14/私と妹と、新しい環境
国境を越える前……隣国とのあまりの違いは、いっそ驚きすら見出す程に。
誰にも追われず、狙われず。
暴力の気配すらも感じられない。
留学先である隣国での道行は、滞ることなく順調に進んだ。
国境で追いついてきた馬車に迎え入れられ、行く先々で通過する土地の領主に歓待を受けながら。
あまりに平和な数日を経て、私達は隣国の……この国の、王都に辿り着いた。
留学との名目で私がこの国に預けられてより、既に十年。
私の齢の、半分以上の年月をここで過ごしてきたことになる。
故国からはたった一人、私だけ。
故郷から訪ねてくる者もなく、ひとりで過ごしてきた。
この地で私の下に付けられた者や、故国の兄からの便りもありはした。
だがやはり、この国では私は『異邦人』だった。
……私は『独り』なのだと、実感が身に染みて。
これが『孤独』だとも知らぬまま、『独り』なのだという漠然とした空気に身を浸して生きてきた。
その日々が、形を変える。
今日よりは『独り』などではない。
妹と、ふたり。
生まれて初めて、私には『家族』がいるのだと。
まるで今まで眠っていたものが、今初めて目覚めたかのように。
目の開ける思いで、新鮮な気持ちの味を知る。
私が寄る辺なき身であることは変わらない。
だが『妹』という、私自身が守るべき『家族』を……庇護の対象を得たのだ。
私こそが妹の寄る辺となって、新しい環境で不安や戸惑いを多く得るであろう妹を支えなくては。
恐らく、きっと。
それが『兄』というものの義務であり、責任なのだと思う。
義務や責任という言葉以上に、私が妹を大切にしたいという思惑もありはしたけれど。
『兄』というもの。
それがどんなものか、家族の情に乏しい生まれの私にはよくわからない。
だが想像してみると、私の脳裏には故国の王太子が思い出される。
故郷で唯一、私に手を差し伸べてくれた方。
あの立派な方の様に……なれるかは、わからないが。
あの方であれば、文句なしに私の手本とするに足りる。
理想は理想として、理想と全く同じようには振る舞えないと思うが。
だが、思い描く姿に少しでも近づけるように……歩み寄ることは、出来ると思うのだ。
妹に少しでも『良い兄』だと思ってもらえるように。
出来得る限りの心を尽くしたい。
妹は……ミンティシアは。
人と深く交わることもなく生きてきた私を……初めて、慕ってくれた。
このような私のことを好いてくれた、初めての存在なのだから。
かつての私と同じように、自分を取り巻く『孤独』に未だ気付かぬ妹。
私自身、気付いたのは妹の温もりに触れてからなのだが。
彼女が『孤独』を意識するよりも早く、それがそうだと気付く前に。
『孤独』を胸の内から押し流し、忘れ去ることが出来るように。
私が持たぬものではあるが……可能な限り『孤独』とは縁遠い環境を整えてやりたい。
そう、出来れば。
いや、私に手を尽くせることなどないかもしれないが。
人の悪意に晒されてきた生い立ちを思えば、人の雑多な気配や賑やかな環境はむしろ気後れするだろうし、むしろ私が気後れしてしまうのだが。
それでも妹が少しでも寂しい思いをしないで済むように。
ともだち、というものを。
彼女が得られるように。
新しい環境で新しい人間関係を得られるよう。
こんな私でも少しでも手助けを……と思うのだ。
故郷で心無い者達に虐げられてきた妹だが、自らを虐げる者ばかりではないと。
自分のことをいたわり、大切にしてくれる者も中にはいるのだと。
妹が自らそうと気付き、怯えることなく仲良くなれる相手を見つけてやりたい。
いや、私が見つけるのではないな。
妹自身が見つけられるように、手助けがしたいのだ。
何しろ文献によれば、『友』というものは得難く素晴らしいものであるようなので。
誰かミンティシアと気の合う、同じ年頃の子供が近くに居れば良いのだが……
…………ふむ。
そういえば、この王宮にはミンティシアと似たような年頃の少女が……いたな?
ああ、いたような気がする。
……確か、いた筈だ。
「ダリウス、一つ尋ねる」
「は。何でしょうか、殿下」
「この王宮には、ミンティシアと同じ年頃の子供がいなかったか?」
「殿下………………ご自身の、お従妹君の事ですよね? この国の王女の存在を、どうして忘れられるんですか……長く帰らぬ故郷の貴族の、家庭環境まで覚えていらっしゃるのに。興味がなかったにしても、滞在先の王族の情報くらいは覚えておいた方が良いんじゃないですか?」
「王女。……ああ、確かに下の王女がミンティシアと同じ年頃か」
「……その様子を見ると、情報と認識が繋がってなかったんですね」
弁明するのであれば、知識として、覚えてはいた。
実際に顔を合わせる機会も何度もあった。それも頻繁に顔を合わせていたように思う。
だが……ミンティシアはあまりに幼く、小さい。
恐らく今までは栄養が足りなかったことと、あまり人に構われなかったせいで情緒の発達が阻害されていた為だと推測できる。
実年齢と外見、精神年齢に食い違いが生じていたが為に、脳内で情報が一致しなかったようだ。
言われてみれば確かに……この国の第二王女は、いま十歳くらいだったはずだ。
外見で比べればもう少し年齢に開きがある様に感じる。
実際には一歳違いなので同年代といっても間違いはないにも関わらず。
私の記憶が確かであれば。
第二王女は……所謂『背伸びがしたい年頃』というのだろうか?
末っ子ということもあり、王家の中では甘やかされていて気が強そうだった。
ミンティシアとは従姉妹になるが、繊細なミンティシアと合うのか不安が募る。
あの王女は、ミンティシアと友達になってくれるだろうか。
当初の予定では、故郷の王宮に一月ばかり滞在する予定であった。
それを急遽切り上げての、急な帰参。
とんぼ返りと言って等しい帰還ではあったが、帰参の挨拶を述べる許可は問題なく取ることが出来た。
私は妹を連れて、隣国の王宮を歩く。
目を瞑ることのできない不安を抱えてはいたが、そんなことはおくびにも出さずに。
ただゆっくりと、妹の手を引いて歩く。
故郷の王宮では庇う意味もあり、妹を抱えて歩いた。
だが流石に、他国の王宮で堂々とそのような真似は出来ない。
妹の心身に不調があれば話は別だが……ここは控えるべきだろう。
やはり礼儀作法の観点から、不足と取られるような真似は慎まなくてはならない。
私達が歩く、謁見の間へと続く廊下は人目が多い。
政治的な意味合いの強い表宮の区画なので、それは必然ともいえることだが。
これで抱えて歩こうものならば、より人の目を集めてしまう。
その結果、体調不良と勘違いされて医務室辺りに案内されかねない。
余計な人の目にさらされることも、見知らぬ相手に声をかけられることも。
今まで人に虐げられてきた妹にとっては重い負担となりかねない。
なるべく、他者にはつけ入る隙を与えないに限る。
足取りはゆっくりでも構わない。
私は妹の手を引いて……引きながら、人の目から隠すように。
人の視線を遮る壁として、自らの陰に妹を隠しつつ謁見の間へと向かう。
初めて訪れる他国の王宮。
妹は不安そうに周囲を見回しながらも、そこかしこへと視線をやらずにはいられないらしい。
贅を凝らした調度に驚いているのか、単純に見惚れているのか。
時に何かに目を止めては、足も一緒に動きを止めるということが何度もあった。
妹が足を止めても、急かす気はない。
故郷では住んでいる場所こそ王宮の敷地内ではあったものの、部屋とする離宮が建つのは敷地の片隅。
まるで追いやられるようにして、ひっそりと息を潜めて生きてきた。
私達の暮らしていた王宮も贅と技巧を凝らした作りだったが……幼く虐げられていた身で、そんなものをじっくりと見回している余裕などある筈もなく。
それに私やミンティシアの部屋となっていた離宮の周囲は寂しい風情で……。
王族とはいっても、あまり煌びやかなものには慣れていない。
私も十年前、この国に着たばかりの頃は、よく絢爛な空気に呑まれたものだ。
かつての私も、こうだったな。
そう思うきっかけを得る度に、胸中を切ない痛みが襲う。
妹のことを案じて、かつての自分を思い出して。
まるで幼い自分自身を見ているような心地がするのだ。
幼い私に同情的に、温かく接して下さったこの国の王妃……叔母上。
あの方も、同様に思って下さるだろうか。
十年前の日の、再現を目にしているかのようだ、と。
何分、急を要する事態だったが故……今回、妹を連れて来ることの許可をいただいていない。
故郷のことは兄が上手く取り計らってくれるだろう。
だが、私と妹の受け入れ先は他国の王宮。
この国からの許可を貰わずして、安息は得られない。
この地を安住の地として妹を安心させる為にも。
これから謁見の間にて、再び世話になることの挨拶と共に……何とか、許可をもぎ取らねば。
国王夫妻は心ある方々だが、他国の王族をただ預かることには無理がある。
何事にも政治的な意味が絡むのが、王族だ。
かつての私とよく似た状況にある妹の事情は、この十年という時間をかけて私を見てきた方々なら、恐らく見ただけで察してくださるのではないかと思うのだが。
だがそれでも、同情心だけで『王女』は預かれる存在ではない。
何とか言質だけでも引き出したい。
私は彼らをどう口説き落としたものかと、説得の為の文言を脳内で必死に考え続けていた。
ちなみに隣国の王太子(18)には、リュケイオンを女と見間違えて一目惚れする、更には成長不良のリュケイオンを年下と勘違い(※実際にはリュケイオンの方が一つ年上)して「俺がお前の新しいお兄様になってやる!」と宣言する等々のお約束じみた失態を積み上げまくったという哀しい黒歴史があります。
隣国の王室の兄妹(リュケイオンとミンティシアの従兄弟)
・王太子18歳
・第一王女15歳
・第二王女10歳




