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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第二章 長い長い初夜

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20/92

20 暗闇の出会い


 ***



 静かになった寝室で、ロレンツィオは寝台へ仰向けに倒れ込んだ。

 よく知った酒と煙草の匂いに、嗅ぎ慣れない花の香りが混ざり込む。知らず、表情が歪んだ。


『新郎って忙しいのね』


 そうだよ、と天井に向かってひとりごちる。


 これから、都合がつかなかった招待客の訪問に備えたり、離島に住んでいて連絡が間に合わなかった関係者に詫びと報告をしないといけない。

 この三日でどう頑張ったのか、祝いの贈り物を間に合わせてくれた強者への御礼返しも考えないといけない。

 それこそ、テーブルに並べられた酒瓶のほとんどは学生時代の友人たちが送ってくれたものだった。


 “奥さんへ”と書かれた果実酒。“人生の墓場にようこそ♡”と書かれた蒸留酒。伝統的に新婚の夜に用意される“新郎用”と“新婦用”に分けられた二本で一セットのボトル。


 新婦一族との対立も、結婚する理由も、実はロレンツィオが酒にあまり強くないのも知っている面々に改めて腹立たしさがこみ上げる。――返礼品としてこのまま未開栓のボトルを突き返してやろうか。義父のプライドが許さないだろうが。


 それから。

 ――それから、運河での騒動を引き起こした罰でフェリータが出仕停止を言い渡されている間の仕事も、自分を含めた他の魔術師で負担しなくてはいけない。


 いっそ監督責任ということでペルラ伯爵とリカルドに全部振れとも思ったが、今や彼女のしたことで真っ先に責任を問われるのは自分だった。


 そこまで考えて、ロレンツィオは諦めたように目を閉じ、瞼の上で手を組んだ。

 

 ――こんな感じでしばらく忙殺される予定だから、新妻なんてものは好きに過ごしていればいい。

 “従順な妻”だって、夫が放っておくなら自由にする権利くらいあるだろう。


「……それが本音で言えたら、ここまで拗れてねえだろうよ」


 鉛のようなため息。これから地獄のような日々が始まる。

 近づけば近づくほど、妻は他の男を求める。だからといって離縁なんてしようものならそれこそ大陸まで釈明に行かないといけないかもしれない。


 この状況を罰というなら、なるほど神は下界をよく見ている。今のロレンツィオを苦しめるのにこれ以上の罰はない。


 疲労した目元を揉めば、追い打ちのように指輪が存在を主張してきて、否が応でも花嫁の姿が脳裏によみがえった。


(……今、どこにいるんだあいつ)


 中庭の片隅で泣いてるのだろうか。ぺルラ家の誰かが付き添っているならいいが。 

 もしかして、またリカルドが一緒にいるのだろうか。本当にほかに友達がいないらしくて、率直に言って哀れだなと思う。


 ――想像で傷つく今の自分より、だいぶマシだろうけど。


 思わず奥歯を噛み締めた。シーツからかすかに漂うネロリの香りに、気が狂いそうになる。


 これから、地獄のような日々が始まる。 


 いっそこの結婚に一抹の喜びも感じていなければ、どれだけ楽だったのだろう。

 




 

 ――一方“従順な妻”は夫の心配をよそに、隅で泣くどころか怒りに任せて庭を突っ切り、フェンスによじ登ってひとりカヴァリエリ邸を脱出していた。



 ***



 通りに出てしばらくすると、フェリータは背中のリボンが緩んでいることに気が付いたが、引き返すことはしなかった。


 かといって、このままガウンの前をきつく合わせたまま向かうあてもない。

 背中の違和感に気が付く程度には冷静さを取り戻していたフェリータは、ふと路地裏の教会のことを思い出した。あそこなら、今夜の自分を優しく受け入れてくれるのではないか、と。


 夜更けに申し訳ないとも思ったが、いくら魔術師とはいえさすがに長い時間一人で歩き回るのも不用心だ。

 そうと決まればと、三日前にカーニバルでにぎわった大運河へ向かった。が、街灯の下ですれ違った通行人の息を飲んで驚く様子に、自分の格好の異常さが気になり始めた。


 別にお尋ね者ではないが、白い婚礼用ドレスは引きずらない丈でも目立ちすぎる。ゴンドラに備え付けられたランタンが小さくても、隠しきれないだろう。


 迷った末、フェリータは徒歩で目的地に向かうことにした。一応の用心として時折ゴンドラが通る大運河に沿いつつも、街灯からは離れて歩く。

 

(どうしてこんなことに)


 昼と同じ疑問が胸に押し寄せる。自分のせいだが、悪いのは自分だけではないはずだ。もとはと言えば、あの男と、王女オルテンシアのせい。リカルドだって――。


 しかしそうやって誰かのせいにしても、現状は何も変わらない。自分はあの天敵ともう結婚してしまったし、リカルドはオルテンシアと結婚する。

 来年の春か今頃、自分は二人の式に出席することになるのかもしれない。新郎の一友人として、ロレンツィオと一緒に。


 そこまで考えてはたと気が付いた。


(違う。この場合、バディーノ家(王女様の祖父の家)の関係者として出席するロレンツィオ『の妻』として、新婦側のゲストになるのだわ……)


 愕然とした。自分は自分のままのはずなのに、友人に対する立場まで変わるのだ。あの忌々しいロレンツィオを中心としたものに、すべて塗り替えられていくのだ。


 悔しさに、思わずガウンの前を強く握りしめる。運河から離れて路地へと入る。夜でも舟の途絶えない大運河から、水の跳ねる音と人の声が聞こえたが、気に掛ける余裕はなかった。


 今日の招待客が、決闘の結果を広めるだろう。ヴィットリオが何か言っていたが、誰がどう見てもフェリータの完敗だった。


 自分から喧嘩を売って、賭けまでして、それで大敗北。

 視線がつま先に向かう。向かいから来た男とすれ違うのにも髪色に気づかれたくなくて、フェリータはガウンをそっと頭からかぶってやり過ごした。


(……そういえば、負けたんだから従順な妻にならなくちゃいけないんだったわ) 


 目の前には目的の教会。誰にも行き先を告げていないこの行動が、夫の意に沿っているわけがない。


 ……でも別に、大人しくしてろとも言われてないし。


 揚げ足のように思い直して扉に手を伸ばすと、鍵はかかっていなかった。


 中は暗く、静かだった。

 神父はきっと奥にいるのだろう。シスターの誰かがいてくれればと思いながら、フェリータはガウンを元の位置まで下げ、コツコツと奥へと進んだ。


 と。


「まだ何か用があったの?」


 うんざりしたような女の声と同時に闇の奥で動いた陰に、通路を進んでいたフェリータは驚いて体を硬直させた。

 影は気づかず、ベンチから立って立ち尽くすフェリータの方に振り返る。


 ほのかな月明かりが背に流れた金の髪を照らした。


「なんとか言ったらどう……あら、まぁ」


 フェリータをみとめて、先客は紫色の目をわずかに見開き、そして呆れたように言った。


「いやだわ、ぺルラ家のフェリータ様ではないの。何をしているのこんなところで、出家するの?」


「しゅっ、違いますわ! ……オ、オルテンシア様こそ、なぜ」


 小さな足音を鳴らして、第一王女が近づいてきた。その顔には動揺も気まずさも一切浮かんでいない。

 対してフェリータはそわそわと落ち着かない。護衛やお付きの人間はどこだろうと目だけで探すが、見当たらなかった。


「許可してないのに尋ねないで。あたくしの父の国なんだから、あたくしがいつどこにいたっていいでしょう」


 初めてまともに話す王女が繰り出す奔放な理屈に、フェリータは口を開けて呆けた。何言ってるのこの人。


 しかしそんなのは序の口で、王女はフェリータの前まで来ると一言の断りもなく青いガウンの前をバッと開いた。


「ちょっ!」


「ま、なんて格好してるのかと思えば、ずいぶんはしたないこと。なに、ロレンツィオとの初夜から逃げて出家しにきたのあなた。なかなか面白いことするわね」


 せせら笑う声に、フェリータはカッとなって「放しなさい!」と王女の手からガウンの合わせを奪い返していた。勢いをつけすぎて手が相手の指輪を擦り、手のひらにぴりっとした痛みが走った。


「……いくら王女様といえども無礼が過ぎます。抗議いたしますよ」


 睨み、低い声で威嚇するフェリータに、オルテンシアはくすくす笑って反省の色など皆無だった。


「顔真っ赤。上からピンク、赤、ドレスの白で本当に苺のお菓子みたいな女ね。……まったく、こんなピンク女よりフィリパのほうがロレンツィオにはお似合いだったのに」


 後半は急に眉を顰め、不機嫌そうに吐き捨てた。感情が忙しい女だ。


「身分卑しい男ではあるけれど幼いころから付き合いのあるよしみ、手持ちの女たちの中からこれなら、という妻候補を見繕ってあげようと思っていたの」


 フェリータは合わせをきつく握りしめたまま呆気にとられた。

 てもちのおんな。


「なのに突然横から、というか上からかっさらってきて事後承諾だなんて、こんなの宣戦布告よ、全面戦争よ。お兄様の顔を立てて今回は引いてあげるけど反省してちょうだい、頭苺ミルク姫」


 あたまいちごみるくひめ。


 喧嘩を売られても買う気が起きないなんて、フェリータには初めての感覚だった。


 こんなのと口論したなんて、ロレンツィオはすごいのかもしれない。これと結婚する気になったリカルドは気がおかしくなったのだろうか。自分には天気の話だってできる気がしないのに。


 そうだ、話したくない。

 リカルドの心変わりの詳細を、本人以外ではおそらく一番知っているだろう人だが、この女にだけは聞きたくなかった。普通の会話も順調に進まないのに、取り合った男の話なんてできるわけがない。


 それどころか、もう一秒だって同じ空間にいたくなかった。フェリータは「お邪魔をして申し訳ありませんでした」と早口で言って扉の方に大股で戻っていった。


「あら、なに勝手に退出しようとしているのよお待ちなさい。あなた――……」


 扉の前まで戻れていても、呼び止めた声の主が第一王女では無視もできない。フェリータはこの五分で一気に老け込んだような顔で再び振り向き――。


「なんですか、オルテンシアさ、まっ!?」


 床にうずくまる相手の姿に息を飲み、大急ぎで駆け寄った。


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