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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第五章 星の血統

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54 怖い男


 しかしロレンツィオは、フェリータをからかってきたわけではなかった。

 目元は相変わらず、射抜くように鋭い。そしてどこか、不機嫌そうだ。


「俺はまさか、あんたがそうだとは思ってなかったよ」


 本当に射抜いてきたのは目ではなく言葉だった。 

 

 幻滅されたのだろうか。

 恥じ、恐れながら、それでもフェリータは続きを待った。


「一瞬期待したけど、話そらされてやっぱり前者だと確信したし、治癒だなんだのは俺に冷遇されるのを恐れてとりなそうとしたんだと思った。だから、そんな必要はないと分からせたつもりだったんだが」


 切れた言葉に気を揉んだフェリータは、次の瞬間、ロレンツィオの手が己の髪に伸びてきたことに息を止めた。寝台に潜ったせいでくしゃくしゃなのが無性に恥ずかしくなった。


「これじゃあんた、まるでもう一回どうにか俺の方から迫らせて自分の渇きを癒やしたがってる、欲求不満の小心者みたいじゃないか」


 プライドを裂く、あまりな言いように、フェリータは思わずぎりっと相手を睨みつけてしまった。


「それの、何が悪いの……」


 肯定するしかないのが何より悔しかった。

 けれどロレンツィオはフェリータの弱みを、それ以上追求してはこなかった。


 彼の不機嫌は、別のところにあった。


「悪いが? 俺だって、動くための言質(げんち)が欲しいに決まってんだろ」


 言質。フェリータは胸を打たれた。

 ロレンツィオは、行動の拠り所となる言葉を欲している。

 俺だって、というからには、フェリータはすでに持っている、受け取っている言葉を。


「……生涯、嫁に片思いして暮らす覚悟決めてた俺に、何かかけるべき言葉はないのかよ」


 恩着せがましい言葉でも、その本意は懇願だ。

 気がつけないふりはできなかった。こっちにも、相手に求めるものがある以上。 


 片思いして、という言葉で喜ばせてもらうばかりでは駄目なのだ。


 ――そうだ。自分は喜んでいる。

 この男に思われていることが嬉しい。

 この自覚が、そのまま男の求める言葉なのだろう。


 すなわち。

 

「……すき、に、なりました……」


 ほとんど息みたいな声だったのに、ロレンツィオの、目の光が変わって、伝わったのだとわかった。


 恥ずかしい。

 顔が爆発しそうだ。


 男の口角が、みるみる上がっていく。あからさまな反応に顔が上げていられない。

 俯こうとして、ロレンツィオの髪を絡め取る指が動いて阻止される。引っ張られたわけではないのに『俯くな』と言われた気がして、従ってしまった。


 悔しい。そっちが先に好きになったくせに、絆されてあげたのはこちらのはずなのに、欲を出したばっかりに!


 ともすれば余裕とも言える男の態度を、ボロボロのプライドが許さなかった。

 ギリギリの状態でもフッと笑えたのは、日々の鍛錬のたまものと言えた。


「……って言ったら、あなた嬉しいの?」


「嬉しいよ」


 完敗。カウンターが早すぎる。

 ああそう、ともにょもにょ呟いていたら、ぐっと背中に腕が回された。いつの間にか、ロレンツィオは腰掛ける場所を寝台に戻していた。


 そしてそのまま引き寄せられてしまう。

 今度は、顎は上げてもらえなかった。


「上向けよ」


 やはり自分の意思で従うしかなくて、なんの言い訳もさせてもらえなくなる。

 泣いたあとの、真っ赤な顔を見られているのは恥ずかしいのに。


 下りてきた唇が重なったら、もうそんな葛藤は頭から消えて失せてなくなった。


 温かい。

 少しかさついている。

 角度を変えて、より密着してこようとする。


「……目、閉じたほうがいい?」


「見てたいなら好きにすれば」


 離れた拍子に目があって、照れ隠しに問いかけると含み笑いで返されて、そしてまた距離を埋められる。


 今度は、唇を割り開かれた。実にスマートに舌が入り込んできた。

 

「……っ」


 なにこれどうしたらいいのと翻弄されているうちに、男の膝が寝台に乗り上げていた。

 体が後ろに傾いだ。一瞬の恐怖ののち、背中が寝台につく。


「えっ、あ、何して、」


「嫌か」


 驚き、焦り、はねのけたい気持ちもあったが。


「俺は続けたいんだが」


「っま、……まぁぁぁ…………」


 取り違えようもない直接的な要求は、銃弾の形をしていた。

 穿たれて貫かれて絶命し、抗う力を奪われたフェリータは、静かに決意し目を閉じた。


 空気が抜けるように黙ったフェリータに、口づけが再開される。唇を舐められながら、大きな手に頬を撫でられ、頭をくるりと包み込まれる感覚に、気恥ずかしさと後ろめたさと、どうしようもないほどの幸福感が押し寄せてくる。


 そうか。

 自分は、ロレンツィオ・カヴァリエリを好きになってしまったのか。


(嫌いだったのに)


 家の仇だったのに。

 宮廷付きの先輩後輩として、初めて話したとき、冷たい態度を取られたのに。

 あのとき、なんであんなひどい態度を取ったのか、後で聞いてみようとフェリータは途切れ途切れの思考に書き留めた。


 こんなに自分のことを好きなくせに、見込みがない恋だからって極端だ、と。本当に傷ついたと文句もつけてやらないと、と。


 ()()()、覚えていたらだが。


(………それにしても、怖い人)


 顎をくすぐられて触れるだけのキスを顔中に浴びせられながら、フェリータはぽわぽわと浮遊する頭でぼんやり考えた。


(部屋を出るのは引き止めたけど、わたくし、こんなことまでしたかったわけではないのに……)


 押し倒して、逃げ場をなくすくせに、触れる手が優しいのがずるい。全部身を任せても良いのだと思わされてしまうから怖い。


(時とか場所とか考えてくれないのかしら……)


 まだ夕方なのに。客間なのに。男の右手は顔の近くにあるけど、左手がとんでもないところにある。バレてないつもりか。バレても拒まれないと思ってるのか。狡猾な大胆さが怖い。

  

 自分は、ここまでするつもり無かったのだ。

 でも仕方ない。もうこんな体勢だし、ロレンツィオの手は明らかにそういう動きだし、今さら拒絶したら、きっとさっきの自分の頑張りが水の泡になるのだろう。


 でもこっちは初めてなのに。

 キスには応じたが、そんなつもりはなかったのに。

 忌々しい。ロレンツィオ・カヴァリエリ、なんて油断ならない男だろう。


 まったく。

 

(も〜〜ほんとにわたくしのこと好きすぎて怖い男ですわぁ〜〜〜困りますわぁ〜〜〜〜)

 

 ――十九歳、恋を自覚したばかりの女は、浮かれまくっていた。


 幸い、期待に緩んだ頬を指摘されることもなく、このときのフェリータは存分に“人のせいにして被害者ぶって、満足感だけ得ようとする卑怯な女”のお手本のような思考で自分のプライドを守ることができた。


 そのくせちゃっかり、相手の大きな背中にそーっと腕を回していた。怪我のことがちらりと頭をかすめたが、こんなに元気な男に、他になんの処置が必要なのだと思い直す。


 慣れた手付きで部屋着のボタンを外されて、広げられたデコルテに熱い吐息を感じたとき。





 突然、かぶさっていた体がバネのように離れて、フェリータは勢いと流れ込んだ冷気で「ひぇ!?」と悲鳴を上げた。


「な、何……」


 目を開けてみれば、身を起こしたロレンツィオは膝立ちの状態で、顔を部屋の扉がある方に向けていた。


 その表情の険しさに、フェリータも視線の先を追う。そして、閉め切られた扉の前に見つけたものに、心臓が引き絞られるほど驚いた。


 そこに、黒い犬がいた。黒いまなこでじっとこちらを見ている犬が。


 指先が冷えるのを感じた瞬間、犬の体がブワッと膨張し、パンと破裂するように消えた。


「ロ、ロレンツィオ、今の、は……」


 犬がいた場所には、小さくて白い『何か』がひらひらと舞っている。


 嫌な予感に苛まれながら切れ切れに問うフェリータに、しかし答えは無情だった。


「……ヴァレンティノの使い魔だ」 


(やっぱり!)


 フェリータの頭からどっと汗が吹き出る。脳裏に思い浮かんだ紅茶のような髪色の好青年は、想像の中で既に笑みを引きつらせていた。

 彼の魔術の残り香は、白い花びらだった。


「み、み、み、見られ、見ら」


「いや、あいつは使い魔と視界共有はあんまりしないと言っていた。魔力を食われるから」


 良かった彼が宮廷付きになるほどの魔術師じゃなくて!

 フェリータはものすごく失礼なことを思いながら、襟元が乱れた胸を撫で下ろした。


「そう。す、すぐに消えてしまわれたからてっきり……ロレンツィオ?」


 視線を戻したフェリータは、そこでようやく夫の様子のおかしさに気がついた。


「……何かあったのかもしれない」


「え?」


「使い魔の消え方がおかしかった」


 青ざめたロレンツィオは、使い魔が消えた場所を見つめたままだ。その横顔には、ほんの数秒前までの熱量や甘さは、みじんも残っていない。


「ヴァレンティノは俺に協力したせいで、結果的にリカルドの逮捕に一枚噛んでる。……逆恨みされてるかもしれない、行ってくる」


「……え?」


 フェリータが話についていけず目を白黒させている間にも、ロレンツィオは立ち上がり、服を直しながら大股で寝台から離れていった。


 そしてジレのポケットの懐中時計を確認すると、振り返ることなく部屋から出ていった。


 ややあって、玄関扉の開閉音と、運河の波が乱れる音が届く。




「…………えっ!?」





 ***



「パパ、今日は忙しくて戻れないそうですよ」


 夜の帳に包まれたぺルラ邸。その女主人の寝室で、フランチェスカは寝台の母にそう話しかけた。

 二人の間には小さなテーブルが置かれ、彫り物と埋め込まれたビーズが美しい駒のチェスが置かれている。

 部屋の隅にはグィードが控えていた。


「ああ、リカルドさんの逮捕でってことね」


「驚きましたね。……ママ、大丈夫?」


「私は別に」


 肩を竦めて答え、ジーナは己のナイトを進めてポーンを取る。顔色はすっかりもとに戻っていた。


「そう、まあ捕まった以上大丈夫でしょうけど、ママにはしばらくこっちにいてもらったほうが私も安心できます。よその方も、力も、おいそれとは入れないよう守りを敷きなおしたそうですから。……お姉様は、大丈夫でしょうか」


 顎に手を当てて、姉を心配して眉を寄せながら、フランチェスカもビショップで相手のナイトを取る。このまま、邪魔な位置にいるルークも取りにいけるだろうかと同時に考える。


「またどっか飛び込んじゃったりしないかって?」


 言葉と当時に、フランチェスカの獰猛なビショップと狙ったルークの前に、ジーナのもう一つのナイトが立ちふさがる。次女はむっと口を尖らせた。


「茶化さないであげてください。ただでさえ、望まない結婚なのに」


「望まない、ねぇ。案外、外野が思うような実態じゃないかもしれないけど」


 その言葉に、「何を言っているのです」と訝しげにしながら、フランチェスカは盤の端のポーンを進めた。ジーナが眉を上げる。


「昇格です。ママ、このポーンのこと、すっかり忘れてたでしょう」


「やられた……」


 言って、フランチェスカは敵陣の一番奥まで到達したポーンを取り除いて、代わりに既に落ちていたルークをひっくり返して置いた。敵の二つ目のクイーンに、ジーナが頬杖をついて唸る。


 大貴族の子息のスキャンダルが公にされるのはいつごろか。

 今後のサルヴァンテの喧騒を予感しながら、つかの間の静かな夕べを母子は堪能していた。


 家主と、長女の心中を思いやって、やるせないものを感じながら。



 ――壁の置物と化していた忠実なグィードがハッと顔を上げた、そのときまでは。


「……なーんて、噂をすれば影とも言」


 バァン!!


「ママ〜〜〜〜フランチェスカ〜〜〜〜〜〜わたくし出家する〜〜〜〜〜〜〜!!!!」



 突如開け放たれた窓に、騎士が立ち母子は絶叫した。


 屋敷の主人の敷いた守りは、両手にいくつもの瓶を抱え、涙で顔をぐしゃぐしゃにして飛び込んできた娘には何の効果も示さなかったらしい。



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