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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第一章 天敵婚姻譚

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4 【十日前】取り巻く環境


「だって絶対、わたくしたちがいずれ結婚するって知ってたはずなのに! もはや事実上婚約していたというか告示秒読み状態だったというかっ!!」


「秒の猶予につけこまれましたね」フランチェスカはカップを渡しあぐねながら一応答えた。


「一秒切ってましたもの! それを、夫と離婚してようやく一年という方が横からかっさらってこっちは事後承諾だなんて! こうなったら決闘よ、パパーっ果たし状作ってぇ!」


「パパならまだ王宮です、きっと今頃呆然として床に膝ついてるでしょうね。……リカルド様はお姉様のそういう、短気でわがままなところが嫌になったのでは?」


 諦めてカップをワゴンに戻して呟いた妹を、姉は剣呑な目で(にら)みつける。


「聞き捨てなりません、わがままの代名詞こそオルテンシア様でしょう。離婚だってあの方の一存という噂ですし、浄罪期間にもまったく身を慎んでなかったし、ご自身の侍女も騎士もすぐやめさせてしまうからいっつも人員不足だそうよ!」


「まぁなんということでしょう、リカルド様以外にお友達がいないお姉様といい勝負だなんて」

 

 浄罪期間とは、離婚後の一年間は男女双方とも再婚や異性との過度な接触を慎むべきと教会が定める時間のことである。


 黙った姉に今こそとフランチェスカが紅茶を差し出そうとしたが、すんでのところでフェリータが口を開く方が早かった。


「……いい勝負ですって? わたくしはわがままでも、二年も宮廷付き魔術師が務められる、“有能なわがまま”ですのに?」


 これに、今度はフランチェスカが閉口する。


 この国の貴族は、言うなれば魔術師の一族だ。ゆえにペルラ家もエルロマーニ家も育成環境が整えられているので、優秀な魔術師を過去に何人も輩出してきた。

 魔術師の力を安定して発現させる魔法具“レリカリオ”も数多く所有している。


 けれど国王直属の“宮廷付き魔術師”になれるのは、実力の認められた一握りだけだ。


 国に仕える魔術師の働き方は他にもあるが、“宮廷付き”と略して呼ぶ場合は間違いなく国王直属の、王国最高峰の魔術師の一群のことを指す。純然たる実力第一の役職で、恵まれた血筋と環境の中で育つ貴族魔術師にとっても狭き門である。


 その宮廷付き魔術師に、フェリータもリカルドもそれぞれ十七歳のときに任命されていた。異例のことなのだ。フランチェスカも魔術の素質はあるが、将来出仕の打診が来る確証はない。


 フェリータ・ぺルラは、血筋を度外視してみても本当に秀でた魔術師だと認められていた。


 たとえ、性格に難有りでも。


「護衛任務も、海賊や呪獣の討伐も、“魔女の心臓”回収も浄化も、公的式典での魔術演技も! 他の宮廷付きの先輩方に後れを取っているとは思いませんし、恥知らずな同僚と実力を競って腕比べをしたときだって鮮やかに勝ってみせましたわっ! 偉そうに座ってるだけの王女様とは、有用性が全然違うっ!!」


「……たぶん、偉そうに座ってるだけの女と、怒りに任せて窓を割る女なら、後者のほうが妻としてヤバいってことにリカルド様もお気づきになられたのでしょう」


 復活しかけていたフェリータがへなへなと崩折れた。興奮に合わせて揺れていた窓が、連動するように静かになる。


「リ、リカルドはそんな腑抜けじゃありませんもの」


「勇敢な狩人だって、わざわざクマを妻にしないのでは?」


 跳ね起きて妹の頭を掴もうとして、銀のトレーで阻まれた。さながら、クマと盾の攻防のごとく。


「……何が悲しいって、せっかくのカーニバルを、この年になってこんなにも生意気な妹と見に行くしかないってことですわ!」


 トレーに額を抑えつけられながら、残った力で精一杯の皮肉を言うと。


「ご心配には及びません。わたしはさる殿方から二人っきりで行こうとお誘いいただいてますから。もちろん行くとお答えしてます」


 予想外の球を打ち返されて完全に力を失った。トレーは退けられたが、額には赤い跡がくっきりついている。


「……まさかとは思うけど、カヴァリエリの男ではないでしょうね」


「違いますし、もしそうなら応じません。安心なさって、お姉様はパパとカーニバルを楽しんで」


 完全に沈黙した姉の手に、今度こそ紅茶が渡される。言葉とは裏腹に丁寧に淹れられ、芳醇な香りが鼻孔をくすぐった。


 そうして、ようやくフェリータは落ち着きを取り戻した。居間の怪奇現象もみるみる収まっていき、廊下で見守っていた女中たちも肩の力を抜いて持ち場に戻っていった。


 しかし、フェリータの気はまったく晴れていない。


 リカルドとは家族ぐるみの付き合い、というか大昔から一族ぐるみの付き合いだった。同盟者と言ったほうがしっくりくる。

 幼いころから一緒にいて、離れたのは彼が男子高等学院に通学していたときだけ。彼は四年かかるカリキュラムを二年で終わらせて、一年早く宮廷付きとして働き始めた。


 二人の結婚話は、貴族育ちではないフェリータの母だけが『早まらないほうがいいと思うけどね』と水をさす以外、誰も異を唱えなかった。むしろフェリータは楽しみにしていたくらいだ。

 相手も、そうだと思っていたのに。


「……ママに、このことを伝えないと」


 母親は別宅に住んでいる。

 フェリータは少し前に、『そろそろプロポーズさせてみせる』と意気込んでしまっていた。結婚式参列用のドレスを作り始めていたら無駄になってしまう。

 気の重いことを口にすると、そっけない声で「パパがするでしょう」とストップがかかった。


 父を思い出すと、それはそれでフェリータの胸はきゅうと塞がり、申しわけなさがこみ上げた。同じ宮廷付きとして働く父娘は何かと喧嘩も絶えないが、さすがに心配させているに違いない。


 こうなったのも図々しい第一王女のせいだ。


(確かに、オルテンシア様は前からリカルドにご執心な様子だったし、このところはそれがあからさまだったかもしれないけど)


 園遊会、祭典、舞踏会。公の行事で貴族たちが集まると、王女は何かにつけてリカルドをそばに呼び立てていた。一年前に前の夫との離婚が成立してからは顕著に。


 でもリカルドは、そんな王女に辟易(へきえき)していた。


『相手のことを考えないにも限度があるでしょ』と彼らしくない冷たさで切り捨てて、いつも臣下として最低限の礼儀を尽くすと王女の元からさっさと戻ってきてくれていた。

 だからフェリータは、さすがに哀れと思いつつ何も心配していなかった。


 なのに、急にどうして。

 リカルドは穏やかながらも意志が強くて、家族や王族になにか言われても諾々と言いなりになると思えない。

 ならこのひと月で心変わりかといえば、手紙にそんな兆候はまるで無かった。フェリータの怒涛の手紙攻勢に、リカルドは全部返事を出してくれていたのだ。

 とても浮気していた男のやることではない。


 むしろ、以前から第一王女と懇意だったのは。


「それこそカヴァリエリの、ロレンツィオとか。……」


 甘い紅茶を手に、フェリータは渋い顔で黙り込んだ。


 カヴァリエリ家は、祖父の代からぺルラ家と対立してきた一族だ。エルロマーニ家が盟友なら、あっちは宿敵だ。父と亡き祖父はそれすらも認めたくないようだったが。


 本来のカヴァリエリ家は騎士の家系で、伯爵位を持つ自分たちとの家格は並ぶべくもない。

 が、もとよりその家柄は古く有名で、歴代当主の中には武勇が叙事詩に謳われていたり、童話のモデルになっている者もいる。


 それが魔術師としてその存在感を増してきたのはここ数十年のことだ。

 特に二十二歳の現当主ロレンツィオ・カヴァリエリは、一年前にとうとう宮廷付き魔術師に抜擢された。当時フェリータの父はこの一報に『宮廷付きの権威があんな騎士崩れの筋肉小僧に……!』と悔しさに打ちひしがれていた。


 ――そしてカヴァリエリ家のロレンツィオといえば、入れ替わりの激しい“オルテンシア王女のお気に入り”の側近連中のうちの、貴重な古参のひとりとしても有名だった。


 フェリータも、一連の流れを何度も目にしていた。まず王女がロレンツィオを含めた取り巻きと共に公の場に現れる。リカルドを呼びつける。彼につれなくされる。


 そうして機嫌が悪くなった王女は、たいていロレンツィオを引き寄せて何ごとかを言いつけるのだ。不満か、愚痴か、相談かは外部からはわからない。


 ただ二人は人目もはばからずに体を寄せ、ときに他の取り巻きを遠ざけつつ、扇の陰でひそひそと囁き合っていた。

 ときおり、フェリータのもとに戻ろうとするリカルドの背中に視線を送りながら。


 そんな光景が、フェリータの出張任務前から、実に頻繁に繰り広げられていた。


「……」


 かちゃん、と小さな音を立てて、フェリータのカップがソーサーに戻る。


「さ、お姉様。その服はもう着替えて、お顔も少し洗ったほうが……ちょっ、どこに行くの!?」


 妹の悲鳴のような制止むなしく、フェリータは屋敷から飛び出していった。



次でようやくロレンツィオ出てきます

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