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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第四章 魔力なき呪い

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50 一番大切な


「あ……」


 自分を戒めていた腕から力が抜ける。浮いていた足はすぐに地面についた。

 血と砂に塗れたロレンツィオの体が、なんの支えもなくフェリータの方に寄りかかってくる。


 抱きとめようとして、フェリータは重みに沈んだ。そのまま、瓦礫とおもちゃの散乱する床に膝をつく。


 ロレンツィオの腕は、だらりとぶら下がっているだけで、動かない。

 信じがたい状況に、フェリータは声の出し方を忘れたように黙りこくっていた。

  

「……フェリータ」


 そんなフェリータに、リカルドが静かに言葉をかける。寝台から降りながら。


「大丈夫。すぐに忘れさせる。覚えていたまま僕と一緒にいるのは、罪悪感で辛いだろう」


 近づいてきたリカルドは、そのままフェリータの横に膝をついた。力を失って覆いかぶさってくる男を抱えて宙を見つめるフェリータを、痛ましげに見つめる。

 

「後のことは、僕が綺麗にしておく。これも想定済みだよ、君の家族に心配はさせないし、カヴァリエリ家とも話をつける」


 リカルドが掲げた腕に、大鷲がやってきて、しゅるんと消えた。

 床に落ちた羽は、いつもより大きく、鮮やかな模様を描いている。


「だから行こ。彼は置いて」


 死の魔術を扱ったその手が、フェリータの頬へと伸びてくる。顔を引っ掻かれたことも忘れたかのような、どこまでも優しい指先で。

 自分より弱い者を哀れみ、慈しむ手で。


 フェリータはされるがままだった。

 伸びてくる手を払えばいいのか、受け入れればいいのかわからなかったからだ。

 この身にのしかかってくる奇妙な重みを、どうすればいいのかわからなかったからだ。


 気づけば息もできていなかった。抱きとめた体をただ支える以外、今何をすればいいのか、まるで分らなくなっていた。


 ――死んでしまったのか?

 リカルドに殺されてしまったのか。

 自分を取り返しに来て、ロレンツィオは死んでしまったのか。


 頭が痛い。

 ぎゅっと腕に力を込めても、振り払われもしなければ、抱き返されることもない。

 頭が痛い。

 肺が抉られたと言われても信じそうなほど、息が苦しい。

 頭が痛い。割れそうなほどだ。あの夜、オルテンシアを助けた夜と同じくらいか、それ以上に。


 息の仕方は忘れたまま、体の奥底で熱量の固まりが勝手に動きだす感覚があった。


 ほとばしる感情が、手を伸ばしてくる男に向けた殺意だと、フェリータが自覚しかけたとき――。


 そのリカルドの手が、フェリータの頬に触れる直前で止まり。

 べきょっと奇妙な音を立てて、まるで鉄板に挟まれでもしたかのように、潰れた。

 

「……は?」


 間の抜けた声がフェリータから出る。 

 リカルドは、突然何もないところで歪んだ自分の右手を、しばし呆気に取られて見つめ。


 そして次には素早くフェリータの横から飛び退った。

 一瞬のちに床を割って伸びてきた槍から逃れるために。


「え? は?」


 混乱に拍車をかけるように、腕の中の、ロレンツィオの重みが消えた。見れば、そこには黒い靄が揺蕩うだけで、筋肉隆々の重々しい体などどこにもない。


 空虚を抱いて跪くフェリータをよそに、リカルドの目が鋭く周囲を見渡したときだった。


「今度は聞かないのか」


 低い声は、寝台のそば、乱れた天蓋の向こうから聞こえた。


 フェリータの目が吸い寄せられる。

 聞こえるわけがない声だ。けれどリカルドが同じ場所へ反応したから、幻聴ではない。


 いる。

 それなら。


 フェリータは驚き疑うよりも、己の魔力を練るのを優先した。

 嫌味な声がさらに続く。


「使い魔か、って」


(――使い魔)


 その言葉ではたと、フェリータの頭にある可能性が浮かんだ。

 さっき、リカルドの顔に爪を立てて、魔力を流したときの違和感は。

 もしかして。


 一方で、リカルドが声の出どころに向かって指を鳴らす。床に落ちていた人形が虎に変わって、寝台の向こうへ一直線に飛び掛かった。

 すぐさま、フェリータがレースの天蓋を鉄格子に変えて、獣の体を受け止める。

 もろにぶつかった虎の体が羽に変わった瞬間、鉄格子の隙間の向こうに見えた銃口。


 そこにいた青い目と視線が交わった一瞬。


「腹を撃って!」


 喉を裂かんばかりの叫び。銃声。

 次の瞬間、リカルドの身体が前へと崩れた。


 腹を抑えるようにしてかがんだ男の首が、フェリータに向く。緑の目には、驚愕と悲嘆がはっきり浮かんでいた。


「どうして」


 かすれた息の、はざまの問い。


 沈黙ののち。

 フェリータは、震えそうになる唇を、ゆっくりと動かした。


「……大丈夫ですから」


 苦いものをいくつも飲み込んで、やっとのことで選んだ言葉。


「わたくしたち、変わらないわ」


 緑の目はこちらを見つめたまま、動かない。


 ――正直、今このときも、リカルドの意に反することを言うのは辛く感じる。

 ただ、怖いのは逆らうことではない。

 傷つけるのが、辛い。


 出会ったときから今日までずっと、家族の他に、フェリータのそばにはリカルドしかいなかった。

 

 


「これからも、ずっと、一番大切なお友達でしょ」







 撃たれた腹から血は出ない。


 そこを抑えるようにうずくまった、リカルドの様子がみるみる変わっていく。


 首や手の指の可動部に、三本の線が横に走り、球体の関節部が切り出される。肘、膝にも同じことが服の下で起きているのだろう。


 ほぼ同時に、きめ細かだった肌に幾重もの渦を描く痣が浮かびあがった。と思うと、血管や骨の起伏がつるりとならされ、不自然に均一な表面となって、肉の柔らかさが消える。

 端正な顔面の造形が形を変え、単純化し、鼻や口がただの三角や丸の()()に変わっていく。痣は年輪だった。


 衣服が砂に変わって散る。ぱさぱさと髪が抜けて床に落ちて消え、力を失った体が床に崩れかけ――そこで、伸びたゴムが元に戻るような勢いで、全身が収縮していった。

 

 時間にして、ものの数秒。銀髪の魔術師がいた場所には、子どもが抱えるような球体関節人形が一つ、転がっているのみとなった。


「……お前のほうかよ、使い魔は」


 鉄格子のはまった寝台の陰から出てきたロレンツィオが、落ちていた布越しに持ち上げて包む。

 その“コッペリウスの人形”の腹の部分から、軽くて小さな布の塊が落ちた。


 失くしたと思った、フェリータの左手の手袋が。


 ――コッペリウスの人形の術には、化ける対象に繫がる物が必要になる。

 リカルドをリカルドたらしめるものが。


(術が失敗していたら、リカルドはわたくしをここに連れてこなかったかもしれない) 


「……でももう、二人っきりではいられないもの」





 人形の顔に据えられた、緑のガラス玉が潮風にあおられ揺れて、無遠慮な日差しを反射した。

 涙を耐える子どもの目に、少し似ていた。

 

 


 ***



 肘掛椅子に腰掛けたまま、男はゆっくりとまぶたを持ち上げた。


「……見抜かれた」


 自作のコッペリウスの人形の、腹の部分を撃たれたのは偶然ではない。フェリータが指示し、ロレンツィオが瞬時に従ったからだ。

 最初は、確かに頭を狙っていたのに。


「ぺルラの声に従うのは本能か。もはやそれこそ呪いだね。……王女殿下が知ったらキレそうだな」


 嗤おうとして、半端に息を吐いただけに終わる。

 そしてまた、思考が堂々巡りする、


 ――どうして、あの女はいつも僕のことを見抜くのだろう。

 どうして、フェリータだけが。


 しばらく窓の外の青空を見つめていたリカルドだったが、その耳に、屋敷の階段を上ってくる複数の足音が届く。お待ち下さい、と焦る声はこの家の執事のもの。


 やがて、先に飛び込んできた使用人を押し退けて、「呪詛罪の疑いで、ご同行願います。宮廷付き魔術師リカルド・エルロマーニ殿」と堂々宣告してきたのは憲兵隊長だった。


 続いてなだれこんできた憲兵と魔術師の混合部隊に取り囲まれる。彼らのことを、リカルドは一瞥したきりさして注意も払わず足を組み替えた。

 部隊の魔術師たちが緊張して体をこわばらせる。


「疑いね。まさか、推測だけでこんなことしてるわけじゃないだろうね憲兵隊長殿。……僕がいつ、だれを呪ったって証拠が出てきたのかな」


 虚ろな目を隠すように額を手で覆い、ふてぶてしいため息と共に尋ねる。


 呪詛に使ったジーナの髪は、フェリータの手から回収してとっくに処分していた。

 しかし、答えたのはリカルドの予想した声ではなかった。


「密告がありましてな。そなたの部屋に、カヴァリエリ夫人に化けた例のコッペリウスの人形の、体が隠されていると」


 遅れて部屋に入ってきたのは、よく知ったストロベリーブロンドの、恰幅の良い中年の男。

 レアンドロ・ぺルラの冷ややかな声に、焦点の定まっていなかったリカルドの目が動く。

 同時に、別の部屋から「ありました!!」と叫ぶ声が響いた。



ここまで読み進めてくださってありがとうございます。


リカルドは一旦退場しますが、終盤また登場させる予定があります。

マイペース更新ですが、よければこの先もお付き合いください。

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