蝋石との出会いとお石灰
「駄目ですね。煉瓦は作れる様になりましたが……」
儀右衛門らが合流し、専用の登り窯までも作り、煉瓦は無事に焼けた。
混ぜる水分を極力抑え、梃子を使って押し固め、焼く。
これまでの煉瓦とは比べ物にならない強度を持った物が出来たのだが、目指すモノには使えそうになかった。
鉄を溶かす高温にはある程度耐えるのだが、連続操業を実現するには遠く及ばない。
「初めはいいが、結局崩れてしまいやがる……」
庄吉の表情も暗い。
煉瓦で小型の炉を作り、人力によって風を送りつつ、鉄を作る。
交代しながら徹夜で風を送る中、数日もすると煉瓦が崩れてしまうのだ。
たたら製鉄でも、炉は精々四日が限度であるので、これでは何の進展もない事になってしまう。
「煉瓦だけを火にかけてもビクともしないのに、鉄を焼くと駄目になるのはどうしてでしょうか?」
小五郎が疑問を口にした。
「鉄は土を食って育つって、俺達は言うんだけどよ……」
庄吉が答える。
成る程、煉瓦は溶けかけた鉄と接する場所が、大きく損壊していた。
鉄が土を食べたと表現するに相応しい。
「だとしたら、初めからある程度の土を砂鉄に混ぜておけば、煉瓦が食われる心配が減るのではないですか?」
帯刀が思いつきを述べた。
「そ、それは?!」
庄吉が驚く。
それは発想の転換に思えた。
「帯刀君、ナイス・アイデア!」
「どういたしまして!」
松陰の賞賛に笑顔で応える。
「何だ、内巣相出亜とは? 台湾の言葉か?」
「イギリスの言葉で、名案だという意味ですよ。」
「ほう? 阿蘭陀(おらんだ)語のgoed ideeか?」
「いえ、私はオランダ語を知りませんので……」
茂義の言葉に苦笑いした。
流石に蘭語に精通した人物なだけはある。
直ちに翻訳してみせたが、松陰はそもそもオランダ語を知らないので理解出来ない。
「ナイス・アイデアか。ふむ。次からは使うとしよう。」
「余も賛成だ。皆で使えば身分差も縮まろう。」
「ナイス・アイデア!」
松陰が早速使ってみる。
麟州に対する気やすい態度に、薩摩の者の顔は渋い。
「だったら土だけでなく、他の物も混ぜて実験してみたらどうだ?」
茂義が提案した。
「それは面白そうですね! 例えば塩とか?」
「塩なんて鉄に混ぜたら錆ちまうぜ!」
「やってみないと分からないでしょうが!」
庄吉の突っ込みに松陰がムッとして反論した。
鉄に塩は錆を生む原因だろうが、けれどもそれは実際にやってみないと分からない。
感覚で駄目だろうと思う事でも、実験して確かめないと確実な事は言えない。
「いいですか? 科学では仮説を立てて実験し、結果を検証し、仮説が正しいにしても再現出来て初めて確かだと言えるのですよ? 塩で鉄が錆びるのは経験上の知恵ですが、製鉄段階では違うかもしれません! 庄吉さんは過去に塩を加えて確かめた事があるのですか?」
「い、いや、それは無いけどよ……」
「ほら見なさい! 例え駄目であったとしても、それを実験で確かめる事に意味はあるのです。再び同じ間違いを繰り返さないという意味で、です。」
「わ、分かったぜ……」
松陰の言葉に渋々頷いた。
そんな中、
「あのう……」
種臣がおずおずと切り出した。
集成館の事業に参加したはいいが、その雰囲気に慣れず、未だに自分の意見を言う事に躊躇があった。
否定されるのが怖かったし、頓珍漢な事を言って馬鹿にされる事への恐怖があったからだ。
恥を掻くのは誰でも嫌なモノだろう。
当時の武士であれば尚更である。
けれども、砂鉄に塩を混ぜるなどという馬鹿げた意見を松陰が口にし、間違っていないと強弁する姿勢に感化され、自分の思い付きを言う気になったらしい。
「何ですか種臣さん? 思いついた事があったらドシドシ言って下さいね!」
「ありがとうございます。実は五島に珍しい石があるって聞いたのですが、煉瓦に使えないかと思いまして……」
「む? それはまさか蝋石か?」
茂義がギロリと種臣を睨み、言った。
「は、はい! そうです!」
堪らず姿勢を伸ばし、答えた。
「茂義様、それでは下の者は委縮してしまいます! 笑顔で優しく聞かないといけませんよ!」
「む? 儂の顔はそんなに怖いか? 優しく聞いた筈だが?」
「睨みつけてましたよ!」
「むむ……」
松陰の指摘に益々顔を顰めてしまう。
そんな気は更々ないだけに、納得がいかない様子だ。
「そんな事より、その“ろうせき”とは何です?」
麟州が茂義に尋ねた。
「蝋石とは白い蝋の様な光沢をした、柔らかい石の事だ。」
「ほう? 柔らかな石とは確かに珍しい。」
「簡単に手に入るモノなのですか?」
今度は松陰が尋ねる。
「まあ、この辺りで売っているかは知らぬが、そう珍しい物ではないな。」
「では、早速手配をお願いします!」
「うむ、分かった。」
「種臣さん、ありがとうございます!」
意見してくれた事に感謝する。
「い、いえ! お役に立てた様で良かったです!」
どんな小さな意見でも、それが予想外の展開を見せる事になる可能性はある。
初心者の素朴な疑問や思い付きが、後の大発見に繋がる事も否定出来ない。
何も知らない素人だからこそ、常識に囚われない発想をして、困難を打破する契機となるやもしれない。
だからこそ、下の者が意見を自由に言える環境作りは重要である。
身分制度の確立した武家社会では、上の言う事には服従を強いられがちであり、闊達な意見交換は滞りがちであった。
「白い石で思いついたのだが、石灰はどうなのであろう?」
直亮改め次貫斎が口にした。
確かに白い石であり、しかもそこら中とは言わないが豊富にある岩石である。
漆喰として昔から利用されていたし、馴染みは深い。
「成る程! 石灰ですね! それも試してみましょう!」
「石灰ならすぐに手に入るぞ。」
こうして五島列島の蝋石、石灰を使ってみる事が決まった。
まずは簡単に手に入る石灰が届く。
「こ、こりゃあ魂消た!」
庄吉が衝撃を受けた様に叫んだ。
見つめる先には石灰を砂鉄に混ぜ込んだ実験炉がある。
炉からは真っ赤に燃える炎が噴き上がり、鉄が溶けている様子が分かった。
しかし、庄吉が驚く理由は分からない。
「何か違うのですか?」
意味が分からず、松陰が聞く。
そんな松陰に庄吉は己の手元を見せる。
そこには、実験炉から排出した、真っ赤な液体が床を流れていた。
ドロドロに溶けた鉄に見えるそれは、実は鉄では無い。
「こりゃあ鉄滓なんだけどよ、これが凄ぇんだ!」
鉄の滓と書く様に、ノロとは砂鉄に含まれていた不純物である。
鉄より融点の低い金属元素が先に溶けだしてくるのだ。
必要以上は要らないので途中で排出するのだが、それを見た庄吉が叫んだのである。
「で、何が凄いのですか?」
「何って見て分かんだろ!」
「いえ、分からないから聞いているのですが……」
見て分からない者は聞いても分からない、とは言う。
けれども、素人には見ただけで判断出来る筈もない。
そんな松陰にじれったくなったのか、勢い込んで言った。
「この鉄滓の流れ方と色を見ろよ! ドロドロはなくてサラサラだし、色も綺麗だろ?」
確かにそう言われれば、それまで目にした物とは違う様に見えた。
「まあ、そうですね。でも、それが何か違うのですか?」
「馬鹿かおめぇは! こりゃあ、よっぽど炉の中がうまい具合にいかねぇと、こんな鉄滓は出ねぇぞ?」
「ってことは、石灰を入れて大正解ですか?」
「ああ! 俺も初めて知ったぜ! こりゃあ、凄ぇ発見だぞ!」
「やりましたね!」
その場にいる全員で喜びを分かち合う。
そしてその後、その理由の考察が始まった。
「砂鉄に石灰を加えると鉄滓の排出効果が高い様です。これは鉄の純度を高める事にも繋がるらしいです。さて、この理由ですが、皆さんはどの様に考えますか?」
それは物事を漠然と進めない為の方策である。
仮説を立て、実験して検証し、再び考察する。
その繰り返しによって科学は発展してきた。
庄吉が失敗を繰り返したのも、原因の究明を徹底して行わず、徒に同じやり方で強行した事にあろう。
それでは同じ轍を踏むだけだ。
「石灰にそういう働きがあるからであろう?」
茂義が的確な意見を述べた。
「それはその通りだと思われますが、考えるべきは、その働きとは一体何か、ではないでしょうか?」
「む? それもそうであるな……」
再び考え込む。
しかし、そうそう上手いアイデアが出る訳もない。
他の者も同様で、皆黙り込むばかりであった。
「私に考えでございますが……」
松陰が口を開いた。
期待する様に皆が見つめる。
しかし、その言葉は意表をついていた。
「小五郎君、元素の名前は覚えましたか?」
「え? えぇと、確か、すいへーりーべーぼくのふね、ななまがりしっぷす、くらーくか、すこっちぶい、くろまんてつ、こにくあえん、です。」
「ありがとう。」
何故か元素の周期表を問うた。
元素の考え方は既に言ってある。
小五郎は何度も口ずさみ、必死で覚えたのだが、その甲斐があった様だ。
嬉しそうにしている。
「では、酸などに溶けやすい金属元素の順番はどうですか? お? 新平君、分かるならどうぞ?」
「はい。かそうかな、まああるよ、あてにするな、ひどすぎる借金、です。」
「素晴らしいです!」
新平もしっかりと覚えてきたらしい。
彼らの物覚えの速さに感動しきりな松陰とは対照的に、他の大人は面白くない顔をする。
「こら、小僧! さっさと説明せぬか!」
「勿体ぶるでない。」
「そうだ! そもそも俺っちにはさっぱりだぜ! それより早く石灰を入れたらいい理由を聞かせろよ!」
急かす大人達に向き直り、言った。
「答えは新平君の発言の中にあるのです。」
「なぬ?」「何だと?」「は?」
呆気に取られたらしい。
一方、
「そうか!」
種臣が叫んだ。
「む? 分かったのか?」
「茂義様、笑顔です!」
茂義が睨みつけそうになるのを松陰が止める。
「ぐっ! わ、分かったのなら言うてみよ。」
努力して柔和な表情を作り、種臣に言った。
「は、はい! 溶けやすい金属元素の順番は、カリウム、カルシウム、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、亜鉛、鉄、ニッケル、スズ、鉛、水素、銅、水銀、銀、白金、金です。」
「それは聞いた。」
茂義もそれは理解している。
「石灰はカルシウムです。」
「うむ。」
「それを酸化鉄である砂鉄と混ぜて熱を加えると、鉄よりもはるかに反応しやすいカルシウムが、鉄以外の物と反応し、溶けだすのではないでしょうか。」
「ふ、む……」
「合理的な説明ではあるな。」
「俺にはさっぱりだぜ……」
そして種臣は松陰を見た。
頷く様に口を開く。
「私もそう思います。」
種臣がホッと安堵した。
松陰は知りもしなかったが、現代の高炉にも鉄鉱石、コークスと共に石灰を投入する。
その理由は概ね種臣の推測通りである。
だから石灰を投入するのは正解も正解、大正解であった。
それは、たたらのやり方をみっちりと身につけた庄吉では、いつになっても思いつかなかった事かもしれない。
時に偶然が、ただの思い付きが、既存の技術を突破する事例であろう。
そして今度は届いた蝋石を使い、煉瓦を焼く事となった。
無事に焼き上げ、炉を作る。
「こ、これは!」
再び庄吉に驚きが走る。
それは、現代でも耐火煉瓦の原料に使われる、蝋石との運命の出会いであった。
小五郎、新平らの物分かりが良過ぎですね・・・
あと、製鉄に関してはそれっぽい事を書いているだけですので、これが事実と思わないで下さい。
いい加減な知識で書いています。
蝋石は、某鉄腕な番組で知りました。




