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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第三章 波乱の新婚生活

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34 大盛り上がり


 ロレンツィオの青い目は、沸きたつ激情で煮え滾っていた。

 青い炎は、赤より熱が高い。

 射殺さんばかりのそのまなざしに、しかしフェリータは屈しなかった。先に怒っていたのは女の方だ。


「開き直るなんて!!」


 声とともに、空中に何本ものナイフが現れる。フェリータが手を払えば、それが一斉に男に向かっていった。


 鉄格子を背に立つロレンツィオは、振り上げた手に現れた一振りの剣で応戦した。

 魔術の剣は書架に当たるときには幻のように通過して、飛んできたフェリータのナイフだけを過たず弾いた。


 刃がぶつかる高い音のはざまで、怒りに満ちた声が響く。


「祖父は魔術師だった! 宮廷も他の貴族たちもそれを認めた、認めなかったのはあんたの祖父ベルナードだけだった!! 嫉妬でな!!」


 跳ね返されたナイフの一つがフェリータの足元まで転がってきた。

 真珠の粒になって消えたそれに気づきもせず、フェリータは小さく「……しっと?」と繰り返した。


「なにを言っているの」


 すべてのナイフを叩き落して、銀色の切っ先が向く。昨日妻となった女に向かって。

 自分よりも早く、若く、宮廷付きになった女に向かって。


「魔術師じゃなかったのはベルナード・ぺルラの方だった!!」


 フェリータの、次の攻撃は起きなかった。その期に、ロレンツィオが口撃を仕掛ける。


「おまえの祖父こそが、生贄術で宮廷付きになったんだろうが! じいさんが魔術で火事を消そうとしていた傍らで、おまえの祖父は何してた? 何もしてない、ベルナードは宮廷付きになったときと数度の王命任務以外、ほとんど魔術を使わずに引退してる! おそらく、それが生贄でまかなえる術の限界だったんだろうな!!」


「……よくもそんな出まかせが言えたものね、そう言えって遺言でもされたみたいに! わたくしのおじい様がろくに働いてないかのようになんて、言い方ひとつでどうとでもなるわ、そもそも宮廷付きは王命でのみ魔術を行使する者なのよ!!」


「ああそうかよなら教えてやろうか、チェステの禁忌術大綱には、ベルナード・ぺルラが生贄術の研究者として記されてるってな! うちのじいさんとベルナード卿の対立は、じいさんが卿の卑怯な嘘に気が付いたからだ!!」


「無礼者め、お前こそ黙りなさい!!」


 悲鳴のような叫びと同時に、フェリータの両脇の書架が揺れた。

 地震かとも見紛うその揺れで、重い書物が雪崩のように女に降りかかった。


 これは無意識魔術だ。フェリータの意思とは関係のない。


 そう感じ取るやいなや、ロレンツィオの殺意にも近かった敵意は瞬時に別のものへ切り替わった。相手に向かって冴え尖っていた魔力が、盾の形に変貌した。それを、本人が自覚する暇もなかった。


 影が床を這い、フェリータの前で立体的に浮き上がる。膜のように広がって、波が飲み込むように、襲い来る書物から女を包む。


 大きな音を立てて崩れ落ちた本が、床を埋め尽くした。


 それが静かになったころ、ロレンツィオは本の海に佇む黒い覆いを見て、なんとも言えない虚しさを覚えた。


(……そら、結局これだ)


 カヴァリエリの騎士の血は勝手に動くのだ。ぺルラを守るように。


 一年前の術比べでもそうだった。

 運河に落ちてきたときもそうだった。

 昨夜、わけのわからない罪で拘束されたと知ったときも、そうだった。


 今もそう。

 怒りと憎しみで胸が覆われていても、彼女の危機に何かせずにはいられない。


 ――おそらく祖父も、どんなに恨んでも、ベルナードの罪を公にできなかった。


「……祖父は父にすら、俺にすらこのことを黙って死んだ。ただの一代でも魔術師を、宮廷付きを途絶えさせたくないという、おまえらの無意味な誇りを守って。その恩に報いるのがこれか」


 口の中に広がる苦さとともに吐き出す、やるせなさ。

 影の膜の中からは、魔力を感じなかった。彼女の方は力尽きたようだ。


 存外早かった。そう思った瞬間。


「口を慎みなさい、吸血鬼め」


 尖った感触が腰に当てられる。短剣の刃も冷たい声も、背後から及んでロレンツィオの動きを止めた。


 同時に、書物の海に佇む黒い影の膜に向かって風の刃が向かう。

 術者の意思と関係なく切り裂かれた膜からは、ばらばらと大量の白い粒が溢れ出た。


 本の下敷きになりかけたのは、フェリータの偽物だった。


 いつから。

 もしや、最初から?


 本の隙間を縫って床に転がる真珠の粒に、愕然とする男の後ろで、妻は短剣を手に淡々と語りかけた。


「歴史も知識も浅い新人魔術師に教えてあげますと、多くの“星の血統”は生涯をかけて何らかの魔術研究につきますの。禁忌術もね、国の敵に悪用されたときの対処のために。生贄術なんて、詳細を知っている人間が少ないのだから、我らのような旧家が誇りと責任を持ってその任につくのにおかしいところは何らありませんわ」


 先ほどまで怒り狂っていたのがまるごと幻術だったのだと、そう思わせるほど、フェリータは落ち着いていた。


 レリカリオもないはずなのに。


「……それから初歩的なこととして覚えておいてほしいのだけど、生贄術には犠牲者が要りますの。あなたの言うとおり、祖父が生贄術で十人委員会をだましたなら、犠牲者はもっと早くに出ていなければならないのでなくて?」


 ロレンツィオは答えなかった。

 フェリータは、その沈黙を降参と見てとった。

 

「抵抗しないなら殺さないわ。この後、あなたにはしかるべき罰が下される。もちろん、すでに妻になってしまったわたくしも、その余波を受けるのは免れない」


言いながら、後ろから男の上着の内側に手を伸ばす。


「これが動かぬ証拠となるのだから」


 古い懐中時計を引きずり出されるのに、男は何も抗わなかった。


「……フェリータ、言っておくが」


「いいの、覚悟の上ですわ。わたくしが、悪いんだもの」


「……フェリータ?」


 声のトーンが変わった。怒りが、悲しみに。

 そう気づいて振り返ろうとしたロレンツィオの背に、ナイフの切っ先が押しつけられる。動くなの意だ。


「あなたはわたくしに近づくために、魔術師になったのですものね」


 フェリータの声は震えていた。怒りによるものと異なるのは明らかだった。


「あなたはどんな犠牲を払ってでも魔術師になりたかった。いいえ、宮廷付きにまで上り詰めないと意味がなかった。そう決意させてしまったのはわたくしね。きっとそうでないと、わたくしあなたのこと、全然知ろうとしなかったから……」


 背中のナイフは、奪おうと思えば簡単に奪える。

 彼女の視界は明らかに狭まっている。勝ちを悟って油断している。そもそも、この対格差では気づかれる前に刺さないと小柄な方に勝機はない。

 

 そんなことにも気づかないくらい、彼女は“腕での”戦いに乏しい。

 当然だ。

 そんな必要もないように守るのが、護衛騎士の役目だったのだから。


「あなたの罪はこの身とともに(あがな)わせます。それがペルラ家の、かつての主君の責任だから。時代が違えば、あなたはわたくしの騎士だったのかもしれないから」


 ロレンツィオが完全に動く意思を無くしたのを見てとったか、フェリータはナイフを落とした。

 床に刃の当たる音はしなかった。代わりに真珠が一粒、床に転がってロレンツィオの足に当たった。


「この血の犠牲者のためにも」


 フェリータの手が懐中時計に向く。緻密な細工のふたを開けて、文字盤にかかる。

 ベラの言うとおりわずかに浮かんだ文字盤は、ふちに力を入れればあっけなく持ち上がり――。





 フェリータは、絶句した。


 中には、噛み合ういくつもの歯車、板金。

 その上に設置された薄いガラスのケース。文字盤と動作部に挟み込まれたそこに安置されていたのは、乾いた繊維質の物が数本。


 魔女の心臓と呼ばれる呪具。

 

 まごうことなく、レリカリオの中身。


「…………ものすごく盛り上がっているところ本当に悪いんだが」


 硬直したフェリータの耳を震わす、乾いた声。


 呆れと苦笑の入り混じる、聞き慣れた嫌味な言葉回し。仰々しく両手まで上げている。


「言いたいことが済んだなら、それ返してくれないか」


 けれど皮肉と言うには、声に力が無かった。


「一応、祖父から受け継いだレリカリオなんでね…………」



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