第411話 ウサギの出産② ~予想外のトラブル~
四羽目までは順調に生まれてきたのだが、五羽目がなかなか出てこない。
母ウサギは苦しそうに息を荒げ体をよじっている。
「……これ、産道が詰まってる……? どうすれば……」
「ど、どうすればって……、そ、そんなの…………」
予想外の事態が発生してしまい、頭が混乱してしまう。
「と、とにかくこのままじゃ……。ど、どうする……? ひ、引っ張り出す……?」
「蕾華、待った!」
混乱しながら母ウサギへと手を伸ばそうとした蕾華の肩に、怜は慌てて手を掛けて止める。
素人が無理に引っ張ろうとすると、母子共々死に繋がってしまう。
「れーくん……?」
「ストップ! それは絶対に駄目!」
「だけど、このままじゃ…………!」
「落ち着け。こういう時のことはちゃんと考えてただろ」
ウサギは安産が多いとはいえ、こういったことを想定していなかったわけではない。
その時のことを考えて、四人共予習だけは充分に済ませてある。
「絶対に助ける! あの時は駄目だったけど、今回は――」
怜の脳内に、八年前の記憶が蘇る。
小学生の時、ウサギ小屋で遭遇した惨劇。
あの時は、手の中で絶命したウサギを抱えたまま、何もできなかった。
だが、今は――
「怜…………。うん、そうだよね! 」
怜の横に腰を下ろした桜彩が、励ますように力強く頷く。
それを見て陸翔と蕾華も一度大きく深呼吸をする。
「そうだな。こんなケースも一応考えてはいたな」
「うん。ありがと、れーくん。もう大丈夫、落ち着いた」
「よし。それじゃあまずは先生の所へ電話する」
まず必要なことは、専門的な知識を持つ人へこの状況を伝える事。
下手に素人がどうこうするよりも、よほど安全だ。
幸也が電話に出るまでに、怜は簡単に指示を出す。
「陸翔、おじさんに車出してもらえるように頼んでくれるか?」
「分かった!」
怜の指示を聞くと陸翔はすぐに駆け出していく。
動物病院へと連れて行くことを考えれば、徒歩よりも車の方が圧倒的に早い。
「蕾華。段ボールがあったから、そこにタオル敷いてくれ」
「分かった! 待ってて!」
ウサギを抱えて車に乗るわけにもいかないので、それ用のケースを仮作成する必要がある。
タオルを敷くことで、体温の低下を防ぐことにも繋がる。
(この後は……)
何も焦る必要はない。
後は専門である幸也の指示に従えばそれで良い。
そう考えて怜はスマホが繋がるのを待――――――――
(え…………?)
耳元のスマホは電子音が聞こえたまま、通話状態に移行しない。
(なん……で…………?)
慌てて掛けた先を確認するが、間違いなく幸也の動物病院へと掛けている。
「怜、大丈夫?」
「………ああ、大丈夫だ」
心配する桜彩の言葉がどこか遠くのように聞こえる。
しかし一向に繋がらない電話に、怜はよりいっそう焦燥感が生まれてしまう。
「……大丈夫、落ち着け……」
母ウサギの背を撫でながら、言葉にして自分を落ち着かせようとする。
だが、胸を撫でる手はじっとりと汗ばみ、鼓動はどんどん速くなる。
視界が狭まり、耳鳴りがする。
(もし間に合わなかったら、このまま親子ともども死んでしまったら――)
あの時の無力感が、喉元までせり上がってくる。
八年前に助けられなかったあの時のことが脳裏をよぎる。
(いや、今回こそは……!)
そう決意を震わせる怜だが、それとは裏腹に手の感覚が鈍くなっていく。
頭が働かない。
何かしようと思っても身体が動かない。
胃の中の物が喉へとせりあがって――
「怜」
隣から聞こえるその優しい声に、不快感が消えていく。
気づけば、桜彩がすぐ横にしゃがみ込んでいた。
両手を伸ばして、怜の手をそっと包んでくれる。
「……大丈夫。全部、ちゃんとできてるよ」
その声は、泣き出しそうなほど優しかった。
今にも崩れそうな俺の中に、静かに染み込んでくる。
「陸翔さんや蕾華さんに指示を出して。ウサギのこと、ずっと考えてる。……だから、深呼吸しよう?」
怜の手を抱んだまま桜彩の両手がゆっくりと怜の胸を撫でる。
まるで心臓のリズムを取り戻すかのように。
「……っ、ああ……」
怜は目を閉じ、桜彩に合わせて一緒に深く息を吸う。
空気が肺に入っていく。
先ほどまで暴れていた心拍が、少しずつ落ち着いていく。
歪んでいた景色が、今ははっきりと形を成している。
「落ち着いた?」
「ああ……。ありがとな、桜彩」
「ううん。私も怖かった。でも……怜が隣にいてくれて、すごく安心したんだよ?」
柔らかく微笑むその顔を見て肩の力を抜けた気がした。
『藤崎動物病院です。この番号は怜君かな?』
その時、スマホから待ち望んだ声が聞こえてきた。
「はい! 今、虹夢幼稚園にいるんですが、ウサギの出産中にトラブルが起きました!」
『うん。分かった。詳しく教えて貰えるかな?』
「はい。四羽目までは問題なかったんですが、五羽目になって――」
慌てず焦らず、一つ一つ冷静に頭の中で考えた言葉を口に出していく。
「れーくん! 段ボール持ってきた!」
蕾華がタオルの入った段ボール箱を持って来る。
「段ボールの中にタオルを敷いて、そちらへ運ぼうと思うのですが大丈夫ですか?」
『うん。焦らないでね。無理やり引きずり出したりせずに、とにかく安全に運んで来てください』
「はい。……蕾華、その中に母ウサギをゆっくりと入れて」
「分かった」
蕾華がその中に母ウサギをそっと降ろし、その体を優しく撫でる。
「もうちょっとだよ。がんばろうね……!」
母ウサギへと桜彩が呼びかける。
「怜! 車準備できたぞ!」
遠くから陸翔の叫ぶ声が聞こえてきた。
ゆっくりと頷いて、三人揃って車の方へと向かう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
もう迷わない。
この命を、全力で運ぶ。
そして、必ず助ける—。
あの時の悲劇を二度と繰り返さないように。




