第477話 植物園① ~ヒヤシンスとサクラメン~
しばらく歩くと本日の目的地の一つである植物園の門が見えてきた。
クリスマスの植物園というのは、言葉を選ばずに言えば若干マイナーではある。
だが逆に人混みが得意でない怜と桜彩にとっては、ゆっくりと過ごすことができる穴場だ。
ガラス屋根の温室や大きなツリー型の装飾が傾きかけた夕日に照らされてきらりと輝いている。
街路のイルミネーションもいつの間にか灯が増え、冬の空気を一層幻想的に染めていた。
「もうすぐ着くね」
植物園を指先ながら、桜彩が弾んだ声を上げる。
怜も待ちきれずに少しばかり速足になる。
「楽しみだな」
「うんっ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
近づくと、門の前には小さな雪だるまや星型のイルミネーションが並び、柔らかい光が道を照らしていた。
怜は思わず息を呑む。
「わぁ……、綺麗……」
桜彩の目も輝き、少し肩をすくめながらも自然に笑みがこぼれる。
怜も微笑み返すと、言葉より先に自然に肩が触れ合った。
静かに門をくぐると目の前には園内の小道が広がっている。
温室の光が道を照らし、少しばかり温かい空気が漂っているように感じる。
入り口近くの小道には小さなランプが等間隔で並び、入口と同様に光が足元を照らしている。
木々や低い植え込みにはクリスマスの飾りや星型のライトが置かれ、光がキラキラと揺れていた。
「ねえ、怜。あそこ、見て」
桜彩が指差すのは、小さな温室の前に置かれたイルミネーションツリー。
光を受けて雪の結晶型の飾りが瞬き、まるで夜空の星が降りてきたかのようだ。
「……凄いな」
怜が桜彩の手を握り直すと桜彩は恥ずかしそうに小さく笑い、怜の腕に顔を寄せる。
二人でゆっくりと温室へ足を踏み入れる。
中は外の寒さを忘れるほどに暖かく、色とりどりの植物が優しく光に包まれていた。
葉の間から差し込む光が二人を照らし、まるでこの空間だけ時間が少しだけゆっくり流れているかのようだ。
「ねえ、怜……。一緒に来て良かった」
「俺もだよ」
怜はそう言いながら、そっと桜彩の肩を抱く。
その温もりに桜彩も安心したように身を寄せ、二人の距離は更に自然に近づいた。
「わぁ……ヒヤシンス、こんなにたくさん」
桜彩が立ち止まり、色とりどりのヒヤシンスの花壇を見つめる。
白、桃、紫、そして青。
整然と並ぶ花達が優しく咲き誇っていた。
花の香りがふわりと広がり鼻へと届く。
桜彩がしゃがみこんでヒヤシンスの説明書きを眺め、笑顔で振り向いた。
「ねえ、これ見て。ヒヤシンスって色によって花言葉が違うんだって」
「おっ、ホントだ。えーっと、青は『誠実』『変わらぬ愛』……」
「うん。まるで怜みたいだね」
「えっ?」
桜彩は柔らかく微笑みながら、青い花を見つめる。
その横顔が、花よりも静かに美しくて、怜は思わず息を呑んだ。
「ほら、怜は誠実に私に向き合ってくれたでしょ? だから私も怜に心を開いていったんだし、それに変わらぬ愛だって……」
クスリと笑いながら上目遣いで桜彩が告げる。
その仕草が可愛らしくて、怜は胸の奥がじんわりと熱くなった。
けれど正面から見つめ返すのが気恥ずかしくて視線を逸らすとそれに気が付く。
「それじゃあ桜彩はピンクだな」
「え?」
「ほら、『しとやかな可愛らしさ』『幸福』って書いてあるだろ?」
桜彩は一瞬ぽかんとしたあと、頬を少し染めて笑った。
「もう……、そうやって言うの、ずるいよ」
笑いながらも少し拗ねたように唇を尖らせる。
ただそれでも嬉しそうにしているのは充分すぎるほど分かるし、それを見て怜も笑ってしまう。
「白も綺麗だね」
そう言いながら、桜彩はそっと花に指を伸ばした。
「『控えめな愛』って書いてある。なんだか、少し奥ゆかしい感じ」
「これはちょっと違うかな?」
「あはは。確かに私も怜も、これは少し違うかも」
「控え目なんかじゃない、ちゃんと桜彩のことを愛してるから」
「うん。私も怜のこと、いーっぱい愛してるよ」
二人で笑い合って、次の説明へと移る。
「じゃあ、黄色は?」
「『あなたとなら幸せ』……だって」
「まさに俺達だな」
「うん。怜と一緒で私、とっても幸せ」
二人でその文字を眺め、少しだけ恥ずかしそうに微笑む。
「……良い言葉だね」
桜彩は目を細め、ほんの少し体を寄せた。
ヒヤシンスの花言葉を一つずつ確かめ、互いに微笑み合った余韻を胸に、ゆっくりと温室の奥へ歩き出した。
足元の小道は柔らかな照明に照らされ、ガラスの壁に反射する光が幻想的に揺れる。
花の香りがふわりと漂い、隣を歩く桜彩の髪にそっと触れた風が、甘く温かく感じられる。
「ねえ、次はシクラメンのコーナーだよ」
桜彩が嬉しそうに指さす先には、赤やピンク、白のシクラメンが色鮮やかに並ぶ一角。
冬の寒さの中でも、鮮やかな花色が温室の光に映えて輝いていた。
「わぁ……。こっちも綺麗だね」
怜も足を止め花々を見渡す。
赤いシクラメンの花びらが、クリスマスの象徴でもある赤色と重なる。
「シクラメンの花言葉、知ってる?」
桜彩はそっと囁くように問いかける。
「うーん……確か、赤は『嫉妬』とか……?」
「うん、でもね、全体としては『思いやり』『温かい心』って意味があるんだって」
桜彩は柔らかく微笑み、赤い花に手を伸ばす。
「えへへ。まさに怜にぴったりだね。一緒にいるだけで優しい気持ちになっちゃうんだもんっ」
怜は少し照れくさそうに視線を逸らしながらも、桜彩の手にそっと重ねた。
「桜彩だってそうだぞ。桜彩がいたからこそ、今、こうして俺は前に進むことができたんだからな」
「あはは。それなら私だってそうだよ」
お互いにお互いのトラウマを解決して、そして傷を癒して。
「お互い、思いやれる関係ってことだな」
「うん。怜と一緒だと、ほんとに温かい」
シクラメンのコーナーをゆっくりと歩き、色とりどりの花に目をやりながら会話を続ける。
白いシクラメンの前で桜彩が立ち止まり、柔らかく手のひらで花を包む。
「白は『純粋な愛』『清らかな心』だって。これも良いよね」
「ああ、確かに」
怜も自然と微笑む。
温室の中に広がる静かな空気が、二人の距離を少しずつ縮めていく。
「ねえ、せっかくだしさ、写真撮ろうよ」
桜彩は嬉しそうに手を伸ばすと、怜も隣で手を重ねた。
二人の指先が触れ合い、ぴたりと寄り添う。
スマホのカメラを構え、花に囲まれて肩を寄せる。
「はい、チーズ」
「……あ、桜彩、表情硬いぞ」
「だ、だって……!」
怜はそっと桜彩の肩に手を添え、優しく微笑んだ。
「ほら、リラックスして」
桜彩は小さく息を吐き、やっと視線をスマホに向ける。
「……うん」
二人で体をくっつけてシャッターを切る。
「できた! 見て見て!」
「おっ、良い感じだな」
桜彩は写真を確認して、にっこり笑う。
その笑顔に、怜も自然と笑みを返す。
「……やっぱり、こうやって一緒にいると落ち着くな」
「うん、怜と一緒だと、心まで温かくなる」
青いヒヤシンスの『誠実』『変わらぬ愛』、ピンクの『しとやかな可愛らしさ』『幸福』、黄色の『あなたとなら幸せ』、それぞれの花言葉が、今の気持ちをそっと代弁してくれているようで。
温室の中で、色とりどりの花々に囲まれると、言葉にしなくてもお互いを思いやる気持ちが胸にじんわりと広がる。
シクラメンの『思いやり』や『温かい心』は、二人の関係そのものみたいで。
手を繋ぎ肩を寄せ合いながら歩くたびに、花の香りと温かさが重なり合い、外の寒さが遠くに感じられた。
変わらない気持ちを大切にして、これからも一緒に歩いていきたい――そんなことを、自然と心の中で呟いていた。
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