36 苛立ちが抑えられない
そろそろ、ループする日が近付いている。
ここ最近は十八歳になる直前までループしなかったから、今回もそうかなーって。
そう考えると、あと三年近くは時間があるけど……いつ戻るかわからないのがこの巻き込まれループだから油断ならない。
そのことを考えると、どうしてもため息が多くなってしまう。なんでかって?
次もまた、エルファレス家の娘になってもいいのかどうか。私はずっと悩んでいるのだ。
そりゃあベル先生は「絶対にまた娘になって」ってしつこいほど言ってくれるよ? 私と出会わなければ、そもそも養子をとる気はなかったって聞いて、納得もしてる。ママにもそう言ってもらえたし、それが嘘とまでは思わない。
でも、なんというか。この幸せさえもいつしか慣れてしまって、また前のように無気力になったらどうしようって思うんだよね。
こんなにも充実しているのに、飽きる日がくるなんて贅沢すぎる。
いや、まだまだこの生活を続けたいって心から思うし、飽きることなんて想像もつかないけど。
何度も繰り返したら……それも、わかんないし。
つまり、ループが近付いて弱気になっているのだ、私は。ついでにイライラもしてしまう。このくらいの年齢になるといつもそうだ。
別に娘にならなくても、魔塔との接点は作れる。というか作らないといけない。
だって、ドゥニに魔力を減らす魔法を使ってもらわないとまずいから。どんな形であれ、ベル先生と知り合うことにはなるだろう。
実力で魔塔に入るとか、いろいろと方法はあるわけだし。
魔力も知識も引き継ぐから、今度の私は魔法が使える五歳児になる。きっと魔塔に入ることは認めてもらえると思うんだよね。
とまぁ、自分が傷つきたくないからあれこれ言い訳を探し続けているんだけど。情けないことだが、贅沢を知った私は臆病なのだ。
「ルージュ。絶対にまた僕の娘になるんだよ?」
「……私、何も言ってないよ」
「言わなくてもわかるさ。また悩んでいるんだろう?」
怖……。ポーカーフェイスには自信があるのに、ベル先生には一切通用しない。
私は本当に何も言ってないのに。ドゥニに頼まれた研究レポートをベル先生のところに持ってきた時、うっかりため息を吐いちゃっただけ。
夕日で真っ赤になった窓の外に視線を向けながら、私はさらっと答えた。
「大丈夫だよ。ちゃんとまた娘になるからさ」
説教されるのが嫌で、適当にそんな言葉をね。
ありがたい気遣いだとは思うよ? でも、そんな気分になれないことってあるじゃん。
ベル先生もわかっているんだよね。ループの時が近いってこと、それを私が気にしているってことを。
もう十年も一緒にいるんだから、私だってベル先生のことを少しだけ理解している。
「それは、本心かい? 本当に?」
うっ、今日は食いつくじゃないか。それに疑り深い。
私だって、この嘘があっさり見破られるのはわかっていたけどさ。察してよ、あんまり話したくないってこと。わかってて、聞いているのかもしれないけど。
……娘になりたいっていうのは、本当だよ。でもこの複雑な思いを言葉にすることはできない。
だから、黙ってしまう。その沈黙について何を思ったのかはわからないけど、ベル先生は私から受け取ったレポートを机の上に置くと、少しだけ屈んで私の顔を覗き込んできた。
俯いていた私の視界に、ベル先生のさらりと揺れる銀髪が入ってくる。
「ねぇ、ルージュ。僕を傷付けるかもって心配なんかしなくていいんだよ。遠慮なく本音を聞かせてほしい。何がそこまで、君を悩ませているのかな?」
うっかり、水色の瞳と一瞬だけ目が合ってしまった。温かく、そして全てを見透かすように私を見つめている。
ああ、もう。イライラするなぁ。
「……だって。また一から関係を築くことになるから。同じように、好きになってもらえるかなんてわかんないじゃん」
甘やかされて育った今回の人生で、心が弱くなってしまったのかもしれない。
私の心は、次のループに耐えられるのだろうか。
ダメだ。気持ちが暗く沈んでしまう。あっという間に夕日も沈んで、空が暗くなってきたからかもしれない。
「ほんの小さな違いで、人が人に向ける感情って変わっちゃうんだよ。前に優しかった人が、次も優しいとは限らない。前に大好きだった人を、次も大好きになれるかはわかんない」
次から次へと、言うつもりのなかった言葉が溢れてしまう。
私は怖いのだ。変化が怖い。だから、ずっと同じ人生を送ってきた。それが最善だと思っていたから。
でも、もっといい経験を覚えてしまった。
ベル先生の責任でもあるんだからね。この不安、取り除けるものなら取り除いてみせてよ。
「……僕はね、人の思いの可能性に期待しているんだ」
突然、何の話? そう思ったけど、ベル先生はよく回りくどい話し方をするから黙って続きを待つ。
「強い思いというのは、呪いにも打ち勝つってね。ほら、おとぎ話のお姫様も、王子様のキスで目覚めるだろう? 呪いにかけられた王子様も、愛する人の愛で呪いが解ける」
「そんなの、おとぎ話じゃん……」
「そうかな? 僕は本当にあると思っているよ。ルージュ、今回初めて僕と出会ったって言ったね?」
やさぐれた心で話を聞きつつ、黙ったまま軽く頷く。ベル先生はそれを見てにっこりと微笑むと続きを話した。
「僕の魂には、ルージュが愛する娘だということが刻み込まれた。だから、もしループしても僕の魂にはそう刻まれているはずさ」
「そんなの……っ!」
「確かに時間は戻ってしまう。でもね、『なかったこと』になったわけじゃない」
さらに苛立って声を上げると、それを遮るようにベル先生が続ける。その言葉に私は言葉を飲み込まざるを得なかった。
『なかったことになったわけじゃない』
それは、私がずっと思い続けていたことだから。
「ルージュが覚えているんだ。それと、その呪いをかけられた本人もきっと。二人にとってその時間は、確かに存在していた時間になる」
そうだよ。その通り。でも、誰も覚えていないんじゃ、意味がないじゃない。
「完全に『なかったことになる』わけじゃないってことさ。だから、大丈夫」
大丈夫だなんて、そんな言葉はいらないよ。
それならベル先生も覚えていてよ。そう言いたかったけど、声にはならなかった。
「これまで、繰り返す度に印象が変わってしまった人たちは……そうだな、ルージュとの記憶がどこかに残っていて、それが影響しているという可能性もある。些細な言い合いをしてしまったとか、ちょっと腹立つことがあったとか。人っていうのは、負の感情の方が記憶に残るものだからね。魂に、その負の感情の方だけ刻まれてしまった可能性が高い」
……言われてみれば。優しかったおばさんとはちょっとした勘違いで口論した覚えがあるし、仲良くしていた友達も喧嘩したことがある。でも、すぐに仲直りしたよ?
嫌な気持ちだけが残ってしまったから、次の人生で冷たかったの?
……納得できる、けど。そんなのってない。
私はこれから先、誰に対してもニコニコしてなきゃいけないっていうの?
「そんな負の感情よりも強い感情が、愛だよ」
……うるさい。
「僕のルージュへの愛は、しっかり刻まれている。なかったことにはならない。たとえ覚えていなくても、ルージュと出会えば絶対に愛してしまうだろうよ」
そんなの、口ではなんとでも言える。それが本当だって証明なんか、できないじゃない。
「……いよ」
「うん?」
なんでこんなに腹が立つんだろう。ベル先生は何も悪くないのに、抑えきれない。
「私の気持ちなんて、誰にもわかんないよ!!」
五歳のあの時、思い切り叫んで以来の大声だった。
目をギュッと瞑って俯いているから、ベル先生がどんな顔をしているのかわからない。見るのも、怖かった。
「ルー……っ!?」
私に声をかけようとしたベル先生の声が、不自然に止まる。同時に、ピリッとした空気を感じ取ってつい顔を上げてしまった。
その時だ。
お腹に響くほどの爆発音と振動。少し離れた場所から立ち昇る土煙。
──異様な気配。
一体何が起こったのだろうと頭が働かない私とは対照的に、ベル先生はすぐに動き始めた。
「ルージュはここから動いてはいけないよ。絶対に! 魔塔の魔法使いたち、戦える者は町へ、そうでない者は魔塔の守りを固めろ!」
鋭い声で私にそう言った後、拡声の魔法で魔塔に声を届けたベル先生は、あっという間に部屋から姿を消した。
のろまな私が、この町が何者かに襲撃されたのだと理解したのは、その数十秒も後のことだった。




