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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第一章 天敵婚姻譚

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5 【十日前】ロレンツィオ・カヴァリエリ


 ――ロディリア王国は四方を海に囲まれている。首都を含む本島と、複数の島しょ部からなる海洋国家だ。


 さらに言うなら、首都サルヴァンテは至るところに大小さまざまな運河が通った、水の街である。そこでは人も、物も、手紙も、みんな小回りのきく舟で運ばれる。

 それはこの街の文化であり、生活であり、異国からの旅人には目新しい発見の連続だった。


 窓辺に花を飾る家々、交易で入ってきた異国の品を並べる商店、重厚かつ荘厳な佇まいの貴族の邸宅。

 そして広場を挟んで互いに向かい合う、獅子を飾る白い尖塔が立つ王宮と、天使をいただく赤い丸屋根の大聖堂。

 それら全てを天地逆さまに映す、豊かな運河の水面。


 そして、胸元に金鎖のロケットを垂らし悠然と運河を進む『魔術師』の姿。


 それらすべてが、美しきサルヴァンテの光景である。

 この島が、『神をも惑わす悪魔の都』たる所以なのである。

 



 ***



 王宮の廊下に、けたたましい足音が響く。

 衛兵や役人が避けていく道の真ん中を、ストロベリーブロンドの親子が慌ただしく進んでいく。


「フェリータお前、どうしてここに!? 護衛騎士も連れず、その髪とドレスはなんでそんなぐっちゃぐちゃで、いやそれよりっ、さっきエルロマーニ公爵とリカルドに会ったが一体どういうことなん」


「パパ、後になさって!」


 ピンクに白髪が交ざる小太りの中年男性は、娘に押し退けられて眉を上げた。


 しかしちょうど別方向から呼び止められて、ぺルラ家当主レアンドロは「滅多なことをするでないぞ!」と叫んで、来た道を引き返していった。ベテランの宮廷付き魔術師ともなれば、娘の一大事にも時間を取られていられない。


 自由を得たフェリータは、すれ違う衛兵や侍女たちが目を丸くするのにも構わず、王宮の奥を目指した。

 主殿の向こうの魔術棟。宮廷付き魔術師一人ひとりに与えられた仕事部屋の棟。

 

 やがて、フェリータはそのうちの一つにたどり着いた。扉に体当たりする勢いで開け放ち、ためらいなく入る。


「出てきなさい卑怯者!!」


「兵を呼ぶぞ侵入者」


 待ち構えていたかのように、答えは背後から聞こえた。


 振り向くと、通ってきた入り口付近に黒い煙が立ち込めていた。

 火の気のないところで起こったそれに、フェリータは焦りもせずに腕を組んで向き合う。


「あら、ごめんあそばせ。お留守になさってらしたのね、ロレンツィオ殿」


 煙が溶けるように消えた場所に、短い黒髪を後ろに流し、青い目で冷ややかにフェリータを見下ろす男がいた。

 高い身長と厚い胸板の、魔術師というより騎士といったほうがしっくりくる風貌だが、手には剣でなく懐中時計を持っている。


「まだぎりぎり勤務時間中のはずなのに、どこをほっつき歩いていらしたの。運河の後処理は終わって陛下の招集もないと聞いてここに向かってきたのに、足も言動と同じくらい軽薄では用があるとき困りますわ」


「……ずいぶん情熱的な不審者だと思いきや、これはこれは。麗しき姫君、非番のあなたにまさか宿直明け早々ご挨拶ができるとは思ってもみませんでした」


 男は、カチ、と音を立てて懐中時計の蓋を閉めると、先触れもなく押しかけた客人に口角を片方だけ上げてみせた。


 体格差に怯むことなく、フェリータも負けじと睨みあげる。


「ええ、私も急にお顔が見たくなって。これが噂のはらわた煮えくり返るって感覚かと思ったらもう居ても立ってもいられなくって!!」


「はぁ、さようで。一体何にそんなに(たかぶ)っておられるのやら」


「とぼけないで極悪人!」


 つい叫んでしまうと、部屋に置かれた書物が宙を五センチほど浮き上がって元の場所にばさっと落ちた。ロレンツィオの目が呆れたようにそこへ向く。


 フェリータは内心焦り、こっそり深呼吸をした。自宅以外で周囲に無意識魔術を発生させてしまうのは、魔術師としてみっともない。それもこの男のペースに乗せられて、だなんて言語道断だ。

 平静を保つ訓練で使ってきたネロリの香水は、ここに来る前の小舟の上で首に何度も擦り込んできた。

 

「……知らないとは言わせません。リカルド・エルロマーニと、オルテンシア殿下の婚約内定のこと」


「ほう、お耳が早い。いや実にめでたいことですねぇ」


「あなたが仕組みましたのね」


 ロレンツィオはハッと短く笑った。フェリータは鼻で深く息を吸った。ネロリ、かぐわしい。


「人聞きの悪い。王女殿下が優秀な臣下と話をしたいというから、そのような場を設けただけですよ」


「ま、まぁぁ謙虚なお言葉っ……わっざわざわたくしとパ、父がいない時期を狙っておいて」


「自意識過剰ですね、たまたまですよ」


「……王女様との婚約に応じるよう、リカルドを脅しましたの?」


「ずいぶん突拍子もないことを思いつかれる。もしやご自身こそ、過去にそうした経験がおありかな?」


「違いますがぁ……!?」


 平静、冷静、平常心、落ち着け。フェリータは香水をふった自分の首回りを意識した。でも握りしめていた扇はみしみし音を立てていた。


「ほんとうに、蛇のようによく動く舌だこと。ひ、人の婚約者を横取りする悪事に加担しておきながらまぁ」


「横取り? はて、まるでリカルド殿に婚約者がいたかのような口ぶりですね」


「いたでしょわたくしが! 彼と約束を交わした女が!!」


「口約束しかしてなかったんだろう」


 柑橘の花の香りを蹴散らしてフェリータが声を張り上げれば、同時にロレンツィオもそれまでのわざとらしい丁寧さをかなぐり捨てた。

 部屋の照明が、数回不自然に明滅する。


「さっきからぐちぐちと、何を言いに来たんだ? 殿下は何も卑怯なことなどなさっていない。ちょっと親しい()()()のいる独身男と、会って話して仲良くなって、正式な段階を踏んで婚約の運びとなった。それだけだろう」


 フェリータは言葉を失った。気を落ち着けようとしたのではない、相手の面の皮の厚さに呆れも怒りも通り越して固まったのだ。


「俺は善き友人として、王女殿下に少し協力しただけだ。それをまあ、児戯と変わらない口約束を根拠に横取りだ卑怯だと言い立てられちゃ、この国で公用文書扱う仕事なんて馬鹿らしくてやってられないな」


 確かに、フェリータは口約束しかしていなかった。暗黙の了解だったと責めても、手続きをしていないほうが悪い。


 けれど、後悔して己と父を責めるだけの気持ちには到底なれなかった。それは、相手がオルテンシア王女だから――()()()()()()()()()()()()()()()()()だからだ。


「……善き友人? 白々しいこと。わかっていてよ、あなたがなんであの二人の仲を取り持つようなことしたのか」


 怒りを抑えつけたフェリータの声に、それまでめんどくさそうな、そして相手を小ばかにするような(てい)で構えていたロレンツィオが黙った。見下ろす目が射抜くように細くなる。


 フェリータも赤い目に力を込めて、傲然と言い放つ。


「どーせわたくしへの逆恨みなのでしょう! 一年前、陛下の御前での魔術比べで年下のわたくしに負けたのを根に持って!」


 詰られた男の口は動かない。それをいいことに、さらにたたみ掛ける。


「忘れたとは言わせません、初対面で自分から棘のある態度を取ったばかりかいい加減な言いがかりをもとに喧嘩売ってこられて、その上でのあなたの大敗北を! 本来なら地に頭付けさせて謝らせるところを大目に見て差し上げたというのに、この上オルテンシア様と結託してわたくしからリカルドを奪うだなんて、宮廷付き魔術師としても騎士の末裔としても恥知らずだと胸に刻んで、ばかげた略奪ごっこの後始末をとっととつけなさい!!」


 そこまで一気に言ってしまうと、あとには不自然な静寂が広がった。


 ロレンツィオは黙ったままだった。言い返すことなく首の後ろを搔き、凝り固まったそこをほぐすようにぐるりと回して、斜めにかしげて動きを止め。

 そのまま、格子柄の床を見ながらぼそっと呟いた。


「清々しいほどにバカ」


「は!? なに今なんて!?」


「美声が徹夜の頭に響くって言いました」


「嘘おっしゃい!!」


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