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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
幕末の始まり編
162/239

ペリー、将軍に拝謁す

 線路沿いはどこまでも、夥しい数の人々で埋め尽くされていた。

 多くの者が日の丸と、31星のアメリカ国旗を手にしている。 

 出発駅の横浜から切れ目なくびっしりと立ち並び、猫が這い出る隙間も無い程だ。

 近隣の村々だけでなく、遠く信州からも、この日の為にやって来た者がいるらしい。

 その者は生まれて初めて目にする光景に、口をあんぐりと開けて目を白黒させていた。


 沖に視線を転じれば、小山と見紛う船が浮かんでいる。

 遠い異国の国旗を掲げ、威風堂々と佇んでいる風に見えた。

 視線を元に戻してみれば、蒸気機関というカラクリで動く鉄の塊が、煙突から煙を出しながらその場に留まっている。

 その前では客人を迎えようと、正装した侍達が列を作り控えていた。

 

 昨日までは若干退屈ではあったが平穏な田舎の日常であったのに、突如として世界に変化が起きてしまった様である。

 噂を聞きつけてやって来たのだが、目で見ているのに実感が湧かない様な、夢であるかの様な、そんな高揚感があった。 

 

 そんな中、どっと歓声が上がる。

 アメリカ人が出てきたのだ。

 彼らは見上げる程に体が大きく、全員が力士の様であった。

 鼻が高い者、髪が金色な者、目が碧い者など、その面相は様々である。

 集まった人々は、魔訶不思議な物を見る目で異人達を見送った。


 と、群衆の一画から「うぇるかむ、じゃぱん」だの、「ふれんどしっぷ、じゃぱん、あめりか」との声が上がった。

 放心した者達も、はっとした様にその声に合わせ、手に持った旗を振るのだった。

 要領を得ない者は隣りに尋ね、得心し、周りに合わせて唱和した。


 大歓声の中、アメリカ人達は蒸気機関車の客室に乗り込む。

 途端にけたたましい汽笛が鳴り響く。

 それに合わせたのだろうか、沖に停泊していたアメリカの船から、大量の大砲が轟いた。

 それは時代の変化を感じさせる、天からの祝福の様であった。




 汽車の中からペリーらは沿道を眺めた。

 どこまでも、どこまでも続く人の道である。

 どれ程の人が集まっているのか、まるで見当もつかない。

 江戸は百万都市である事は聞き及んでいる。

 誇張されているのだろうと思っていたが、沿道の様子を見る限り、嘘では無いと知った。 


 列車の窓から眺める江戸の街並みも圧巻の一言である。

 家々の作りは小さかったが、それらが地平線の彼方まで続いている様に見えた。

 所々に畑や林が広がり、祖国の麗しき田園風景を思わせる。

 速度の出ていない列車からは、畑の耕し具合までも見える程だった。

 雑草一つ生えていないその畑は、良く管理された庭の様に思える。

 家々と畑と道とが、見事な調和を取っていた。 


 正使マシュー・ペリー、副使ヘンリー・アダムス以下護衛の者らは、これまた大観衆の待ち受ける品川駅に到着し、大歓声に包まれながら待っていた馬車に分乗した。

 曳く馬の貧弱さに驚いた一行であったが、在来馬はこれくらいの大きさとの言葉には納得せざるを得ないだろう。

 馬車に乗れない者は、人力車と呼ばれる人の曳く乗り物に乗り込んだ。

 そして人波を掻き分け、ゆっくりと街道を進む。


 どこから集まって来たのか訝しむ程の群衆に見守られ、一行は迎賓館のある赤坂に移った。

 長州藩下屋敷の一画を造成して作られた迎賓館は、幕府お抱えの学者であるシーボルトの意見を参考に建てられた西洋風建築物である。

 華美とはならぬ様、けれども日本国の威厳を損なわぬ様に注意して建造された。

 建物は鉄筋コンクリートの2階建てで、馬車で直接乗りつけられる玄関を持ち、吹き抜けのホールや曲り階段などを備えた、どこかの有名ホテルを思わせる。

 部屋にはベッドや椅子が置かれ、トイレは共同ではあったが洋式であり、西洋人への配慮がなされていた。

 驚きはあったが皆満足して体を休めた。

 

 そんな一行に3日後の将軍への拝謁が伝えられる。

 それまでは江戸の町を見学する事となり、日本橋、浅草寺といった名所を巡り、異文化交流を楽しんだ。


 その中でペリーは、とある神社に参拝していた。

 初めて目にする物ばかりで好奇心が刺激される。

 ふと、脇にある立て板に気づく。

 絵が描かれた小さな板が多数掛けられていた。 

 

 『これは何だ?』

 『これは絵馬と申します。願いや決意を神様に見届けてもらう為だったり、願いが叶ったお礼に奉納します。』

 『何が書いてあるのだ?』


 神に対する認識の違いは既に把握している。

 それは兎も角、日本の庶民の願いという言葉に興味を惹かれ、ペリーは尋ねた。


 『これは数学の問題ですね。我が国では算額と言いますが。』

 『数学?』

 『技能が上がります様に、という願いですね。それと共に愛好者が問題を作り、絵馬に残します。それを解いた者が絵馬に答えを書くのです。』

 『何だと?』


 ペリーは信じられないと言う顔をする。

 数学など庶民が親しむモノでは無い。


 『この絵馬の問題はこうです。この直角三角形に内接する円の半径を求めよ、です。』

 『……さっぱり分からん……』


 図には三角形が描かれ、三辺に内接する円がある。

 ペリーはお手上げだと早々に諦めた。


 『えーと、この答えは……すいません、どこにあるのでしょうね?』

 『何だ、ショーインも分からないのか?』

 『好きな人が解けば良いのです!』

 『その通りだ!』


 二人はそう言って頷いた。

 そして神社を後にし、町の散策を続けるのだった。


 『しかし本を読んでいる子供が多いな……』


 本を片手に町を歩いている子供達の多さに奇異を感じ、ペリーは呟いた。 


 『老いも若きも男も女も、娯楽として本を読んでおりますからね。』

 『娯楽だと?』

 『これです。』


 松陰は一冊の本をペリーに渡した。


 『これは?』

 『漫画と申します。小説とは違って絵で場面を描写し、会話などを文にした娯楽本です。』

 『書いてある言葉は分からぬが、内容はおぼろげながらも想像出来るな。』


 ペリーは漫画をパラパラとめくる。

 絵が多く、子供が好きそうに感じた。


 『内容が面白ければ、こちらが勧めなくても子供達は漫画を読みますし、その中で新しい概念などを説明すれば、割合すんなりと理解出来るのでございます。例えば、これは貴国の偉人であるワシントンについての伝記ですが、中で民主主義についても説明されております。』

 『何?!』


 こんな所でアメリカ建国の父、ワシントンの名前が聞けるとは思わない。

 

 『大人では新しい考え方に馴染むのは難しいでしょう。ですので、子供の頃から知っておいてもらうのです。』

 『ふむ……』 


 そのアイデアは使えそうである。

 ペリーは祖国の状況に思いを馳せた。

 奴隷制の残る南部諸州の事だ。

 戦争を経験してきたペリーにとっては、命のやり取りの場に人種の違いは無い。

 あるのは国家の大義の為に勇敢に戦う者と、怖気づいて全く役に立たない、寧ろ部隊全体の足を引っ張る者だけだ。

 そうであるので、奴隷という存在は国家を分断する悪弊に思えた。

 

 国家の存続を懸けた戦いの際に、アメリカに忠誠を誓わない者は邪魔である。

 黒人を奴隷として扱いつつ、身代わりとして戦場に連れてくる者がいたのだが、とんでもない話だ。

 必要なのはアメリカの為に自主的に戦う者で、いつ逃げ出すか分からない者など不要だからだ。 


 従って、奴隷制は廃止すべきと考えていた。 

 けれども、そんな考えは奴隷を必要としている南部では通じない。

 頑なな南部の人々の意識を変えるには、子供のうちから奴隷制の不合理さを教える事であろう。

 その為には子供達が喜んで読んでいる、この漫画という物が適しているのかもしれない。

 

 同時に日本の事を羨ましく感じた。

 豊かな文化に溢れているのは、この数日で嫌と言う程学んでいる。

 女子供に至るまで気軽に本を読んでいる国など、他に知らない。

 戦争と無縁なまま2百年近い時間を過ごせば、国はこの様に発展するのかもしれない。

 独立からこの方、争いばかりの祖国と比べ、民の暮らしの何と平和な事か。

 平和は道徳心を育て、驚く程に治安の良い国家を作り上げている。

 江戸の町で数日過ごし、それは十分に実感していた。


 迎賓館には何人もの掃除夫や給仕達が出入りしていたが、誰の部屋からも何か物が無くなる事は無かった。

 一度日本人を試すつもりで金貨を本と机の間に挟み、忘れた振りをして部屋を出た事がある。

 寧ろ無くなっている事を期待して戻ったが、机の上はそのままで、金貨も本に挟まれたままであった。

 勿論、掃除はきちんと為されていたのだが……。

 

 ペリーは己を恥じた。

 聖書にも、人を試してはならないとある。

 人を試すと言う事は、自分が試される事でもあるからだ。

 日本人を試したペリーは、人を試せる程に偉いのかと自問する事になった。

 そんな様々な経験をしながら、江戸城にて親書を渡す日を迎える。


  


 その日、江戸城には諸侯が集まっていた。

 礼装に身を包み、大広間に控えている。

 アメリカ大統領からの親書を将軍が受け取るのであるから、それも当然であろう。

 神妙な空気の中、アメリカ大統領の国書がペリーによって征夷大将軍徳川家慶に受け渡された。


 歓迎を兼ねて昼食会が開かれる。

 御三家の一つ徳川斉昭が主宰し、豪華な料理が用意された。

 日本は肉食を忌避するとあったが、どれも見事な料理ばかりであった。

 牛、豚、鶏、魚、野菜を使い、ペリーらも満足するメニューが並んだ。

 諸侯の中には肉を受け付けない者もあるので、立食形式で行われた。


 会食が終わり、穏やかな空気の中、日本国の意志がペリーに伝えられる。


 「日本国は開国しよう。」

 『おぉ!』


 まず冒頭に開国の決意が表明され、ペリーは喜んだ。


 「但し、以下の二点が絶対条件である。」

 『何?』

 「まず、対等な外交関係しか認めない事。次に、我が国の主権を侵害する取り決めは一切受け入れない事。これを貴国が受け入れるならば、我が国は即時に国を開こう。」

 『それは……』


 唐突に告げられた家慶の言葉にペリーは戸惑った。


 「我が国が宣言した開国まで日があるのに、それを速めて求めてきたのは貴国の勝手である。けれども我が国はそれを受け入れ、開国を決めた。ならば今度は、貴国が我が国の要求を受け入れるのが筋であろう。」

 『……』

 「言うまでも無いとは思うが、我が国は不当な要求はしておらぬ。我が国と対等な関係を築くつもりが無ければ拒否するが良かろう。貴国が拒否した所で我が国が開国する事に変わりは無い。しかしそれは貴殿に言っても仕方あるまい。祖国に持ち帰り、対応を協議すれば良い。一年後にその返事をこちらから聞きに参ろう。」


 開国を求める親書を渡した今、それを取り消す訳にはいかない。

 日本側の訴えも尤な事に思えた。

 けれどもそれは、対等な力関係の国家同士でしか成り立たない言い分である。

 そもそも、持てる武力をちらつかせれば、すんなりと要求が通るだろうと思ってやって来たのがペリーなのだ。

 大きな口を叩くには、それに見合った実力が無ければ滑稽なだけである。

 遅れた文明の野蛮人が何を抜かすかと心に思ったペリーに対し、家慶は静かに告げる。


 「我らを未開の蛮族と侮るなかれ。我ら武士には、神君家康公の代よりこの国を平和に保ってきた誇りと意地と言う物がある。もしも我が国の平安を損なうつもりがあるならば、全身全霊をもってお相手しよう。」

 『大言壮語は国を亡ぼすとだけ忠告しておこう。』


 こうして、日米の会談は険悪な空気を残し、終了した。

 ペリーらは迎賓館に戻り協議する。


 『まさかあの様な返答とは思いませんでしたね。』

 『文化的な力は認めるが、大砲一つ満足には揃えられない国が、何を根拠に強気になれるのやら……』


 ペリーには理解しがたかった。

 日本に着いてからつぶさに観察していたが、まともな大砲が見当たらなかったのだ。

 あったのは随分と古臭い、使えるのかも分からない様な青銅砲だけであった。

 日本側はペリーの艦隊に積まれた大砲を把握している筈である。

 利発であった松陰を思えば、彼我の軍事的な力の差に気づきそうなモノだろう。

 そうであるだけに、尚更に不思議であった。


 『聡い者は下にいる者だけで、上にいるのはボンクラなのかもしれないな……』

 『未だに封建制の国ですから、それも仕方ないのでしょうね。』


 実力があれば出世出来るのがアメリカの良い所だ。

 どこまでもそう信じている彼らにとって、日本は不幸な国に思える。


 『力で分からせてやるのも、彼らの為かもしれない。』

 『では、拒否されるのですか?』

 『私にそんな権限は与えられていない。本国に持ち帰り、日本の意向を大統領に伝えるだけだ。尤も、大統領が認めるとは思えんがな。』

 『そうですね。』


 半文明国の日本に、文明国たる西洋国家と同じ権利は認められていない。

 もしもここでアメリカが、日本の主張を黙って認めてしまえば、他の西洋国家にその弱腰を笑われるだろう。

 遅れた国に、戦いもせずに怖気づいたのだと受け取られかねないからだ。

 そうなっては外交上で不利に陥る。

 押せば引くと思われては、どんな無理難題を吹っ掛けられるか分からないのだ。

 国を閉ざして文明から遠ざかっていた日本が、西洋国家と対等な関係を築こうなど百年早い。


 力の無い者の主張など聞き入れる者はいない。

 己の意志を貫きたければ、戦ってその力を示すしかないのだ。 

 とはいえペリーにも、それが何を意味するのかは分かる。 


 『上に立つ者が愚鈍であれば、民衆が苦労するだけなのだが……』

 

 どこまでも平和そうな江戸の民衆を思い、ペリーの顔は曇った。

 素直に開国を受け入れていれば国を戦火に晒す事は無いのに、トップに立つ者の判断の過ちが国民を不幸にするのだ。

 封建制のままの日本の将来を心配した。

 民衆の為にも、幕府の権威を失墜させる必要があるのかもしれない。

 自由を求めてイギリスから独立した祖国になぞらえ、アメリカの行動が日本の民衆による革命の一助になればとさえ考えた。


 会談が険悪に終わった事を伝え聞いただろうか、人懐こかった日本人給仕達の態度が変わった。

 途端によそよそしくなり、接触を拒む様になった。

 それまでは何をするにも張り付き、質問攻めにし、時に冗談を言ってケラケラと笑っていたのだが、強張った顔で必要最低限のサービスをするだけの存在になった。

 ペリーらは居心地の悪い時間を過ごす。

 そして出発を明日に控えた日、真剣な表情の吉田松陰がペリーの下を訪れた。


 『別れの挨拶にやって来たのか?』


 悲し気にペリーが尋ねる。

 数日前までは、実に愉快な時間を過ごした相手だけに、つい感傷的にもなってしまう。

 そんなペリーに対し、松陰の答えは違った。


 『閣下だけには我が国の力をお見せしておきたくて参りました。このままでは閣下らは、誤った判断を下されるでしょうから。』

 『何?』


 思ってもみない言葉であった。

 まるで自分達が勘違いをしていると言いたげである。

 国の力を見せたいと言うのだから、実力を隠していたと言いたいのだろう。

 馬鹿にするなと、思わず声を荒げそうになったが、相変わらず真剣な面持ちの松陰にぐっと言葉を飲み込んだ。

 そんな事をする人間には思えなかった。

 であれば、付き合ってみるしかないだろう。


 『良かろう。日本の力とやらを確かめてやる!』


 ペリーを一人で外出させる危険性を部下は心配したが、日本人がその様な卑怯な真似をするとは思えないと下がらせた。

 そして、松陰に連れられたペリーは江戸郊外へと向かう。

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