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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争勃発編
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石鹸

 反本丸の披露は終わり、松陰は集落で進めていた石鹸生産の途中経過を確認した。

 木炭を使って石鹸の臭いの低減は出来ていたし、香り付けの為の香油も出来つつあったが、木灰では固形石鹸を作る事が出来ず、依然液体石鹸のままであった。

 出来上がった液体石鹸は木桶に入れてあり、洗濯の際には柄杓ひしゃくでくみ出して使う。

 洗濯にはそれでいいが、体の洗浄用で使うには少々不便である。

 何より、液体だと輸送に都合が悪い。

 やはり固形石鹸が欲しいと思う。

 

 「臭いは取れやしたし、色も綺麗に、匂いも良くなりやしたが、どうにも固まりやせん。色々試してみやしたが……」


 長の顔は暗い。

 液体石鹸は衣類の洗濯の助けになり、彼らの衣服に染み付いた臭いは大いに減った。

 それまでは、集落と自身の放つ、自身でも自覚していた臭いによって、集落の外で出会う者皆に顔を顰められてきた。

 目の前で鼻をつまんで顔を背けられ、心が傷つかない者はいない。

 特に年頃の娘などはそれを極度に恐れ、集落から出る事自体を拒んできた。

 しかし、質は安定しないものの、液体石鹸の完成と併せ、外出用の衣類を集落の端で洗濯し、管理する方法を取るようになって、それも変わってきたのだ。

 

 衣服だけでなく、髪、体の洗浄にも使う。

 桶や柄杓が少々使い辛いが、使用感は概ね好評で、洗った後のキシキシする髪は、薄めたお酢をリンスに使う事で緩和した。

 石鹸のアルカリをお酢の酸で中和したのだ。

 使うのはほんの少しなのでお酢の匂いは無い。

 外出する前に体を洗い、衣服を臭いが付かない様に管理する。

 

 この事によって、彼らが放つ臭いに、露骨に顔を背けられる事は少なくなった。

 勿論、穢多という存在自体に顔を顰める者はなくならない。

 とはいえ、年頃の娘達も、徐々にではあるが町に出る様になり、集落全体が明るくなってきていた。

 それもこれも松陰のお陰であると思う長は、思う様にいかない結果に落ち込んでいた。

 不甲斐無いと自分を責めた。


 そんな長に松陰も申し訳なく思う。

 理屈は理解していたが、売り物にしようかという物は、やはりそれなりの技術の蓄積が必要らしい。

 材料が不十分であれば、その困難さはより一層高まる。

 長に暗い顔をさせているのは、頭でっかちな自分なのだ、と松陰は反省する。


 「今はこれで満足すべきでしょう。固形化は今後の課題といたしましょう。」


 こう慰めるので精一杯であった。 

  

 そもそも、穢多の集落で石鹸作りに使われていたのは、牛の脂と木灰の汁である。

 脂の鹸化に必要なアルカリ成分は、木の灰を使う場合カリウムなのだが、木灰のカリウムでは、鹸化は出来ても脂を固形にする事が出来なかった。

 固形石鹸を得るには、水酸化ナトリウムか炭酸ナトリウムといったナトリウム塩が必要らしい。

 石鹸の製造に必要なのはカリウム、ナトリウムという事は知っていたが、灰でどうにかなるのでは? と安易に考えていた松陰には正直痛手であった。

 知識はあっても応用力がないのだから苦労は多い。

 それを今更悔やんでも遅い。

 

 しかし解決策はある。

 既に世界で、石鹸の生産に使われている、”トロナ石”と呼ばれる炭酸塩鉱物である。

 トロナ石の主成分は炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)と炭酸水素ナトリウム(重曹)であるが、炭酸水素ナトリウムを焼成すれば炭酸ナトリウムが得られ、炭酸ナトリウムを水酸化カルシウム(消石灰)と反応させると水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)が得られるのだ。

 水酸化ナトリウムは劇物で、扱いには慎重さが求められる。

 皮膚に付いたり目に入ったりすれば大変な事態となる。

 従って、炭酸ナトリウムで十分なのかもしれない。

 しかし、トロナ石は残念ながら日本には産出しない。

 別の方法として、塩化ナトリウムの電気分解で水酸化ナトリウムを生成する事が出来るのは知っているが、現状では不可能だ。

 

 やはり西洋との交易で手に入れるしかないのだろう。

 蘭学者が石鹸の製造に成功しているらしいので、”トロナ石”も日本に入っているのだろうが、萩では見当たらない。

 モンゴルで手に入る”カンスイ”も、アルカリ性水溶液であるので、ナトリウム系であれば石鹸の固形化に使えるのかもしれない。

 カンスイといえばラーメンなのだが、それはまた追々考えようと思う松陰である。

 今はそれどころではない。




 松陰がそんな事を考えていると、岩倉卿が石鹸に食いついた。

 

 「これは何でおじゃる?」


 興味津々といった表情で岩倉卿は尋ねた。


 「石鹸でございますよ。」

 「石鹸とな? 麻呂が知っておる石鹸は、確か固まりであったと思うのでおじゃるが?」


 石鹸を知っているのは腐っても公家と言う事か。


 「灰汁で作ると液体のままな様です。でも、ほら、泡立つでしょう?」


 松陰は液体石鹸を少量手に取り、泡立たせてみせた。

 ヌルヌルとした石鹸の感触と共に、手のひらが泡に包まれる。

 前世のそれとは違い、豊かな泡立ちではないが、それなりの石鹸であった。

 

 因みに、油脂に水を加え、加熱するとグリセリンが分離する。

 保湿剤として石鹸に再投入される事もある物質だが、グリセリンを硝酸、硫酸で硝酸エステル化すると、爆薬の原料として有名なニトログリセリンとなる。

 ノーベル賞の創立者アルフレッド・ノーベルが、ダイナマイトとして実用化に成功するのは1866年、僅か20数年後の事だ。

 是非とも実用化させねばならないニトログリセリンの生成。

 その原料グリセリンは、糖の発酵液からでも作る事が出来たりする。

 つまり、アルコールの生成工程で生産可能なのだ。 




 「ほほう! 確かに石鹸でおじゃるな! 香りも良いでおじゃる。して、これを売っているのでおじゃるか?」


 同じ様に石鹸を手に取ってみた岩倉卿の興奮は一段と高まる。

 獣臭い集落の中にあって、なにやら匂っていた銭の香りはこれでおじゃるか! と、期待に胸を膨らませ、松陰の答えを待った。


 「いえ、売るには品質が一定ではありませんし、安く手に入る油脂の量も足りませんので、今は製造方法の試験段階です。」

 「そうでおじゃるか……」


 岩倉卿、がっくりである。

 そんな岩倉卿には構わず、松陰は続ける。


 「しかし、彦根藩で一定量の牛の脂が安価で手に入りそうですし、西洋より”トロナ石”を購入できれば、販売するに足る品質の石鹸の製造が可能になると思われます。その後、菜種油などを購入して石鹸を作っても採算が取れるなら、商売にする事を考えております。」

 「本当でおじゃるか?!」

 「嘘を言っても仕方無いでしょう? 幸いな事に、ここにおられる才太殿は彦根藩のご出身。顔も広うございます。牛の脂を手に入れるのに、きっとその力をお貸しして下さるでしょう! そうですよね、才太殿?」


 話を振られた才太は顔を顰めた。

 禅にも精通し、殺生を戒める仏教の心を社会に広めようと思っている才太である。

 もし自分が藩主になれれば、真っ先に牛の殺生を禁じ、反本丸を作るのは止めようとさえ思っていたのだ。

 しかし、その反本丸をさも美味しそうに食べ、牛の脂から石鹸なる物を作り出し、民の笑顔を増やし、生活の糧にまでしようとしている松陰に、牛の殺生の上に成り立つ業など、とは言えない。

 何しろ、部外者の岩倉卿を含め、穢多の集落の者皆が、期待に満ちた目で自分を見つめているのだから。


 これまで何をやっても臭いと諦め、俯きがちであった穢多の女が、やり方によってそうではなくなる事に気づき、下を向いていた顔を上げ、集落の外の者がいても笑顔を見せる様になっていた。

 定期的な動物性たんぱく質の摂取が出来る穢多の者は、そうではない里の者に比べ健康で、発育が良い。

 それはつまり、才太を見つめる穢多の女衆の体つきは全体的に豊満で、笑顔が増えた事で顔色が明るくなり、ただでさえ多数の女に見つめられた事など無い才太には、狼狽して後ずさりする程に眩しい物であった。


 喩えるならば、フィリピンのビキニ・バーで、指名を得ようとずらっと並んだ女の子達に、注視されてオロオロするだけの、女慣れしていない男の様なものである。

 この中から選べと言われても、そんな状況の経験が無ければただ緊張し、思考が定まらないのがオチである。

 そして、その状況から早く脱しようと、一人一人をじっくりと眺める様な事はせず、というか出来ず、赤面しながら適当に指名するのだ。

 じっくり眺めて精査し、自分好みの女の子を指名出来る様になるには、酒の力でも借りて、何回かのトライが必要である。


 つまり、妙齢の女性達に期待を込めた眼差しで見つめられた経験などない才太は、考える余裕などある訳が無く、熱い眼差しを裏切れるはずも無く、ただ早い事、そんな顔の赤くなる状況から逃れるべく、「俺に任せろ!」と言う以外出来る訳が無い、ということだ。

 才太を見つめる者には、長を含め、むさい男も多数混じっていたのだが、才太の目には一切映っていないのは言うまでも無い。

  

 悲しい男のサガ、単純さ、馬鹿さを女性は笑わないでやって欲しい。

 逆で考えて、多数の男に囲まれ、期待に満ちた目で見つめられて、冷静な思考、判断を下せる女性がいるだろうか?

 無いと信じたい……。 


 それは兎も角、才太の返事を聞いた松陰の顔もほころぶ。

 また反本丸を食べられるという事であるし、才太のいない間にアヘン戦争の見学の計画を進められるからだ。

 

 そんな松陰の腹のうちなど思いもしない才太は、喜んだ集落の者に囲まれ、上気した顔で力強く頷いたりしている。

 松陰はそんな才太を見て、ここでダメ押しをしておこうと、集落の者に目配せした。

 松陰の意図を理解した者が、「ありがとうございやす! アナタ様は我が集落の恩人でやす!」「流石才太さんでおじゃるな!」「おっきいおにいちゃん、大好き!」「素敵、抱いて!」「格好いいわ!」と才太を持ち上げる。

 庶子として日陰を歩んできた才太は、生まれて初めてのチヤホヤされる状況に、平素の思考など出来る訳がない。

 普段であれば気づけたかもしれない、何やら裏のある松陰の笑みを、最後までスルーし続けた。

 尤も、その松陰の心の内も、その方に抱いてもらえれば、いずれ江戸幕府大老の妾ですよ、くらいしか考えていないのであるけれども。


 チヤホヤされれば、そこは人の子である。

 穢多だと?! と色眼鏡で見ていた当初の才太はどこへやら、以後、足繁く穢多の集落に通い、己の身につけた茶道、禅、能楽、和歌、居合などを、熱心に教えるようになってゆく。

 そこで思い知る、被差別階級民の悲しみ、苦しみ、差別偏見に抗い生きる人の逞しさ、差別される者の持つ傲慢、卑屈さ、ずるさ。

 狭い社会に住んでいては気づけない、人の強さ弱さ、社会の矛盾を知り、才太は成長してゆく。

 それはきっと、未来の超大老井伊直弼(スーパーサイタ人)の覚醒にとって、無くてはならない経験となるに違いない。 

石鹸の作り方の知識は適当です。

グリセリンの分離も、条件等は知りません。

適当な事を書いて申し訳ありません。


フィリピンのバーの話は問題ありませんよね?

女性の方が不快に思わないかと心配ですが・・・。

実際、あの状況は、初めてだと戸惑います。

ですので、才太さんは仕方無いんです。

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― 新着の感想 ―
えええええ!それで才太だったのですか! なんという伏線!!!
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