第105話 間接キスと膝枕
「ふう……」
「大丈夫か? 疲れた?」
「あ、うん。少し」
しばらく四人でバドミントンを楽しんでいたのだが、他の三人に比べてさすがに桜彩が疲れが見えた。
その綺麗な肌には少しばかり汗が滲んで光っている。
本格的に動いたわけではないので汗だくというわけではないのだが。
「はい、桜彩」
「ありがと、怜」
持ってきていたハンドタオルを桜彩に渡すとそれで汗を拭う。
首の後ろを拭こうと髪をかき上げた時、その健康的なうなじに一瞬目が行ってしまい、怜の鼓動が少しばかり速くなる。
「ふう。ありがとね」
「い、いや、どういたしまして」
渡されたタオルは桜彩の汗で少し湿っており、それがまた怜をドキッとさせる。
「少し休憩するか?」
「あ、うん。でも……」
チラッと陸翔と蕾華の方を桜彩が気にするように見ると、二人は気にするなと首を振る。
「構わないって。少し休んできなよ」
「そうそう。さやっちを含めてみんなで楽しむのが目的なんだからな。無理する必要なんてないって」
「ありがとうございます。それでは少し休んできますね」
「俺も付き添うよ。飲み物飲みたいし」
陸翔と蕾華はバドミントンを続けるようで、二人を置いて怜と桜彩は休憩の為にバーベキューのスペースへと戻る。
ついでに三匹も寄り添う形で一緒に戻っていく。
「ありがとう、怜。でも良いの? 私のことは気にしないで二人と遊んでても良かったんだよ」
「別に気にしないで良いって。さっきも言った通り俺も一息つきたかったしな」
バドミントンを続けている陸翔と蕾華を見ながら二人でベンチに腰を下ろして持って来たスポーツドリンクを飲む。
それを桜彩に渡すと同じように桜彩もペットボトルに口を付ける。
(あっ……。よく考えたらこれ……)
怜が飲んでいたペットボトルをそのまま桜彩へと渡した為、これは間違いなく間接キスだ。
驚いたような怜の視線に気が付いて、桜彩も少し考えこむと、すぐに同じことに気が付いて顔を赤くする。
「え、えっと……」
「う、うん……」
怜の目が桜彩の手に持たれたペットボトルの飲み口へと向き、そして桜彩の唇へと向く。
なんだか目が離せない。
「ご、ごめんね。気が付かなくて……」
「いや、俺も気が付かなかったし……。それに謝られることじゃないから」
「う、うん。私もその、嫌じゃないし……」
「…………」
「…………」
お互いの顔を見たまま会話が止まってしまう。
「そ、それじゃ、お互いに気にしないってことで!」
「う、うん! そうだね!」
無理に大きい声を出して気持ちを切り替える二人。
(そ、そうだよな。間接キスくらい、もう何回かやっちゃってるし……今更気にすることでもないよな!)
(も、もう何回もあーんとかやっちゃってるし。それに怜となら私も嫌じゃないし……別に気にしないでも良いよね)
そして桜彩は再びペットボトルへと視線を向けると、まだ中身が残っていることを思い出す。
「そ、そうだ。怜もまだノド乾いてるでしょ? まだ残ってるから飲んで!」
そう言ってグイッとペットボトルを押し付けてくる。
「き、気にしないんだよね!」
「そ、そうだな!」
桜彩から受け取ったペットボトルの口に目を向けて、一気に自分の口へと持っていく。
そのまま中の液体を口の中へと流し込む。
「う、うん。美味しい……」
「そ、そう。良かった……」
こうして二人はお互いに間接キスでスポーツドリンクを飲むこととなった。
「バウッ!」
すると三匹が自分達のことを忘れるな、とばかりに二人に、正確には怜の方へ身を寄せた。
寄って来た三匹の身体を撫でてあげると、三匹とも嬉しそうにのどを鳴らす。
「むぅ……」
三匹を撫でていると桜彩が少し不満そうな目でこちらを見てくる。
「良いなあ。こんなに好かれて」
「いや、そう言われてもな」
別に怜が何かをしている訳でもない。
もちろん好かれるのは嬉しいのだが。
「ほら、桜彩も撫でてみろって」
「う、うん」
怜の膝の上に乗るクッキーへと桜彩が手を伸ばして撫でる。
「な~」
しかし撫でられたクッキーは一鳴きすると、すぐに怜の方へと顔を寄せた。
「うぅ……」
「…………」
悲しそうに顔を吸伏せる桜彩に対して何と言っていいか、言葉が見つからない。
しばらくして顔を起こしたかと思えば恨めしそうな表情で怜を見る。
そこでふと持って来たものを思い出した怜がポンと手を打つ。
「あっ、そうだ。アレがあったな」
「あれ?」
「ああ、ちょっと待って」
一緒に持って来た荷物の中から目当ての物を取り出して桜彩へと渡す。
細長いパウチから絞り出す液状タイプの猫用、犬用のおやつだ。
事前に陸翔と蕾華に与えて良いか確認もしてある。
「ほら。これを食べさせてみて。あ、開け方は分かるか?」
「う、うん。動画で見たことがあるから」
このおやつはかなり有名であり、これを食べている猫の動画もかなり人気が高い。
猫好きの桜彩なら当然チェックしている。
「それじゃあ開けるね……わっ!」
その存在を認識したクッキーとケットが桜彩目掛けて飛びついていく。
いきなり二匹にもみくちゃにされて、桜彩はそのまま後方へと押し倒された。
「ちょ、ちょっと待って、待ってってば! すぐに開けてあげるから、クッキーちゃんもケットちゃんも落ち着いて!」
「ニャッ!」
「フッ!」
まだ開けてもいないそのおやつを早くよこせと二匹がかりで桜彩へと絡んでいく。
怜もスマホを取り出してそんな桜彩の姿を写真に収めていく。
困ってはいるようだがそれでも顔は笑っており大きな声ではしゃいでいる。
「ちょ、ちょっと怜、撮ってないで助けて! こ、こら、ちょっと……!」
「いや、桜彩が楽しそうだし良いかなって」
もちろん現時点で助けるつもりはない。
「た、楽しいのは楽しいけど! きゃっ!」
「分かったって、クッキー、ケット、落ち着いて」
怜の言葉に二匹は桜彩から離れて怜の方へと向かう。
「ほら、桜彩」
手を差し出すと、桜彩がおやつを持っていない方の手で怜の手を掴んで体を起こす。
起き上がった桜彩は少し不満げに怜を睨んでくる。
「むーっ」
「悪かったって」
「嘘。顔が笑ってる。怜、絶対に悪かったって思ってないでしょ」
「まあな」
すぐに助けてくれなかったことに対して桜彩が頬を膨らませる。
そんな桜彩も可愛らしく思えて笑いながら答える怜。
実際に桜彩の可愛いところを楽しんでいたので桜彩の言う通りだ。
「怜、ひどいなあ。私が困ってるところを見て楽しんでたんだ」
「困ってはいたけどさ、実際のところ、桜彩も楽しかっただろ?」
「う、そうだけどさ……」
「なら良いじゃんか。ほら、桜彩も笑顔だろ?」
怜が差し出したスマホには楽しそうに笑いながら二匹に乗られている桜彩の写真が写っている。
これは誰がどう見ても楽しんでいるだろう。
この表情を実際に見ているのが自分だけだというのがなんだか嬉しく感じる。
「ニャアッ!」
「フカーッ!」
すると二匹がいい加減におやつをよこせと再度威嚇してくる。
「あ、ごめんね。今開けてあげるから……あっ……」
「桜彩、どうした? …………あっ」
桜彩がおやつの封を切ろうとしたところで自身の左手に目が行った。
桜彩の視線を追った怜もその事実に気が付く。
先ほど桜彩を起こした時からずっと桜彩の手を握ったままだ。
「え、えっと……ごめんっ!」
「う、ううんっ! その、別に嫌じゃないから……。わ、私こそごめん……」
二人で手を握ったまま慌てて謝り合う。
猫を撫でさせる時に手を握ったこともあった。
しかし今回は桜彩を起こした後も、意味もなくずっと握り合っていた為に二人で顔を赤くしてしまう。
「あ、えっと……」
「は、はいっ……!」
「は、離すぞ……」
「う、うん……」
少し名残惜しそうにしながらもゆっくりと手を離す二人。
まだお互いに自分の手に相手の手の感触が残っている気がしてしまい、そのまましばらく自分の手を眺め続ける。
「そ、それじゃあおやつ、あげよっか」
「だな」
おやつの封を切って二匹に差しすと、二匹が我先にと寄ってくる。
怜も犬用のおやつの封を切ってバスカーへと差し出すと、バスカーも嬉しそうにそれを舐める。
空いている方の手で三匹を撫でると嬉しそうに鳴く。
「ふふっ、可愛いね」
「ああ」
それぞれの膝の上に座りながらおやつを舐める三匹を微笑ましく眺める。
そうしていると、ぽかぽかとした陽気と三匹の温かさに触れた為か、少し寝不足気味のこともあり眠気が襲ってくる。
「くぁ……」
「怜、眠いの?」
「ん、少し……」
怜の様子に気が付いた桜彩が少し心配そうに聞いてくる。
バーベキューが突然決まったので、仕込みの為にいつもよりも早く起きることになった。
いつもの起床の時刻自体が五時半と一般的にはかなり早いのだが、それよりも早く起きることになった為に睡眠時間が足りてない。
「それじゃあ少し寝る?」
「ん、そうだな。少し休む……」
そう言って背もたれに体を預けて目を閉じるとすぐに意識が途切れた。
一方で桜彩は三匹を撫でながら怜の方へと視線を向ける。
「ふふっ、こうしてみるとやっぱり可愛いな」
横に座って寝ている怜の横顔は、こうしてみると普段の大人びている感じとは違って年相応のあどけなさがある。
コツン
そんなことを思っていると、怜の身体が桜彩の方へと倒れてきて頭が桜彩の肩へと乗る。
「くぅ…………」
小さく寝息をたてる怜。
(かっ、可愛いっ!!)
普段の姿とは違うギャップに桜彩の心が動かされる。
「そのままじゃ寝にくいよね。良いよ、体を倒して」
「ん……」
怜の身体を優しく抱えて自分の方へと倒していく。
自分の太ももの上に怜の頭を乗せる膝枕の体勢だ。
「怜、いつもありがとうね。今はゆっくりと休んで」
怜の頭を撫でていく桜彩。
髪を指で梳くと、サラサラとした感触が気持ちいい。
「にゃあ……」
「みゃぁ」
「バウ」
するとおやつを食べ終わった三匹も眠たそうに怜に寄り添っていき、そのまま怜に体を預けて丸くなる。
「ふふっ」
怜と三匹に囲まれた桜彩が幸せそうに目を細める。
そして横に置かれているトートバッグの中から小さめのスケッチブックを取り出して、膝の上で眠る怜と三匹を描き始めた。




