魔弾の射手と悪魔の名前
モブ視点で、本編より数年ほど昔の話。いつもの二人はほとんど出ません。
「七つの魔弾?」
十五歳の後輩は、その目をいぶかしげにすがめて繰り返した。俺は緊張をひた隠しにして頷く。
学生たちがいなくなった講義室。“負けた方は、勝ったほうの言うことをひとつ、なんでも聞く”という前提のもと、勝敗が決したチェス台。それを挟んで、俺はもう一度、要望を口にした。
「そう、作って欲しいんだ」
七つの魔弾。
長い魔術の歴史の中では比較的新しく発明され、そして実用から最速で禁術に指定された呪具。
それは名の通り魔力を込められた弾丸のことだ。いわく、六つの弾は射手の狙ったものに必ず命中するが、七つ目の弾だけは、どんな射撃の名手でも思いもよらないところに当たるのだという。そのことを指して、七発目は悪魔が操作すると言われているらしい。禁術に指定されている理由は言わずもがな、これを使った要人暗殺が横行したからだ。
一騎士の息子に過ぎない俺がこの魔術の存在を知ったのは、偶然にもここの書庫で、それがまだ取り締まられていない頃に書かれた古い本を見つけることができたからだ。
「もちろんただでとは言わない。いくらでも謝礼は払うし、」
「なんで?」
話を遮られて言葉に詰まった。しかしすぐに「じきに射撃試験があるだろ」と、俺は精一杯なんでもなさそうに言ってのけた。
「四年間、通しでいい成績が取れれば、騎士団に入るのに有利に働くんだ。うちは大昔からずっと大聖堂を警護する騎士団で働いてきたからさ」
ひそめられた眉を見て、焦りにかられる。思わず早口になってしまった。
「もちろん、ズルして騎士団に入ってもいい働きはできないだろうけど、俺は去年も一昨年も上位だった。今年だけは、手に怪我してるせいで」
「それはどうでもいいけど」
今度こそ俺は声を失った。動機を理解してもらうのが難関の一つだと構えていたのに、あまりにもあっさりと流されて、かえって戸惑ってしまった。
「なんで僕にそれを頼むの」
「……つ、作れるだろ、君なら」
「たぶんね。やったことないけど」
迷いなく答えた後輩は、相変わらずの冷めた表情のまま、無感動に続けた。
「で。あなたは僕に、自分のために、罪を犯せと」
「言わなければバレないじゃないか。君の腕を見込んでのことなんだ。……それとも、魔術の名家といえども、やっぱり自信がないか?」
奴は挑発には乗らなかった。
「ねぇ、悪いことは言わないよ。手に負えないものには関わらないほうがいい。非魔術師は、特に」
二学年下の少年からのたしなめるような言葉に、慎重に隠していたはずの苛立ちが表出した。とん、と荒々しく、指先を机の上のチェス台に立てる。
「俺に負けただろ」
破れかぶれだった。
案の定、後輩には、それで動揺する様子なんて微塵もない。何の感情も浮かんでいない目に射抜かれて、俺の背中を汗が伝い落ちる。相手が、背もたれに預けていた上体を起こす。
立ち去られる、と思った俺をよそに、後輩は長い指で盤上の白い駒を摘んだ。
「七発目は、射手には制御できない。くれぐれも、六発目でやめるんだよ」
上空に放り投げられたチェスの駒は宙を舞い、差し込む西日を反射した。
*
予想外だった。貴族の子弟とはいえ、世間知らずな一年坊主。おだてるか、強く言えばすぐに応じるとばかり思っていたのに。
かと思えば、遊びの勝敗を引き合いに出すと、あっけなく要求は通った。なんでもできるがチェスだけは弱いという話が事実だったことも含めて、よくわからないやつだ。
けれど、どう思われようと、魔弾が手に入ればこっちのものだ。向こうだって禁術に手を出した。口外できやしない。
あの日と同じ、誰もいない講義室で、俺は今朝後輩から受け取った木箱を開けた。七発の銀色の弾丸のうち、ひとつを取り出してジャケットの内ポケットに移す。見計らったかのようなタイミングで、廊下の同級生から声がかかる。屋外演習場に移る時間だった。
「今年も見学者がかなり来てるらしいぜ。父兄だけじゃない」
「貴族も見に来てるってな」
彼らの言葉に俺は黙って頷く。例年通り、父が所属する騎士団のスカウトもいることだろう。
だが、そんなことは今やどうでもよかった。俺は、もっと本質的なやり方で、大聖堂を守ることに決めたのだ。
演習場には、試験開始の時間にはまだ早いにもかかわらず、すでに多くの学生がいた。皆一様に、何十メートルも先に設置された的へ向けて練習弾を撃っている。
学生のほとんどが、授業ではじめて銃を扱う。銃声に混ざって「うわっ、はじめてど真ん中に当てられた!」とはしゃぐ声がどこからか聞こえてきた。
俺は逸る鼓動を抑えつけて、標的の位置を確認した。
いた。
いた。
あいつもいた。よし。
三人の所在を確認すると、視線を学生から少し離れた見物客の方へと移す。
いた。
いた。
いた。
これで六人。
七つの魔弾は、六発目までは絶対に狙ったものに当たる。代わりに、七発目は悪魔が操作する――つまりは、射手を破滅に導く結果をもたらす。安易に魔力に頼った者をあざ笑うように。
なら、七発目は撃たなければいい、簡単なことだ。
俺は木箱に残していた六発の弾丸を震える指で取り出し、苦労して銃に装填した。
俺は今日、この国に巣食う六人の魔術師を殺す。教会の教えに反した魔術師という生き物に牛耳られたこの国を助けるために、血を流す。裁かれてもいい、大聖堂を、悪魔に魂を売った者たちから取り返すのだ。
この手段を思いついてから、何度も頭の中でシミュレーションしてきた。大丈夫。失敗はありえない。ためらう必要はない。奴らは皮肉にも、自分たちが作り出した災いで殺されるのだ。
平和ボケした学生たちの間を縫って掲げた銃口の先には、背中を向ける最初の標的。
この暗殺が誰かに邪魔されるとしたら、俺に魔弾を渡したこいつ以外にありえない。
俺は引き金を引いた。銃声は、周囲の同じ音にかき消されたが、標的は頭から血を吹き出して倒れた。
やった。
すぐさま二人目を狙う。黒い髪の、騎士でありながら魔術師にもなった堕落者の息子。背が高いからすぐに見つかる。ただの騎士のままなら良かったのにな。撃つ。
三人目。倒れた二人目に駆け寄ってきた、赤茶の、貴族の嫡男。教皇猊下の姪である母君の血筋を考えれば心苦しい気もしたが、父親が駄目だ。撃つ。
周囲が異変に気が付き始めたがもう遅い。四人目は見物客。王妃の実家である貴族の跡取りの、眼鏡の男。撃つ。五人目、魔術師長の女。撃つ。六人目、これが最後。最も傲慢で罪深い、ピンクの髪の中年の――……。
いない。
全身がサーッと冷えていった。さっきまで、観客の中にいたはずの標的が、どこにも見当たらないのだ。
どこにいった。あの目立つ髪の男を、そうそう見失うわけないのに。まさか逃げられたのか、そんな、こんな好機は二度と巡ってこないのに。
急いで辺りに首を巡らせる。どこだ。どこに。どこ――。
焦る俺の、視線が止まった。
人混みの向こうに、標的と同じ色の髪の人間がいた。ピンクのそれをたっぷり背中に波打たせ、扇で口元を隠し、赤い目で不思議そうにこちらを見つめる、十代半ばの娘。
――こっちにしよう。
人の視線から隠すように下げていた銃をもう一度構える。まるで誰かに用意されていたかのように、銃口から娘まで一直線に、遮るものが何もなくなる。
これが六発目。今日は国を悪魔から取り戻す戦いの最初の日。大聖堂の神聖さを取り戻すのだ。この身はどうなろうとかまやしない。
俺は引き金にかける指に力を込めた。
耳をつんざく爆発音とともに、身体に大きな衝撃が走った。
さっきまで見えていた景色が変わっている。同級生たちの混乱した顔は消え、声ははるか上空から聞こえてくる。視界は土埃に遮られ、その向こうにいくつもの靴が見えた。
なんだ?
「また倒れた!」「医者を呼べ!」「ちがうこいつが犯人だ!」
すぐそばのはずの喧騒が、いやに遠くに聞こえる。何が起きたのか確かめたいのに、腕も足も、首も動かせない。ただ、身体が、熱い。頬が固いものに押しつけられている感覚があって、それが自分が地面に仰向けに倒れているせいだと気がついたとき、銃が暴発したと誰かが叫んだ。
そんなばかな。魔弾は六発目までは必ず狙い通りに届くはず。弾はそこにいる女に当たるはず。
これではまるで、七発目を撃ってしまったかのようではないか。
俺は感覚の鈍くなった腕を、どうにか胸に運んだ。手のひらで、服の上を這うように、ポケットのある位置を探ろうとした。目を凝らして、六人目の標的を探した。
「……あ……?」
あの娘がいたはずの場所に立ち、こちらを見ている奴がいた。慌てるでもなく、怖れるでもなく。
あいつだった。
俺が、最初に撃ち殺したはずのあいつが、銀の前髪のはざまから赤い血を流しながら、こちらを見ていた。
朦朧とする視界の中で、そこだけはさみで切り出したようにはっきりと目に映るそいつは、ゆっくりと人差し指を顔の前に立てた。
それから、その指を騒ぐ学生の群れに向ける。
指差す先には、この事態に青ざめ、混乱しながら銃を抱えているひとりの学生がいた。二発目、三発目の弾で殺した二人の学生とよくつるんでいた、非魔術師の同級生。
俺の視線の先で、血を流したままの後輩は、ぱくぱくと薄い唇を動かした。
聞こえるはずもない距離なのに、その声はなにより鮮明に脳内に響いた。
「ひとつ、彼に、あげちゃった」
ひとつ。
……魔弾を、ひとつ。
『うわっ、はじめてど真ん中に当てられた!』
魔弾は、六発までは、狙ったものに必ず命中する。
ひとつ、あげた。
俺が六発撃つより、前に。
「……!!」
俺が七発目を隠したはずの胸ポケットには、何の感触もなかった。
「……お……まえ……」
口から血が溢れて、それ以上は何も言えなくなる。意識が遠のいていく。
目の前の光景が闇に沈んでいく直前、魔弾を作った魔術師はこちらを見つめたまま、ポケットから何かを取り出し、天に向かって高く放り投げた。
日の光を反射したそれは、白いチェスの駒だった。
「ねぇ」
はっと目を開くと、ちょうど落下してきたポーンが相手の手に握り込まれたところだった。
「起きた?」
チェス台を挟んだ先にいる銀髪の後輩は、やや呆れたように聞いてくる。その顔に窓からの西日が当たっていた。
目を開く。そう、俺は今、目を開いたのだ。それまで、目を閉じていたのだ。
「……俺、寝てたのか?」
後輩は渋い顔で頷いた。俺は呆然としながら、どのくらい、と聞いた。
「さあ、どのくらいかな。黙ったと思ったらそのまま寝ちゃうんだもん。で、僕は何をすればいいの?」
「え?」
「敗者は勝者のいうこときくって約束だったじゃん。僕に命じること、考えながら寝てたよ君」
俺は額の汗を拭いながら、辺りを見渡した。
人のいない講義室。勝敗は決したはずが、歩兵が一つ足りないチェス台。その歩兵を退屈そうに宙に投げては受け止める、目の前の後輩。
魔弾を依頼したあの日に、時間が戻った? いや、あの光景が夢だったのか?
呆然と固まっていた俺は、ガタッと椅子が床を擦る音でまた我に返った。
「考えてなかったんなら、今度聞かせて。賭けを無効にしてくれるなら、僕としてはありがたいけど」
額に傷跡のひとつもない後輩は、そう言って立ち上がる。コン、と駒を盤の上に戻し、もう話は終わったとばかりに出入り口へと歩いていってしまった。
一人残された俺は、額から汗がどっと吹き出てくるのを感じていた。
なんという夢だろう。宿願が叶いかけたところで突然足をすくわれるだなんて。
俺は大きく息を吐いた。悪夢だったが、夢で済んでよかった。きっと連日連夜のシミュレーションで寝不足だったせいだ。そう思い、時間を確認しようとジレのポケットに手を伸ばし。
そこで違和感に気がついた。なにと思って上着の内ポケットを探ると、手の先に硬いものが当たった。なんだか濡れている。引っ張り出してみる。
それは一発の、血まみれの銃弾だった。
俺は凍りついたまま、目だけを動かして講義室の出入り口を見た。
奴はまだそこにいて、静かな目でこっちを見ていた。あのときとおなじように、感情の読めない緑の目で。
ほらね、と、その口が動いた。届かないはずの距離なのに、声が鮮明に脳内に響く。
「手に負えないものには、関わらないほうがいいって言ったでしょ」
廊下から、リカルド、と名を呼ぶ、誰かの声がした。




