜彩は首に巻かれたマフラーを両手で押さえながら、嬉しそうに微笑む。
ここが本日の第二の目的地。
怜の母である若葉がホテルのレストランビュッフェを監修しているとのことで、先日、その招待券が二人分送られてきた。
「……凄い、ね」
入り口をくぐって桜彩が立ち止まり小さく息を呑んだ。
その視線の先には、吹き抜けのロビーに煌めくシャンデリア、磨かれた大理石の床、笑顔で出迎えるスタッフの姿。
まるで映画のワンシーンのようなその光景に、桜彩はしばらく言葉を失っていた。
「……本当に、ここで夕食を食べていいの?」
小さな声でそう言うと、両手でマフラーの端をぎゅっと握る。
どこか落ち着かない様子で、怜の方に振り返る。
そんな桜彩の横顔に、怜は招待券の入った封筒を取り出し思わず笑みをこぼす。
「もちろん。ちゃんとこうして招待券もあるんだし、服装もスマートカジュアルで問題ないから」
「でも……なんか、場違いじゃない? 私達、高校生なのに」
「いいんだよ。クリスマスだし、今日は特別な日だから少しくらい背伸びしても」
怜がそう告げると、桜彩はクスリと笑みを浮かべる。
「……怜が言うと、本当にそう思えてくるから不思議」
「それなら良かった」
怜が軽く笑うと、桜彩も少しだけ肩の力を抜いて微笑んだ。
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ホテルのロビーを抜け、案内表示に従って歩くと、正面に『クリスマス・スペシャルビュッフェ』と金色の文字が掲げられた看板が見えてきた。
会場の入り口には赤いカーペットが敷かれ、両脇の柱には深紅のリボンと金色のベル。
磨き上げられた床の反射に、二人の姿が柔らかく映り込んでいる。
「……ここの、ビュッフェ……?」
桜彩が思わず小声で呟く。
入口の前に立つ桜彩の肩は、やはり緊張からか少し強張っているようだった。
中からはカトラリーの澄んだ音、軽やかなBGM、そして料理の香りがふわりと流れてくる。
「そう。ここだよ」
怜は頷き、封筒を桜彩へ見せる。
表にはホテルのレストランのロゴが印刷されており、中には若葉から貰った招待券が入っている。
「怜のお母さんが監修してるんだよね?」
「ああ。ここの知り合いで、メニュー開発を手伝ってるらしい。その伝手で招待券を渡してくれた。さっきも言ったけどさ、そこまで格式高いわけではないからな」
「うん……。でも、ちょっとだけ背筋が伸びちゃう感じがするよ」
桜彩はマフラーを外して畳むと、バッグの中にそっとしまった。
その仕草ひとつにも、普段より丁寧さが宿っている。
怜はそんな桜彩の横顔を見て、小さく微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
入口の前に立つ受付係が二人に気づき、柔らかな笑みで頭を下げる。
「こんばんは。ご予約のお客様でしょうか?」
「はい。こちらでお願いします」
怜が封筒から券を取り出して差し出すと、係の女性が丁寧に受け取った。
「はい、ありがとうございます。少々お待ち下さい」
しばらくすると、先ほどの女性が別の男性を連れて戻って来た。
「光瀬様。ご無沙汰しております。ようこそいらっしゃいました」
「はい。母からこの招待券を貰って、今日は彼女と来ました」
「承知いたしました。新城先生には、いつもお世話になっております。どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ」
スタッフは丁寧に頭を下げ、会釈を返す。
「お待たせいたしました。お席までご案内いたします」
最初の女性がにこやかに微笑、店内へと案内してくれる。
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会場の中へと一歩足を踏み入れると、そこはまるで光の海だった。
天井から吊るされた無数のライトが、ワイングラスや皿の縁で反射してきらめいている。
テーブルクロスは深いボルドー。
中央には小さなキャンドルと先ほど植物園で見たポインセチアの花が飾られ、穏やかな炎がゆらめいていた。
「……凄い。まるで映画みたい」
スタッフの後をついて歩く間、桜彩はそわそわと辺りを見回す。
壁際には小さなツリーまで飾られており、先ほどの植物園とはまた違った良さが感じられる。
料理のコーナーにはローストターキー、グラタン、焼きたてのパン。
ガラス張りの厨房の奥ではシェフ達が忙しなく手を動かし、白い湯気が立ちのぼっている。
「……なんか、凄く良い香り。これ全部、怜のお母さんが監修してるの?」
「一部だけな。特にデザートと前菜のコーナー。母さん、味のバランスにうるさいから」
「ふふっ……想像できるかも」
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案内されたのは、窓際の二人用テーブルだった。
高層階ということで、遠くには先ほどまでいた植物園の明かりが小さく見える。
ガラス越しに街の明かりが瞬き、冬の夜景を静かに彩っていた。
この景色だけでも特別な夜が感じられ、来て良かったと思える。
「こちらのお席でございます。お食事はお好きなタイミングでお取りください。それでは失礼いたします」
「「ありがとうございます」」
スタッフが一礼して去ると、桜彩はそっと息をついた。
「……ねぇ怜、本当に凄いよね」
「まあ、たまにはこういうのもな」
「うん。なんか……夢みたい」
怜も桜彩もこのような店や、これ以上の高級店にも何度も入ったことがある。
しかし、それはいつも家族と共に。
こうして恋人として、少し背伸びをして過ごすのはこれが初めて。
「店内の雰囲気も、とっても穏やかでさ」
「気に入った?」
「うん。なんか、本当に特別なクリスマスって感じ」
そう言って桜彩は嬉しそうに椅子へと腰を下ろした。
怜もその隣に座り、胸の奥で静かに息を整える。
これから始まる、少し大人びたディナー。
いつもより少しだけ特別な時間が、二人の前に静かに広がっていた。




