第135話 『クールさん』は『食うルさん』?
ドキドキする心臓を必死に抑えながら、二人は公共交通機関を乗り継いで目的地へと向かう。
最初こそぎこちなさが残っていたものの、少し時間を置けばいつも通りの仲の良い二人に戻って行った。
バスの中では二人並んで楽しくおしゃべりをしているところを、同じバスに乗っていた老夫婦に温かい目で見られていたことを本人達は知ることはない。
出発して一時間、長いようで短かった道のりが終わり、ついに目的地へと辿り着く。
誰でも無料で入ることの出来る大型の公園。
少し離れた所には小川も流れており、またアスレチックなどもある為に様々な用途で利用可能な人気スポットだ。
別のスペースには有料のテニスコートや弓道場、多目的ホール等も備えている。
この辺りではピクニックスポットとしても有名で、昨晩二人でピクニックの場所を調べた際にここにしようと決めた。
「うーん。風が気持ち良い!」
「ああ。天気も良いし絶好のピクニック日和になってくれたな」
「うんっ! 実はね、昨日怜別れて自分の部屋に戻った後、必死に空に向かってお願いしてたんだ。天気予報では晴れだったんだけど一応ね」
クスッと笑いながらそう告げる桜彩。
そんなところまで気にしてくれて、楽しみにしてくれたことがやはり嬉しい。
「そっか。実は俺もなんだ。てるてる坊主作って窓際につるしておいた」
「ふふっ。怜もそんなことしてたんだね」
「非科学的だと分かってはいるんだけどな」
「でも嬉しいな。怜も今日を楽しみにしてくれて」
「そりゃあ楽しみにしてたさ。桜彩と一緒に出掛けるんだからな」
「うんっ。私も怜と一緒にお出かけするの楽しみだったんだ」
お互いに笑い合いながら公園の中へと入っていく。
「まあまあ人も多いけど、これくらいなら問題なさそうだな」
「うん。人がいっぱいでお弁当食べれなかったらどうしようかな、とも思ったけど大丈夫そうだね」
「そうだな。それに自分達以外に人が少ないのもそれはそれで物寂しいしな」
「だね。雰囲気も含めてパーフェクトだよ」
周囲を眺めながら嬉しそうに遊歩道を歩いて行く。
時折すれ違う人達は年齢も性別もまばらで、家族連れや愛犬の散歩、中にはカップルで訪れているであろう若い男女も何組かいた。
(……もしかして、俺と桜彩もそんな感じに見られてるのかな?)
(……もしかして、私と怜も恋人みたいにみられてるのかな?)
普段だったら全く考えないようなことが、ふと頭の片隅をかすめる。
(そういえば、猫カフェでも恋人だと間違われたよな)
(そういえば、猫カフェでも恋人だと思われたよね)
怜のトラウマを克服する為に二人で訪れた猫カフェ。
あの時も店員には恋人同士だと思われて、ツーショットまで撮ってもらった。
(あの時、不審がられないように彼氏だって言っちゃったんだよな……。それに、桜彩も嫌じゃないって……)
(あの時、どうしようって困ってた私の為に、怜が彼氏ですって言ってくれたんだよね……。それに、私も嫌じゃないって……)
当時のことを思い出して、顔が赤くなる。
「――っと、すいません」
「ごめんなさい」
お互い楽しそうに笑みを浮かべて仲が良さそうに歩くカップルとすれ違う。
相手のカップルはお互いの顔ばかりを見て歩いている為、危うくぶつかりそうになる。
相手の注意不足に気付いていた怜が桜彩の肩を自分の方へと引き寄せてぶつかることは避けられた。
そこではじめて相手もこちらとぶつかりそうになったことに気が付いたようだが、不思議と怒る気持ちにはなれず、そんなところも含めて微笑ましく思ってしまう。
「ふう、危なかったな」
腕の中へと倒れるような形になって寄りかかる桜彩へと顔を向ける怜。
「あっ……!」
一方で桜彩の方は、突然引き寄せられたことに驚いて言葉が出ない。
(えっ……? れ、怜、ど、どうしたのかな……?)
見方によってはいきなり抱きしめられる形になった桜彩。
突然のことに思考が回らない。
「え、えっと……怜……?」
まだ事情の呑み込めていない桜彩が、混乱しながら怜を見る。
「大丈夫か? とっさに引き寄せたけど、怪我してないよな?」
「え? ええっと……」
怜に肩を抱かれたまま後ろを振り返る桜彩。
そこでやっと怜の行動の意味に気が付く。
「あっ、た、助けてくれたんだね。ありがとう、怜。私は大丈夫だよ」
「気にするなって。まあ、仲が良いのは構わないけど、もう少し周囲には気を配ってほしいとは思うよな」
ぶつかりそうになった相手が自分達だったから良かったものの、相手によっては面倒なことになってもおかしくはない。
フィクションでは怖い人の服にジュースやアイスを付けてしまい、トラブルに巻き込まれるのがテンプレだ。
そんなことを思いながら口をついた怜の言葉をもし陸翔あたりがを聞いていたら『お前が言うな』と突っ込んでくるだろうが。
怜も桜彩も少し焦るとすぐに自分達の世界に入り込むし、先日桜彩が帰省する際には駅で周囲を気にせずにいちゃついていた。
近所のスーパーで仲良く買い物をする時にも顔見知りとなった店員に微笑ましく(一部恨めしく)見られている二人に言える台詞ではない。
「でもありがと。怜は私が困ってるといつも助けてくれるよね」
「ああ。桜彩が困ってるんなら絶対に力になるからな」
「ふふっ。私も怜の力になるからね」
もうこの時点でこの二人は周囲の人々の存在を忘れかけている。
そんな甘い雰囲気を出しながら、二人は公園の奥へと歩いて行く。
途中、愛犬の散歩をしていた親子を前方に見かけると、その犬がすれ違いざま怜の方へと寄って来た。
こういった所でも動物に好かれる怜の体質が存分に発揮される。
「ワンッ!」
「わっ!」
「あっ、す、すみません、大丈夫ですか?」
怜の足にじゃれついてくる犬のリードを引きながら頭を下げる母親。
「いえ、大丈夫ですよ。気にしないで下さい」
「ワウッ!」
怜も犬の頭を軽く撫でると、撫でられた犬が気持ち良さそうな鳴き声を上げる。
相手の親子と軽く頭を下げあってその場を離れると、桜彩が優しく笑いかけてくる。
「ふふっ。やっぱり怜って動物に好かれるね」
「まあな。昔はこの体質が生殺しだったけど、桜彩のおかげで今は本当に嬉しい」
動物好きだが動物に触れなかった怜。
そんな怜によく動物が群がってくる為に、その度に辛い思いをしていた。
そのトラウマを桜彩が救ってくれた為、もう大好きな動物と存分に触れ合うことが出来る。
「前にも言ったけど、それは怜が頑張ったからだよ」
「でも桜彩がいなければ頑張れなかったさ」
「ふふっ。なら私も嬉しいな」
そんなことを話しながら二人は先へと進んでいく。
まだ昼食には少し速い為に、なんの目的もなしに公園内をゆっくりと散策する。
途中、園内を流れる小川の上に作られた木製の遊歩道の上を歩きながら小川を見ると、たまに鯉が顔を出していた。
「あっ、見て! あそこにお魚さんがいる!」
少し離れたところで水面に口を出してパクパクと動かしている鯉を見つけた桜彩が、手すりに手を掛けて身を乗り出しながら興奮したように指を差す。
「そうだな。あの動きはなんだろう。餌でもねだっているのかな?」
怜も桜彩の横に並ぶと何匹かの鯉が二人の方へと寄って来た。
ふと少し離れた所に鯉の餌という自動販売機が設置されているのを見つける。
おそらくここを訪れた客がたまに餌を与えている為に、人を見かけたら顔を出すのかもしれない。
「お魚さんもお腹が空いてるみたいだね。もうすぐお昼時だからかな?」
「かもな。ってそんなことを話してたら俺も少しお腹が空いてきたよ」
「ふふっ。実を言うと私も。もう朝からずっと怜のお弁当が楽しみだったんだから」
小川の方を見ていた桜彩が体ごと怜の方へと振り向いて笑みを浮かべながらそう言ってくれる。
「朝からか? この前、ピクニックに行こうってメッセージを送ってからずっとだと思ってたんだけどな」
桜彩に見とれてしまいそうになり、照れくささから少し意地悪なことを言ってしまう怜。
すると桜彩は少しだけ頬を膨らませて怜のことを軽く睨む。
「むーっ。怜、そんなことを言うんだ?」
「あれ? 違うのか?」
「違わないけどさ。でもそれじゃあ私が食いしん坊みたいじゃん」
今度は拗ねたように顔をプイッと横に向ける。
コロコロと変わる表情がとても愛らしい。
「あれ? 俺は結構前から桜彩のことを食いしん坊だと思ってるんだけどな。だってさ、転入初日からクラスではあんなにクールっぽかったのに、リュミエールではほとんど終始笑顔だったじゃん」
「むーっ。そ、そうかもしれないけど……」
ナンパから助けられた後、怜と二人でリュミエールへと向かってそこである程度打ち解けたことを思い出す。
「だろ? なんか俺の中では桜彩は『クール』ってより食べる方の『食う・ル』なんだよな」
『クー』のイントネーションを変えて笑いながらそう言う怜。
すると桜彩がむっ、と頬を膨らませる。
「く……クールじゃないのはそうだとしても『食うル』って……。むーっ、もう怒った。だったら本当に『食うル』になってやる!」
「わっ!」
そう言って桜彩が怜が持っていたトートバッグを半ば強引に奪い取る。
もちろん中には怜特製のお弁当が入っている。
「どうせ私は食うルだよ! だからこのお弁当、全部一人で食べてやるんだから!」
ツーン、といった感じでトートバッグを抱えてそっぽを向いてしまう桜彩。
もっとも桜彩としても自分が食いしん坊であることは多少なりとも自覚しており、本気で怒っているわけではないのだが。
「わっ! 待った! ごめん!」
怜としても桜彩が怒っているわけではないことは分かるが慌てて謝っておく。
「ダメ! 許さない!」
「そこを何とか!」
「ふーんっ!」
両手を合わせて拝むように謝る怜。
さすがに本当に全部桜彩に食べられるということはないだろうが、このままではその大半を食べられてしまうかもしれない。
怜としても今日のお弁当は自信作なので食べるのが楽しみだ。
「ふんだ!」
そう言ってお弁当の入ったバッグを抱えて少し足早に進もうとする桜彩。
しかし足下がおろそかになっていたのか、木製の遊歩道から地面へと変わる箇所でつまずいてしまい体勢を崩してしまう。
「あっ!」
「危ないっ!」
慌てて怜が桜彩を抱きしめるようにして引き寄せる。
今、自分の身に起こった危険に桜彩は少し顔を青くして驚き、怜の方を見上げる。
「あっ、ご、ごめんね、怜」
「あ、いや、俺の方こそ……」
「う、ううん。べ、別に私も本当は怒ってたわけじゃなくて、ただ怜とこういったやり取りをするのがなんていうか楽しかっただけなんだけど……」
それは怜にも良く分かる。
桜彩が怒っていないのはもちろん分かるし、そんな桜彩とのやり取りも楽しかった。
「桜彩が怒ってないのは分かってるって。俺も楽しかったしな。でもさ、もうちょっと気を付けてくれよ」
「う、うん、ありがと……。でもまた怜に助けられちゃったね」
「気にするなって。桜彩が困ったらいつでも助けるって言ったろ?」
その言葉に桜彩も表情を崩して二人で笑い合う。
「うんっ、ありがと。それじゃあお礼にこのお弁当を一緒に食べることを許してしんぜよう」
「ありがたき幸せ」
そんな軽口と共に笑い合いながら、二人は昼食を食べる為のスペースへと向かって行った。




