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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争勃発編
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親試

”親試”とは、敬親が発案し、実行した、明倫館に通う藩士の習熟度を計る試みである。

 当初は学生のみとしていたが、そのうち師範の参加も許される様になった。

 敬親の御前にて、日頃修めた技量を披露できるとあって、親試への参加を認められた者は、それだけで名誉であった。

 

 この年、僅か11歳の松陰が親試の栄誉にくみするとあって、萩城下はその話題で持ちきりだった。

 何故なら、城下で流行を見せていたポテチ、柿の種、戦棋の発明者だという事は勿論、皆の目下の関心事、清国とイギリスとの間の戦を数ヶ月も前から予測し、見事言い当てた事実を知っていたからである。

 その松陰が、親試で何をするのか。

 藩士ならずとも、気になったのだ。 

 



 「敬親様のおなぁりぃぃ。」


 指月城内に近侍の声が響く。

 皆平伏して敬親の到着を待った。親試としては異例な程の家臣の数である。

 そんな中、敬親はゆっくりとした足取りで歩を進めた。

 本日は、江戸にて思案した、アヘン戦争見学計画の第一歩目である。

 大いなる茶番劇を成功裡に終わらせる為、敬親はややもすれば緊張しがちな心を静め、普段と変わらぬ振る舞いとなる様努めた。

 そんな敬親が大仰に座に着くと、近侍が厳かに言い放つ。


 「本日、敬親様の御前にて講義を行う、山鹿流師範吉田松陰!」

 「ははっ!」


 近侍の言葉に松陰は、山鹿素行の『武教全書』戦法篇、”三戦の節”の講義を始めるのだった。


 「兵法に曰く。まず始めに勝って、それから戦うと。これは孫子軍形の篇に出ており、その心は、敵に勝つ戦は、どの様に勝つかであり、戦わぬ先に勝ち、それから戦うのであると。その為、百たび戦っても百たび勝つのである…………」


 まずは事前に決まっている講義内容を無難にこなす。


 「では敬親様、戦わぬ先に勝つには、どの様な方法がございますか?」


 通常、敬親が質問する事はあってもその逆はまれである。

 お仕えすべきお殿様の知識見識を問うなど、以ての外であろう。  

 無礼も甚だしい。

 そう思った家臣が止めに入ろうとするが、敬親は素早く手で制止した。

 勿論、敬親は先刻承知の事であるし、予定調和である。


 「ありきたりな講義もつまらんからな。此度の者は年若い。多少の事は見逃してやらねば、育つものも育たぬものよ。」


 敬親の言葉に、家臣一同深く感動する。


 「して、戦わぬ先に勝つ方法じゃな。ふむ……。まずは兵力で圧倒し、敵の戦う気を起こさせぬ事じゃろうかの。」


 進める方法は協議したが、その内容までは詰めていない。

 従って、この答えは敬親の即興である。


 「お見事でございます。まずは兵力で圧倒し、敵に反抗する気を無くさせる事。これが一つにございます。では、他にございますか?」

 「うーむ、そうじゃな、兵の次は兵糧かのう……。古来より、腹が減っては戦は出来ぬと言うからのう。」

 「流石は敬親様にございます。敵の兵糧を断つ。これも一つにございます。では、他には?」

 「むむ。兵、兵糧とくれば、当然金じゃろうのう。」

 「この松陰、感服致しました。兵で圧倒し、兵糧を断ち、金を干上がらせる。これらは全て、戦わずに勝つ方法にございます。」


 松陰の言葉にほっとする敬親。

 ここまで質問してくるとは思ってもみなかったのだ。 

 そして、それを見守る家臣もほっとした。

 敬親の面目が潰れなかった事に対してか、それ位の事は理解している藩主で良かったという安心からかはわからない。

 松陰の講義は続く。

 



 「……以上、兵学について述べて参りましたが、では、その兵学の基本は何でございましょう?」


 松陰に問われ、敬親は考えた。

 しかし、これといった良い答えが浮かばない。

 暫く思案したが、それを見越し松陰は言った。


 「それは情報でございます。敵の数がわからなければ、兵で圧倒する事は出来ません。敵国の状態がわからなければ、兵糧を断つ事も、銭を干上がらせる事も叶いません。自国の事を知らなければ、敵国と比較する事も出来ません。周辺国との関係を知らなければ切り崩しも無理でしょう。何をおいても、敵を知り、己を知る事が肝要にございます。」


 彼を知り、己を知らば、百戦危うからず。

 孫子の兵法である。

 敵の事、己の事を正確に知っていれば、そもそも戦になる前に対策を練れるのだ。

 相手国に湧き上がりそうな、戦の目そのものを事前に潰せれば、戦について思い悩む必要は無い。


 「ふむ、相分かった。成程、それが基本であるな。」


 敬親も頷く。

 松陰の講義は終わりである。

 そして、本番が始まる。


 「此度の講義、見事であった! その歳でこれ程の講義を為すとは、予想もしておらなんだぞ! 予想ついでじゃ。儂からも質問するとしよう。その方、此度の清国とイギリスとの戦を、前もって予想したそうじゃな? それは真か?」


 家臣からどよめきが起こる。

 この様な事は打ち合わせていない。

 そんな家臣達を置き去りに、敬親と松陰の問答は続く。 


 「お恐れながら、真にございます。」

 「何故わかった?」

 「清国と貿易を始める前より、イギリスは……」


 とイギリスによるインド支配から始まり、清国との貿易によって銀貨の流出に悩んだイギリスが、アヘンを密売する事を選択した事を話す。

 その後、逆に銀貨の流出を懸念した清国が、国内のアヘン使用を禁止しようとしたが、有効な手は何も打てず、その為、最も手軽な、外国人による持込を取り締まる事を選択した過程を話す。

 自国の利益を妨害されたイギリスの対応は? 自ずと導き出されよう。此度の戦である、と解説した。イギリスの過去の行為を考えれば、此度の事を予測するのは可能であると。


 「成程、よくわかった。ならばその次も予想してみよ! 此度の戦の結果をどう予想する?」


 またまた家臣達からどよめきが起こった。

 中には松陰の日頃の発言を知っている者もいる。

 しかし、この様な公式な場で、その様な事に言及しても良いものかと感じたのであろう。


 「お恐れながら申し上げます。イギリスの圧勝に終わるでしょう。」

 「それは何故じゃ? 清国は歴史ある大国。それに比べ、イギリスは、その本国から遠く離れておるではないか!」

 「お恐れながら、イギリスの装備したる鉄砲、大砲、蒸気船の前には、旧態依然たる装備の清国兵では、十倍の兵力差があっても意味がございませぬ。」


 言い切る松陰に、うろたえる家臣達。

 敬親は言いたてた。


 「もしもそうならば恐ろしい事じゃ! その後、イギリスはどうでる?」

 「はい。清国のいくつかの港を開放させる事でしょう。彼らは自由な貿易を望んでいるからです。そして、そうなれば、利益を求めて他の列強国であるフランス、ロシア、アメリカも、清国へとやって来る事となるでしょう。そうなれば、次の標的は我が国です。圧倒的な軍事力を背景に、港を開放せよと迫るでしょう。」


 一同から悲鳴にも似た声が上がった。

 異国の船が萩の沖に出没する事件は起きている。

 また、長崎には、漂流者を連れて無理矢理入港を図る英国船もあった。

 それらを考えると、十分起こりうる未来であると思われたのだ。


 「かの清国が勝てぬ国に対して、我々に何ほどの事が出来ようか……。」


 敬親の、悲痛に満ちた言葉が響く。

 それは家臣達の思いでもあった。

 そんな空気を松陰が両断する。


 「お待ち下され! 確かに西洋の力は強大です。しかし、幸いにして我らには時間がございます。清国とイギリスの戦は数年で終わっても、それから暫くは大丈夫です。その間に、力をつけるのです。西洋に負けぬ力を手に入れれば良いのです。」


 力強く松陰が言い切った。

 未だ少年に過ぎない松陰に励まされ、家臣達はバツの悪い顔をした。

 戦う前から負け腰では、勝てる戦も勝てはしないのだ。


 「西洋に負けぬ力か……。しかし、それは何じゃ? どうすれば良い?」


 ここで、見学計画の発表をする。

 劇も終盤である。


 「はい! そこで兵法の基本である、敵を知る事でございます。まずは敵を知る事から始めます。西洋人とはいかなる人々であり、何を考え、何を思うのか知る事です。武器は何で、弱点は、長所は何なのか。それを知りたいと思います。」

 「どうするというのじゃ?」

 「はい! まずは清国とイギリスとの戦を見に行きます。西洋の力を、この目でしっかと確かめとうございます!」

 「自ら見に行くと言うのか……。 その方、本気か?」

 「勿論でございます!」


 傍目には緊迫した敬親と松陰の問答であった。

 と、ここで別の者から待ったが入る。 


 「殿! お恐れながら申し上げます! その様な事は許可すべきではございませぬ! もしも幕府に知れたら藩の危機にございます!」


 そう言って敬親を諌めたのは坪井九右衛門。

 清風の部下であると共に、この茶番劇の役者である。

 徳川家旗本の勝海舟が杉家に寝泊りしている事は、元より承知の上の発言だ。 

 それどころか、敬親の国入りに際し、岩瀬忠震、大久保忠寛、水戸藩士藤田東湖らも長州入りした事も把握している。

 この反対意見は、対立を演出する為のモノである。

 今回の計画には関係しないのだが、将来への布石なのだ。


 この讒言が受け入れられずに、九右衛門は不満を残したと周囲に思わせるのである。

 戦見学から帰った松陰が敬親に用いられ、藩政に加わる際、松陰降ろしの首領として、九右衛門に活躍してもらう算段となっているのだ。

 若い松陰が登用されれば反発は必至である。

 松陰に反対する者は、明確な対立軸がなければ陰に回って足を引っ張るだろう。

 そうなれば、どこでどんな暗躍をするのか分からない。

 それを防止する為、あえて九右衛門に明確な反松陰派を率いてもらい、その者らの動きを把握監視してもらう計画なのだ。

 そう、問題の可視化である。

 反発する心は自然な物なので止められない。

 ならばそれをコントロールするまでである。

 

 「坪井は反対であるか。」

 「海外への密航は露見すれば死罪です。その様な事を敬親様が許可などされましては、幕府に知られた場合、敬親様個人は言うに及ばず、我が藩への罰もどの様になるやも知れませぬ。」  

 「それはそうじゃ。清風、その方はどう考える?」


 敬親に問われ、清風が答える。

 勿論、台本通りだ。


 「私が思いますに、この吉田の考えは正しく、坪井の心配も妥当だと思われます。」

 「それでは答えになっておらんぞ?」

 「ですので、敬親様は何も決める必要はございません。ただ、こうしては如何でございましょう? 此度の、この吉田の講義は素晴らしかった。その褒美に、諸国遊学の許可と金子を授けるのです。」


 清風が松陰を一瞥し、言った。 


 「その後、この者が船に乗ってどこへ行こうが、我々の知った事ではありません。しかし海は気ままです。嵐に遭遇し、漂流し、どこぞへ流されるやも知れません。そこが偶々清国かもしれません。偶々流された場所で、偶々起きていた戦を、偶々目にした所で、誰がそれを責められましょう? その後、どうやって帰って来るかは、その者も考えておるでしょう。」


 あれだけ事前に練習する様言っていたのに、まさかの棒読みである。

 松陰は焦ったが、誰も不審には思わなかった様だ。

 清風の言を受け、敬親は九右衛門に尋ねた。


 「坪井、今の清風の意見はどう考える?」


 敬親に問われた九右衛門は、考える素振りをする。

 暫し長考し、悩む仕草を見せ、不承不承といった風を装いながら、その意見を述べた。

 この九右衛門、役者である。


 「全てはこの者の責任という事ですな。それならば構いませぬ。どこぞ、好きな所へ行けばいいし、幕府に見つかっても我らの知った事ではないという事ですな。」


 納得した様に見える九右衛門。

 そして九右衛門の諾を受け、敬親が清風に述べた。


 「では清風、そちの考えに基づき、実行せよ。」


 直ちに清風は平伏し、畏まって敬親の言葉を受けた。


 「ははぁっ! 承りました。」

 

 そして敬親は、

 

 「うん、そうせい。」


 と、場を〆た。

 こうして、松陰一行のアヘン戦争見学計画が動きだした。

 本格的に準備を始め、整い次第出発である。

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