祝いの場
「誰その子?」
梅太郎が松陰に尋ねた。
松陰の後ろには梅太郎の知らない女の子が立っている。
恥ずかしいのか俯き加減で、時々顔を上げて梅太郎を見、視線が合って慌てて目を逸らしている。
「朱さんの娘さんのファンリンですよ。これから兄上には、彼女の絵を指導してあげて欲しいのです。ほら、ファンリン。」
「よろしく、おねがい、します、あなた」
ファンリンが松陰に習ったばかりの日本語で挨拶をした。
「朱さんの娘さんかぁ。でも、あなた? そうか、まだ言葉に不慣れなんだね。」
「いえいえ、全くおかしくはありませんよ。彼女は兄上の弟子にして許婚ですからね。」
「いい名付け?」
「またまたぁ。許婚ですって!」
「はあ?!」
梅太郎は仰天した。
武家ならば、自分の思いとは関わり無く、家の都合で婚姻するのは普通である。
しかし、異国の者との婚姻など寝耳に水だ。
「どういう事? 彼女って朱さんの娘なんだよね? 朱さんは何て言ってるのさ?」
「大いに結構。娘を宜しく、って言ってましたよ。」
「いつの間に?! それに大次が決める事じゃないでしょ! 父上だって何て言うかわかんないじゃん!」
梅太郎は半ば無駄だと悟りながらも抵抗した。
弟の顔は、何か良からぬ事を考えている時のモノである。
こんな場合、いくら自分が抵抗した所で最後には押し切られてしまう。
心から嫌がる事を押し付けられる訳ではないのが厄介なのだ。
父上を出した所で無駄だよね、とも分かっていた。
厳格な父百合之助も、何だかんだ言って弟の屁理屈に言い含められる事が多い。
父の譲れぬ部分を見越した上で大きく要求し、妥協した風に見せながら、当初の思惑を通してしまうのだ。
今回も、既成事実を積み重ねて反論させないつもりなのだろう。
自分がはっきりと断れば問題はないのだが、弟には何かと逆らえない。
それに、とファンリンを見る。
彼女は梅太郎に見つめられ、ポッと頬を赤らめ、モジモジと下を向いた。
か、可愛い……
ファンリンに見とれる梅太郎の様子に、松陰はニヤリと笑った。
『お姉様ぁ!』
台湾の若い娘達がお菊を見つけて嬌声を上げた。
女だてらに戦に参加し、大砲をぶっ放して清兵を撃退したというお菊の活躍を聞き及び、熱烈なファンとなったらしい。
纏足の娘にとっては、誰かと何かを一緒にするだけでも困難である。
それどころか、火事でも起これば逃げる事さえ困難なのだ。
男と混ざり戦に出向くなど有り得ない。
客家の娘は纏足ではないが、それ故に揶揄されてもきたし、纏足でなくても女が戦に参加するなど考えられない。
同じ纏足ではないお菊が勇敢にも出兵し、大いに活躍した事実に
勇気付けられたのだ。
戦に参加したのはお菊の本意ではないが、周りにはわかる訳が無い。
そんな娘達に囲まれ、お菊の顔は戸惑いに満ちていた。
その様子を、真剣な眼差しで見つめる三人の者がいる。
そのうちの二人は、
『ビーリン! これは商機ですよ!』
『わかるわ! でも、どうやって?』
『お菊さんの戦場での活躍を紙芝居にします。似顔絵をファンリンに描いてもらって浮世絵にしましょう! ヌイグルミの第一弾はお菊さんでもいいかもしれません! はっ?! 服を着脱出来る様にしたら、大人用のヌイグルミの完成?!』
『最後の意味がわかんないけど、面白そうね!』
松陰とビーリンは、儲けの匂いを嗅ぎつけ、興奮した。
本日上演する紙芝居で、台湾で受けるのかが判断出来るだろう。
儲けの可能性を前にし、二人の鼻息は荒い。
そしてお菊を熱心に見つめる者がもう一人いた。
思いつめた顔でお菊をじっと見つめている。
そして、ついに決心したのか、行動を起こす。
ツカツカとお菊に歩み寄り、言った。
『こんばんは、ミスお菊。ご機嫌は如何ですか?』
「あ、えーと、あなたはうぉるたーはん、やったっけ?」
『そうです、ウォルターです! 名前を覚えてくれていたとは!』
お菊に名を呼ばれ、ウォルターは歓喜した。
暫くその余韻に浸り、やおらキリッとした顔になったかと思うと、何故か才太の方に向き直り、高らかに宣言した。
『ミスお菊のナイトの座を賭けて、貴殿に決闘を申し入れる!』
今回の戦に参加したイギリス人船員の一人ウォルターが、才太に向かい、決闘を申し込んだ。
通訳された言葉を聞き、才太の眉が上がり、お菊は素っ頓狂な声を上げる。
「ほう?」
「え?」
どうやら、船の見学の際からお菊の事が気になっていたらしい。
女性でありながら戦に参加し、大砲まで扱ったお菊にすっかり惚れてしまった様だ。
お菊の警護で常に身近に控えていた才太に嫉妬し、取って代わろうというのだろう。
何だか仲が狭まった様に見えるお菊と才太の様子に、焦ったのかもしれない。
「何やら勘違いしている様だが、この様に指名されて相手にしない訳にもいくまいな。いいだろう、相手になってやる!」
「才太様?!」
才太がすっくと立ち上がった。
お菊は驚いた顔で才太を見る。
お菊を取り囲んでいた娘達は、言葉は分からないが雰囲気で察した様で、途端に色めきたった。
キャーキャーと歓声を上げ盛り上がり、衆目を集める。
人垣が才太とウォルターを囲み、固唾を呑んで見守った。
そうなってくると、黙っていられないのが江戸っ子海舟である。
火事と喧嘩は江戸の華なのだ!
「さあ、張った張った! エゲレス人の闘士ウォルターと、サッチョ族の勇士埋木才太のガチンコ勝負だよ! 体格でいえばウォルターだが、才太の修めた武術は奥が深い! ウォルターの、お菊への愛が勝るのか、才太の意地が譲らないのか、この勝負、どっちに転んでもおかしくないよ! さあ、張った!」
こうして、ウォルターと才太の異種格闘技戦が始まった。
『ゴン、お前だったのか……』
通訳の劉による「台湾版ゴン狐」が上演された。
絵は流用している。
劉は、初めは恥ずかしがっててんでお話にならない状態だったが、強制的に何度も練習を繰り返し、どうにか形になった。
結果、観客は涙に暮れた。
そして”ゴン・バージョン茶汲み人形”が動く。
『ゴンだ! ゴンだ!』
『よかったぁ! ゴンは死んでなかったんだ!』
『ゴン、賢い! 可愛い!』
薩摩藩でも見られた光景が再現され、松陰らは手応えを感じた。
「さあさあ、お立会い。ここに取り出だしたるは、かの名工田中久重が作り上げたからくり人形、その名も”弓曳き童子”だよ! 今からこの人形が、あの小さな的に向かって弓矢を当てようってんだから驚きだ! 見たらわかると思うが、中に人は入っていないし外から動かす訳でもない! 的に上手く当たれば拍手御喝采! お代は見てから決めてくれぃ!」
呼子の海舟が声を張り上げる。
からくり人形の最高傑作とも称される、”弓曳き童子”。
それをここで披露しようというのである。
折角の晴れの舞台、大いに盛り上げようということで、出し惜しみは無い。
海舟が紐を引き、ゼンマイを回す。
すると、人形は命を吹き込まれた様に動き出した。
見守る観衆は、人形の一挙手一投足に釘付けとなる。
人形は、そんな人々の食い入るような視線の中、涼やかな顔で動き続けた。
矢を取り、つがえ、的を確認するように顔を動かし、矢を放つ。
驚きと期待に膨らんだ観客の前で、人形より放たれた矢は一直線に的へと飛び、見事、当たった。
観衆からどよめきが起こる。
興奮に包まれた会場で、人形は更に矢を放ち続けた。
「これはもう少し改善したいですね……」
松陰がふと呟いた。
手にはバナナを焼いたお菓子(バナナを串に刺し、焼いて糖蜜を塗った物)が握られている。
子供らの為に屋台で買った物だ。
台湾と言えば屋台であろうが、流石にこの時代ではそこまで種類がない。
屋台の種類もそうであるが、その内容も改善できれば、と思ったのだ。
「これでも十分美味いでごわすが、どうするのでごわすか?」
既に半分近くは平らげた隆盛が、真顔で尋ねた。
余計な事を言ってしまったと若干後悔した松陰であるが、今更有耶無耶にも出来ないだろう。
隆盛の顔には、絶対に聞き出すぞ、そう書いてあった。
「バナナを焼くのは同じですが、チョコをかけたら、とっても甘くて美味いのですよ。」
「”ちょこ”ってなーに?」「何でごわすか?」
スズと隆盛が同時に尋ねた。
「えぇと、ですね、チョコというのはカカオという実の種子を焙煎して油を絞り、それに砂糖を加えて甘くしたお菓子です。口に入れると溶けて、とっても甘くて美味しい食べ物ですよ。」
「何それー! 食べたーい!」
「オイも!!」
二人は意気投合した。
南米原産のカカオは、コロンブスが持ち帰ってヨーロッパに伝えた。
当時のチョコレートは飲み物であった。
カカオを焙煎しただけの物は大変苦く、そのままではとても飲めた物ではない。
砂糖や牛乳を加え、庶民にも親しまれる様になっていった。
1828年、オランダ人のファン・ハウテンによってココアバターとココアパウダーを分離する方法が開発され、彼は更にアルカリ処理して苦味を取り除くダッチ・プロセスをも開発し、それによってチョコの普及が大いに進んだ。
イギリス人が開発する固形のチョコの登場は1847年であり、今少し時間が必要である。
「何であいつの周りには女が多いんだ? 不公平だ!」
お酒の入った利通が亦介相手に愚痴っている。
利通の視線の先には、スズ、千代、ファンリン、ビーリンに囲まれた松陰がいた。
「利通殿はどんなオナゴが好みでござる?」
「そ、それは……」
日頃は無口な利通が珍しく饒舌になっているので、亦介も話を合わせている。
松陰と同い年の利通であるが、松陰は酒を飲まないので利通に付き合っているのだ。
饒舌になってはいたが、流石に好みの女性の事を話すまで酔ってはいないらしい。
利通は顔を真っ赤に染め、口ごもった。
亦介は更に酒を勧め、ようやく聞き出す。
「む、胸が大きくて、素直で、清楚で、芯が通ってて、奥ゆかしくて、子供が好きで……」
「な、中々に注文が多いでござるな……」
利通の言葉に唖然とする亦介であった。
「日の本には侍がおる! 誰がこの国を守るっぺ!」
「ここに住む民しかいないでしょう!」
「問題は、それをどうやって形とし、維持するかだ。」
熱い男東湖が杯を手に気炎を上げた。
それに応えるのは、やはり熱い男忠寛である。
常に冷静なのは忠震だ。
尊皇という思想を編み出し、武士のあり方を考えた水戸学の大家にとっては、民しかいない台湾の独立という状況は、想定の外といってもいいのかもしれない。
しかしそれ故に、誰が国を作り守るのかといった事を考える、良い機会になっている。
旗本の家に生まれた忠寛らにとってもそれは同じ事だろう。
武士として生まれた者にとっては、仕える主君の為、藩の為、治める民の為、その命を捧げる事を求められてきた。
しかし、この台湾にはその武士はいない。
誰が政治を行い、誰が国を守る?
ここに住まう民しかいないのだ。
それを考え、彼らの議論は深まってゆく。
「国を作る、か……」
弥九郎が呟いた。
「剣に生きてきた者としては、思いもしなかった事だが……」
忠蔵が感慨深げに応えた。
武士の割合が多い薩摩藩では、下級藩士であれば畑を自らが耕しながら生活を送っていた。
しかしシラス台地では米は上手く育たず、貧しい暮らしを送らざるを得なかった。
同じ薩摩藩士でありながら、上の者からの過酷な差別にも遭い、
それもあって激烈な剣となっているのかもしれない。
「今なら、剣で立身出世も思いのままだろうよ。」
弥九郎が静かに笑って言う。
忠蔵はそれを受け、同じ様に笑った。
「くっくっく。それはいいな。何物にも縛られる事無く、己の力だけで出世を目指す、か。」
遠くを見つめ、忠蔵は口にした。
それは、今まで思いもしなかった様な考えだった。
台湾は九州程の大きさである。
それが一国として国を為すのであれば、兵力だけでも相当数を揃えねばならないだろう。
人材の足りない今、戦い方を知っている自分であれば、それ相応の働きが出来るという確信はあった。
夢などとうの昔に捨てたつもりであったが、人生とは分からぬ物よ……
胸の奥に小さな炎が灯るのを感じ、忠蔵の酒は進む。
「この”くろのめえたあ”を譲ってくれる?!」
儀右衛門が驚愕の声を発した。
エドワードが手にしていたのは、儀右衛門と蔵六が検分した、エドワードの船の西洋の時計”クロノメーター”であった。
壊れているし、広東に戻れば予備があるという事で、記念に譲ってくれるらしい。
二人が熱心に見入っていた事を覚えてくれていたのだ。
それに、迂闊には内部に手を出さなかった儀右衛門を、信頼に足る技術者だと認めれくれた様である。
”からくり人形”の作者だという事も響いていようか。
儀右衛門は全身で喜びを表し、恭しくエドワードから”クロノメーター”を受け取った。
早速蔵六と中を確認しようと道具を取りに走り出した。
耳をつんざく音を発し、ゲベール銃が火を噴いた。
体の芯にまで届く未体験の衝撃に、銃を撃った本人であるバツの顔も歪む。
その経験は想像以上のモノであったらしい。
しかし彼の内では、初めての射撃という興奮が醒めるにつれ、次第に別の思いが湧きあがっていた。
これを欲しい、という欲望だ。
どうにかしてこの銃を手に入れたいと彼は思った。
弓よりも早く、遠くに弾を飛ばせる銃は、力の象徴であった。
これがあれば、村での地位は否応なく上がるだろうと考えた。
火薬は水に濡れると駄目になるなど様々に注意されたが、バツは右から左に流す。
銃が高価らしい事は理解している。
ショーインに掛け合おう、と考えていた。
そんな中、大砲による祝砲が鳴り響いた。
この宴のフィナーレである。
『この台湾で有望な物ですか……』
エドワードが松陰の問いに考え込んだ。
そんなエドワードを杜や朱らが見守る。
世界を旅し、有用な産物を多数見てきたエドワードにとっても、この台湾は魅力に溢れた島であった。
米、砂糖は中国本土へも出荷されていたし、少ないながらもお茶が生産されている。
それに、クスノキだ。
クスノキの木片や葉を水で煮出し、揮発した精油を蒸留してカンフルを得る。
このカンフル(樟脳)は衣類の防虫剤に、食品からネズミなどを防ぐ忌避剤に、消炎作用や鎮痛作用で医薬品として利用された。
エドワードは狭い範囲ながら台湾を見、クスノキの多さに目を付けていた。
長旅の多い当時、防虫剤、忌避剤は大変重要なモノであり、大いに需要があったのだ。
しかし、カンフルを大規模に製造するとなると山は荒れてしまう。
台湾には山の民が存在すると聞く。
山が荒れれば山の民との衝突は必至だ。
エドワードはそれを心配した。
有望な商品を尋ねる意図は理解出来た。
清朝からの独立を画策する彼らにとって、国作りや武器の購入には資金がいくらあっても足りないからだ。
それを得る方法を探しているのだろう。
カンフルを製造する為に、ヨーロッパの商人の資本と技術を取り入れればすぐにお金になるだろう。
喜んで資金を提供する者は多いはずだ。
しかしながら、軍事力さえ整っていないこの島では、安易に西洋の資本の力を借りるのは考え物だ。
契約を盾にとり、必要量を確保する為に強引な開発を強制されるからだ。
強引な開発は山の民の反発を招く。
山の民の反発を自力で排除出来なければ、契約の為、外国の軍事力の介入を招くのだ。
下手をすればそのまま、西洋の植民地の地位に落とされてしまうかもしれない。
エドワードは、その様な事態を世界中で見てきた。
商人として儲けを第一に考えるのは当然であるが、こうして住民と関わりを持ってしまった今、軽々しく西洋諸国に門戸を開く提案をするのは躊躇われた。
『米、砂糖、お茶は今すぐにでもお金になりますね。今後としては、樟脳が有望だと思います。』
エドワードはそこで樟脳に関して説明した。
そして暫く考え込む様に黙り、ややあって言葉を続けた。
『ただ、樟脳は需要が大きい商品です。利益が見込めるとなると、ヨーロッパの商人が我先にと台湾に殺到するでしょう。いくらでも寄越せと圧力をかけてくるでしょう。山に入る必要があるので、山の民との交渉も必要になるでしょう。そうなれば、大抵問題が起こります……』
『そうですか……』
エドワードは正直に言いつつも、最後は言葉を濁した。
松陰にはエドワードの懸念が理解出来た。
儲かるとなると、前後の見境なく、無くなるまで掠奪するのが西洋流である。
世界のあらゆる場所で、あらゆる物が掠奪の憂き目に遭っているのだ。
その後の事など一切考えない、彼らの傍若無人な振る舞いに泣かされるのは、決まって貧しい者達である。
同じ西洋人でありながら、それを心配してくれているエドワードは、得難い友人と言うべき存在かもしれない。
松陰らの試行錯誤は始まったばかり。
ファン・ハウテン(ヴァン・ホウテン)氏に深く感謝します。
はい、私はチョコレートが大好きです。
チョコレートの歴史は古く、紀元前2000年には既に利用されていた様です。
飲み物として利用するのであれば簡単でしょうが、固形化には試行錯誤が為された筈です。
暫くすれば固形チョコが登場しますので、松陰が自主開発する事はありません。
クスノキと、それから作られるカンフルです。
1858年より以前、既に台湾ではカンフルが輸出されていたようです。
かのジャーディン・マセソン商会が清国官吏と結託し、巨利を上げていたらしいです。
その後は列強各国が参入し、利益を独占してしまった様です。
しかし1841年にどうだったのかが分かりません。
作品中では、まだだった、という事にしております。
史実と違っておりましたら申し訳ありません。
列強の思惑を、エドワード個人の考えでどうにかなるとも思えませんが、そこはお許し下さい。
エドワードの心配は、後に大日本帝国が実証しております。
クスノキを求め山を開発し、山地に住む原住民と衝突しております。
生活圏を荒らし、反乱を呼び、武力で鎮圧、投降か餓死か、といった過酷な圧政を敷きました。
大日本帝国は台湾の近代化にも尽くしましたが、あくどい事もやっています。




