『王家の晩餐』
王家の方々、尊き血筋の後継者達。
彼らが一堂に会し、食卓を囲んでいる。
貴族達が社交に励む時期とは外れている為、家族だけでの席だ。
未だ幼く社交界とは縁遠い末の姫も、人目を気にせず親と子の会話を楽しめる。
……末の王女本人は、楽しむという言葉とは程遠いようであったが。
どうもご機嫌麗しくない様子の王女は、王家の子女とは思えない形相をしていた。
頬を大きく膨らませて、あからさまに拗ねている。
常に微笑みを浮かべているべしとの言葉を述べた家庭教師も、この様を見れば大いに嘆いたことだろう。
「ティア、どうしたんだ? そんなフグみたいな顔をして」
八歳年上の王太子が、妹に怪訝な目を向ける。
だが途端、彼は妹のやつあたりの餌食になった。
彼にとっては都合が悪く、末姫にとっては都合の良いことに、二人の席は丁度向かい合わせ。
姫の小さなおみ足が、王子の臑を的確にえぐった。
兄王子の眉間に皺が寄り、末姫は素知らぬ顔でツンとそっぽを向いた。
「兄上、レディ相手にフグとは失礼です」
「……お兄様はそれよりもお前の失礼具合の方が心配だよ」
それで十五になったら本当に社交界に出て行けるのか。
傍若無人な妹の振舞いに、兄は本気で心配していた。
「まあ、ティア? 何を拗ねているの? 兄上に当たってはお可哀そうよ」
「お姉様……だって! ………………ですもの」
「え? なぁに? 聞こえないわ、もっと大きな声で、いちにのさん、はい!」
「だってリューお兄様がいらっしゃらないのですものー!!」
おっとりとした姉姫の言葉につられて、妹姫は思わずと大きな声で叫んだ。
それは王家の子女にあるまじき大声だったが、既に家族はいつものことと慣れている。
片方の耳を塞ぎながらも、しっかりと妹姫の言葉は一堂に会した全員へと伝わっていた。
「あらあら、ティアは本当にリューお兄様がお好きねえ」
「わたし、女官達に聞いていたのよ! リューお兄様がお帰りになってるって。なのにどうして此処にいらっしゃらないの!?」
「まあ、もう貴女のお耳に入っていたの。美形に関する女官達の情報ときたら、回るのが本当に速いこと」
「お姉様、どうしてリューお兄様がこの場にいらっしゃらないの? 王宮においでの時は晩餐くらいは共に、といつもお母様のお言葉は守っておいでですのに」
「そうねえ、リューお兄様の麗しいお顔が御一緒でないと、確かに寂しいわ。どうしておいでにならないのかしら。旅疲れでもお出になられたのかしら?」
「どうしてどうしてリューお兄様がご一緒じゃないの!? つまらないわ。つまらないわ……!」
「アンジェ、ティア……君達は覚えていないかも知れないが、君らの『お兄様』は僕だからな? 僕しかいないからな?」
「兄上は……なんか『お兄様』って感じじゃない」
「ええ、そうね。兄上は『兄上』って感じよね」
「それでもリュケイオンは君達の『お兄様』じゃないからな? わかってるか?」
「付け加えると貴女達、その呼び方はリュケイオンにきっぱりと断られていなかったかしら」
はしたないわよ、と。
ようやく傍観していた母王妃から窘められ、妹姫は渋々と椅子に座り直す。
衝動のまま無意識に投げ捨てていたナイフとフォークの代わりを、すかさず侍従が差し出した。
王家の三人の子供達。
当年とって18歳の王太子を筆頭に、15歳の王女と10歳の王女がいる。
幼少期から生息域を共にしていたリュケイオンは、王女達にしてみれば兄同然だ。
加えて兄ぶって出しゃばらず、干渉し過ぎず、常に丁重に接してくれていた隣国の王子は、常に彼女達の興味の対象でもあった。
はっきり言ってしまうと実の兄より容姿で勝り、態度も控え目な従兄は実兄よりも好かれていた。懐いていると言っても良い。
だが当のリュケイオンが一歩どころか十歩も百歩も引いて接していた。
一緒に育ったも同然なのにいつまでも他人行儀で、ちっとも心を開いてくれないともいう。
それが二人の王女にとっては……特に妹姫にとってはとても歯痒く、もどかしい。
明確に拒絶されたことはない物の、度を越せばますます心が閉ざされそうで王女達の方から過度に突撃すること叶わず、仲良くしたいのに一緒に遊べない……みたいな状況に陥っていたのだが。
それを証明する一端が、彼女達の従兄に対する密かな呼び名である。
二人の王女はリュケイオンのことを影で密かに、『リューお兄様』と呼んでいた。
当の本人には、「私はお二人の兄ではないので」とお兄様呼びを拒否されていたのだが。
それでもこっそり呼ぶ分には構わないだろうと、もうずっと本人がいない場所ではお兄様と呼んでいる。
若く美しく、才知に長けて穏やかな、謙虚で慎ましいリュケイオン。
彼は自分勝手で横暴で乱暴な『男の子』を忌避する無垢な少女達の憧れであり、理想であった。
彼の他人行儀な振舞いはもどかしかったが……それでも、誰に対しても同じ態度だったので。
不服ではあったが、特別を持たないが故の公平な態度とも言えたから。
誰もが公平に線引きされた態度で接される中、それでも親族だからと多少は特別扱いされている気がしたので。
今までは不満も飲み込み、いつかは仲良くと夢見ながらも我慢していたのだが。
その我慢が限界に達する前に、破裂させるような情報を不意に王家の『お母様』が「そういえば」ともたらした。
「あの子は暫く、私達と食事を共にはしないのではないかしら?」
母の言葉が食卓に響いた瞬間。
兄と二人の妹の視線が、一斉に母へと殺到した。
「お母様、それどういうこと!?」
「まあ、ティア? 身を乗り出すなんてはしたなくってよ」
「お姉様だって気になるでしょ!」
「ええ、勿論。お母様、どうしてなのか教えて下さる?」
娘達の質問には、遠慮がなかった。
兄王子も頬を引き攣らせながらも止めない辺り、結局は気になるらしく。
子供達の注意を充分に引きつけた後、王妃は厳かに語り始める。
「リュケイオンが先頃、母君の訃報を受けて急ぎ帰国したことは知っているわね?」
「ええ、勿論。本当にいきなりのことでしたもの……でも、あら? そういえば随分とお早いお帰りですわね」
「そう、そうなのよ。実は帰国するなりとんぼ返りにあの子が我が国に戻ってきたのには、理由があるの」
「「「理由?」」」
きょとんと首を傾げる、可愛い子供達に。
王妃はさらっと爆弾発言を投げつけた。
「実はあの子、母を同じくする実の妹姫を引き取ってきたのですって」
「え」
「まあ……」
「い、いもうと!?」
「隣国の王宮も物騒なようだし、仕方ないことよねぇ? リュケイオンにとっては唯一の同母兄妹だもの、可愛くて可愛くて仕方ないよぅよ。実際に、とても可愛らしかったもの。無理もないわぁ」
可愛い、妹。
可愛くて可愛くて、仕方ない。
その言葉は……
「うそ……」
愕然と、両手から食器を取り落して。
妹姫が目を見開く。
姉姫もまた、驚きを隠せずに忙しなく瞬きを繰り返した。
その言葉は、リュケイオンの『特別』が現れたことを、意味した。
『従姉妹の王女』など目ではない、正真正銘、本物の『特別』が現れたことを。
兄王子は茫然とする妹二人を横目に見つつ、無情と思いながらも母に確認の言葉を向ける。
「その可愛いという言葉は、容姿的な意味で? それとも思い入れとして可愛い、という……?」
「両方でしょう。顔は流石は実の兄妹、リュケイオンにそっくりよ。二人とも母君によく似ているらしいわ」
「しかもあのリュケイオンが無関心ではない、と?」
「大事に大事に可愛がっているようよ。掌中の珠、とはああいうのを言うのでしょうねえ。妹姫が環境に慣れるまでは、きっと付きっ切りね」
「そんな……あのリュケイオンが?」
「あの子もようやく、大事に出来る相手が見つかったのね。貴方たちも、妙な嫉妬はせずに見守っておあげなさい。喜ばしいことなんだから」
しみじみと呟く母王妃の言葉は、果たして彼女の可愛い子供達の耳にどれ程伝わったことだろうか。
聞き様によっては意地の悪い言葉だが、王妃様の心配は本物である。
今この場で、我の強い末姫をはじめ子供達に話をしたことも、釘を刺すという意味が多分に含まれている。
だったら妙な刺激はしないでほしいところだが、王妃様にとっても『大好きなお兄様』を取られる!という初めての危機に面した王女達がどのような反応を示すのか未知数過ぎて態度を測りかねていた。
馬鹿な真似はしないだろうと、彼女にとっては己の子供達を信じるほかない。
それでも後々なるべく問題を起こさないよう、刺す釘を重ねて並べ立てた。
「妹姫とは仲良くして差し上げるのよ。今まであまり良い扱いは受けてこなかったようだから、人間不信の気があるようだし……無用に怯えさせたり、脅かしたりはしないこと、良いわね? でないと愛しの『お兄様』に嫌われてしまうわよ?」
お母様の有難いお言葉は、どれだけ伝わっただろう。
念を押し過ぎても嫌味だろうと、言い過ぎることも憚られた。
その夜、寝耳に水の情報を聞かされた王家の子供達はそれぞれの思いに耽りゆく。
妹姫は母の言葉を理解しながらも、感情では納得できず。
『その子』と仲良くできるかはわからないわ、とクッションを抱えて顔を埋めた。
姉姫は母の言葉を受けて、未だ感情の制御が出来ない自分の妹にそれは難しいでしょうねえと思う。
思いながらも、自分はどうせだから『その子』と仲良くして『お兄様』の印象を良くしましょうと考えた。
兄王子は母の言葉をよくよく思い出し、『従妹姫』の年齢を聞き忘れたことを思い出した。
だが『リュケイオン』にそっくりなら将来は凄い美女になるだろうなあと思いを馳せる。
三者三様、王家の子供達はそれぞれに未だ見ぬ従妹へと深い関心を寄せながら眠りに落ちる。
そうしてその日の夜は更けていった。
こちらの王家はどうやら平和に過ごしておいでのようで。
そしてお父様(国王)、空気。




