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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第六章 サルヴァンテの魔術師

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71 フェリータ・ペルラ




 彼女について、本当はほとんど何も知らない。

 初めてその姿を目にした五年前のその日、ロレンツィオは父親にヘッドロックをかけられて、宮殿の廊下を引きずられていた。



 ***



「騙しやがったなクソ親父!!」


 怒鳴って拘束から抜け出そうともがく。だが巻き付く腕は万力のように固定されてびくともしなかった。

 十七歳の彼自身も、少年とはおよそ呼べない程度には上背があり体格もよかった。けれども、長年魔術師と騎士団長を兼任してきた父の、抑え込む技術と経験と手加減の無さの前には無力に等しかった。


「何がクソ親父だクソ餓鬼め。お前が学院と騎士団で時間を食いつぶすから、私がバディーノ侯爵に頼み込んでオルテンシア様のサロンに招いて頂いたんだろうが。宮廷に出入りする方々に顔を覚えてもらうのと同時に、宮廷仕えの魔術師がどういうものかもしっかり学んでこい」


「ざけんな、よりによってなんであの女のサロンなんだっ! 問題児極まりない孫のお守りに、体よく俺を使いたいだけだろ、あの狐ジジイ! だいたいっ、魔術は基礎を知っておかないと事故るって爺さんが言うから習っただけで、それで生きていく気なんかないんだよ放せバ、痛たたたたたた!!」


 騙された騙された騙された。

 可能なら、今朝に戻りたい。花の散る庭を臨むベンチに座り、母に肩を撫でられながら『この目がまだ映るうちに、宮殿の前に立つ息子の凛々しい姿を、ひと目拝みたかった……』とか細い声で話す背中の丸まりにほだされた自分を“バーカ!!!”とぶん殴ってやりたい。


 頑なに宮廷人を拒否する息子に、なんとしても将来へのツテを作らせようと一芝居打った父親は悪びれる様子もない。ふんと鼻を鳴らして歯ぎしりする息子を睥睨する。


「馬鹿はお前だ。確かに武芸はカヴァリエリ家にとってなくてはならない。だが魔力を持って生まれたのなら、その力まで含めて、国に役立てんでどうする」


「物は言いようだなっ、親父は俺を爵位のために利用したいだけだろ!」


「『親父』じゃなくて『父上』。『俺』じゃなくて『私』。直さんと恥をかくぞ」


「今かいてるよ! 言葉以前の部分でな!」


 がなると、父親はようやく息子を解放した。呆れたような眼差しが、咳き込む息子へ向けられる。


「お前、自分の家の危うさがわからんのか。歴史はあれど身分は低い。表立っての支援者も少ない。バディーノ家には深い恩があるが、早くに自立しないと今度は孫のお守りだけじゃ済まなくなるかもしれん。次の世代のために、家長として自分が一肌脱ごうと思えないのか」


 ロレンツィオはげんなりして、首と肩を撫でながら反論した。


「慣れない魔術で家を盛り立てるのがキツいんだろ、うちは根っからの騎士なのに。そこで無茶をしようとするから、侯爵家に足元見られる」


 先ほどまで年配者に引きずられていた若者がまっすぐ立ってその容貌がわかるようになると、苦笑して通り過ぎようとしていた女官たちの目の色が変わった。

 

「不安なら離れればいいだろうが。別に主従関係もないし、恩は爺さんがきっちり返したんだろ」


「これだから子どもは……お前、うちが今バディーノ家とたもとを分かったら、すぐに()()()が我々を追放しにかかるぞ。宮殿どころか、この島からな」


「大げさだよ……」


 ロレンツィオは小声で吐き捨てた。

 とはいえ、自分たちに明確な政敵がいるのは事実で、王妃の実家であるバディーノ家とのつながりが防波堤になっているのも間違いない。父親の懸念もわからなくはなかった。


 ならば、チェステ家を頼れないか、とも思ったが。

 ロレンツィオは温厚な学友のことを一瞬思い出し、そしてすぐその考えを頭から消した。彼らにメリットがなくて図々しいし、そうでなくても“教会付き”はごく繊細なバランス感覚が求められる立場だ。


 彼に無神経な頼みごとをしてわずらわせた結果、友情にひびでも入ろうものなら、後悔してもしきれない。


 もうひとり、別の大貴族の子息が同じ学院にいるのは知っているが、それこそ望みが薄い。

 険悪ではないが、かれの生家は“あの家”と強固な同盟関係を結んでいる。――あとどことなくオルテンシアと少し似てるというか、なんだか深く関わっちゃいけない気配がしている。借りは作りたくない。


 ロレンツィオが眉間に深いしわを刻んで考え込んでいると、父親が「大げさなものか」と息子以上に苦々しい渋面で、廊下の先を見るよう促した。


「なにせ相手はあいつらだぞ、ほら――」


 顎をしゃくった先に、やたらに派手な髪色で太った小男と、それを取り巻く数人の貴族たちがいた。

 群がる者たちの甲高い声が、それなりに距離のあるロレンツィオたちのところまで届く。


「――ご機嫌麗しうぺルラ伯爵! おや、そちらの美しいお嬢様は?」


「もしや噂の? これはこれは、サルヴァンテ中を探しても二人といない美姫でおられる!」


「なんと、お若いころの伯爵を妖精に変えたかのようなお姿!! 輝くルビーそのもののような御仁ではありませんか!!」


 一団はロレンツィオたちに気づいていないのか、まっすぐこちらに向かってきている。

 少ししてから、ロレンツィオは小男の隣にもう一人、小柄な少女がくっついていることに気が付いた。


(髪色が一緒で身長が近いから、となりのデブと同化してたのか)


 父親が、息子の腕を掴んで横道へと引いた。伯爵家など顔を合わせるのも不快だという表情で。

 しかし、引いた腕はびくともしなかった。


「……ロレンツィオ?」


 青年は動かなかった。

 足が張り付き、全身が凍り付いたように、その場から動かなかった。


 このままでは真正面から一行と衝突してしまう。


 しかし、父親の懸念が現実となる前に、小男が足を止めて上機嫌な声を廊下に響かせた。 


「そう焦られずとも、ご紹介いたしますよ! ゆくゆくは宮廷付き魔術師となるであろう、わがぺルラ家の跡取りを! フェリータ、ご挨拶なさい。こちらはジュリエリオ子爵、こちらはアルピーナ伯爵。そしてこちらは」


 最初に紹介を受けた男が手袋に覆われた小さな手を取り、「お近づきになれて光栄です」と口づけようと手を持ち上げた。

 が。


「結構です」


 ――見た目通りに、甘く可憐な声だった。

 だが繰り出されたのは間違いなく拒否の言葉で、娘は白い手袋越しの手をすっと引いた。笑顔の一つもなかった。


「っ、フェ」 


「リカルドと、このあと会う約束がありますの。他の殿方の口づけを受けた手を、彼は大層嫌がりますから」


「フェリータ何いっとんじゃ!?」


 硬直した取り巻きたちと、青ざめて怒鳴る父親に首を傾げた後、娘は「ああ」と合点がいったように呟き。


「唾が付いていそうなのが、嫌なのですって。彼は昔から綺麗好きで」

 

「詳しく話せとは言っておらんわ!!」


「あら、ではお話はもうおしまいでよろしくて? よかった、そろそろ待ち合わせの時間ですの。皆様ごきげんよう、またお会いしましょうね」


 優雅なしぐさでスカートを摘まみ、ごくかすかに腰を折ると、娘はわななく父親と蒼白になった貴族たちをその場に残して、軽い足取りで歩みを再開した。目撃した他の役人や貴族たちの動揺など、まるで見えていないかのような堂々たる佇まいである。


 もちろん、道を変えていないので、立ち止まったままのロレンツィオと一歩一歩着実に距離を縮めていた。リボンをあしらったストロベリーブロンドが揺れる。小柄な体躯を包むレモン色のドレスが揺れる。胸元で、金色のロケットが揺れる。

 瞳は遠くを見ていた。ここではない別の場所に思いを馳せているかのように。


 だが、たがいの距離が目礼を交わすにふさわしい近さにまでなったとき、娘の赤い目が急に焦点を合わせ、何かに驚いた様子で上を向いた。ちょうど、ロレンツィオの顔の高さまで。


 その顔が、みるみるうちに微笑みの形になり。


「あら気が利くこと。さすがわたくしの騎士」


 ――背後にいたらしい“騎士”に、そんな言葉を投げかけると、最後までロレンツィオには目もくれず、その横をすり抜けた。爽やかで華やかな香りが鼻腔を掠める。  

「急ぐわよグィード、リカルドを待たせてしまいますわ」と神経質そうな声が、その香りとともに遠ざかっていく。


「……見たか、あの態度。非常識で、横柄で、人の心を踏みにじるのになんの罪悪感もない」


 足音が聞こえなくなったあたりで、父親の忌々しげな声が耳を打つ。ロレンツィオは「ああ」と低く答えた。


「見た」


 そしてロレンツィオはすぐさま、父親が引き込もうとした横の通路に足を向けた。


 ややあって、残された伯爵の怒号が宮殿内に響き渡った。




 ***




 彼女について、本当はほとんど何も知らない。

 その日以来、ロレンツィオは積極的に宮殿に赴いた。オルテンシアは喜んだ。ろくでもないことに何度か巻き込まれはしたが、おかげで兄王子を含めた宮中の要人とつながりを持つことはできた。


 それでも彼女について、ほとんど何も知らないままだった。

 宮殿に、いつでも相手がいたわけではない。いたとしてもほぼ父親か、例の“大貴族の子息”がそばにいた。

 目にするのはたいてい後ろ姿か横顔だった。

 真っ赤な瞳はいつも別の誰かに向いていた。

 特徴的な色をした、長い髪ばかりが目に焼き付いた。


 ロレンツィオはそれまでの生活に加え、魔術の研鑽にも本腰を入れるようになった。あまりの詰め込みように、騎士団から鍛錬の一時中断を提案されたが、一考もせず断った。


 相変わらず、彼女のことはほとんど、何も知らないまま、時だけが過ぎた。


『落伍者が意見陳述に来たと。おまえかしら?』


 同じ職を得る前の四年間、話す機会は一回きりだった。


『ロディリア国宮廷付き魔術師棟にようこそ、ロレンツィオ・カヴァリエリ殿』


 はじめて向けられた笑顔は、その“一回きり”を犠牲にして提示されたものだった。


 理性ではわかっていた。追いかけてもろくなことにならないと。

 高嶺の花だからではない。毒花だからだ。解毒薬はエルロマーニ家の次男坊しか持ち得ない、猛毒の花。


 だからいっそ、挨拶を向けられる有象無象の誰かよりは、睨みつけられるたったひとりの天敵になった方がマシかと思った。

 諦めがつくかもしれないから。

 なのに。


『謝罪は今度で結構です』


 卑怯な女はどこまでも狡かった。

 明らかにおかしな魔術を使ったのに、それに誰も気が付かないのは、彼女があまりにも堂々としていたせいに違いない。

 降りしきる真珠の粒が、絵画のように美しかったからに違いない。


 

 自分は、彼女のことは何も知らない。

 例外といえば、リカルドのことが好きで。


『わたくし、フェリータ・ぺルラは!』


 騎士は間に合っていて。


『病めるときも、健やかなるときも』


 ロレンツィオのことは嫌いということ。


『これを愛し、支えることを』


 それ以外には、知らない。


『ちかいまあぁぁぁぁぁぁぁす!!』


 いい話なんてろくに聞かなかった。実際会って、噂に輪をかけて最悪の女だと実感した。


 実感できた。


 その感覚を知りたくて、結局国の最高峰の魔術師の地位まで上り詰めてしまった。

 慣れないことしてキツくなって、無茶してまでそれでも知りたかった。

 それだけの価値がある人だった。怒っていても、すましていても、他の男に笑いかけていても。


 水に、真っ逆さまに落ちてきても。


 心臓が止まりかけた。無我夢中で引き揚げた。舟に乗せて、ショールを払って、人形とは程遠い必死な顔を見て。


 思い返すと、ベールオープンのようだった。

 


 



 ロレンツィオは、黄金の鯨に向かって泳いだ。

 あのときは、間に合ったのに。


「やめろ」


 もう魔力はほとんど残っていなかった。考えなしに飛び込んで、自力で濁流をかき分けるしかなかった。

 そうしていると、運河の水が減り、流れが緩やかになっていくのが文字通り全身で感じ取れた。


 分かりたくなかった。水よりも、焦燥で息が苦しくなった。


「やめてくれ」


 風が弱くなっていく。振り続けていた雨が静かに止む。

 とうとう、足が運河の底に付いた。濁った水面は腰、腿、膝とどんどん低くなっていく。

 

「やめるんだフェリータ!!」


 叫んだ声の先で、金色の鯨が再び宙を跳んだ。最後の雲を払うように尾が揺れる。彼女が持っていた扇のように。

 疲労も忘れて、ロレンツィオは走った。

 体を回して、運河にこすりつけるように戻ってきた巨体に向かって。


 運河の、最後に残った水を一飲みにするように、口が開く。そこへまっすぐ飛び込んでいく。


 黄金の鯨の内側は、闇だった。

 ロレンツィオはその中で、ただひたすら手を伸ばして進み続けた。

 





 ――どうして、いつも人の言うことを聞かないんだ。

 限界を知っているだろう。そこを超えた先でどうなるか、分からないわけないだろう。

 自分の家の秘術なら、どれほどの魔力を食うか、知らないわけないだろう。


『もしあなたが勝てたのなら、今後はあなたに逆らわない、従順な妻になりますわ』


 嘘ばっかり。

 どこまで最低な女を更新すれば気が済むんだよ。


 もはや苛立ちでは、恐怖を誤魔化しきれなかった。それでも、闇をかき分け鉛のような足を前に動かす。

 そうしていると、視線の先で何かが銀色に光った。


 思わず伸ばした手に、かすかに触れたものを、ロレンツィオは強く掴んだ。

 







「水が、消えた」


「嵐も……」


 レオナルドの従者たちが、呆然と呟く。

 フィリパはひとり、ふらふらと運河へと近付いていた。

 水かさが十センチ程度にまで減った運河の、船着き場へ続く階段を降りていく。   


「……海際で、宮廷付きたちが水を止めているのか」


「……鯨も、消えたな」


 男たちの戸惑いが、徐々に安堵と歓喜の声に変わっていく。主人と連絡を取ろうと我先にと動く魔術師たちを背後に、フィリパは胸の前で拳を握りしめたまま、物も言わずに船着き場へ降り立った。


 ぽちゃぽちゃと、水面が鳴る。


 護岸壁の梯子を伝い、透けて見える川底まで降りる。水は透明に澄んでいた。


 そこに座り込むずぶ濡れの男の背に、近づいていく。

 

「ロレンツィオ様……」


 男は振り向かない。


 フィリパには、正面に回る前から、その理由が分かっていた。

 膝の上に、人を横たわらせているからだ。前に回って確認すれば、ロレンツィオは片腕で相手の背中を支え、俯いて、その顔を見つめ、懐中時計の鎖が絡んだもう片手で相手の小さな手を握りしめている。





 握り返さない手を。




 彼らのそばに、指輪がひとつ落ちていた。水のゆらぎの下にあるそれは、小さな、結婚指輪のようだった。

 フィリパは胸の前の手に力を込めた。

 中で握りしめられたロケットが、小さな音を立てる。


 

 

 

 ぽちゃぽちゃと水面が鳴る。


 真珠の粒が、のぼり始めた朝日を反射して、際限なく降り続いていた。



 




 ***





 


 本当になりたかったのは、国を守る魔術師なんかじゃなかった。


(だって世が世なら、俺は、彼女の)








 国を守るのがあなたならば。


 あなたを守る騎士は、俺であってほしかった。




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