8/私と妹と、真白いケーキ
宴席は、表面上は和やかに始まった。
王族を歓待するという、体面を繕ったもてなしの席。
前もって要望を出しておいた通りに、ミンティシアの為に用意されたものがある。
ケーキだ。
今まで誕生日を祝われたことの無いだろう、ミンティシア。
そんな妹の為に用意された、真っ白なクリーム塗れの甘い菓子。
私が初めて『ケーキ』を口にしたのは、留学先である隣国でのこと。
私の過去と類似点の多い生活をしていた妹も、甘味とは縁遠い生活をしていたのではないかと推測される。
もしかしたら何かの折に口にしたことがあるかもしれない。
だが、常時食べられるものではなかった筈だ。
妹の世話係であったはずの使用人の、あの質の低さを思えば……
機会があったとしても、潰されて横取りされていた可能性が高い。
セダン男爵一家に、人見知りでもしているのだろうか。
どうにも、セダン男爵邸に来てから引っ込みがちな面が強まっているように思う。
これは人見知り、なのか……それとも他に、理由があるのか。
表情や口数は乏しいが、ミンティシアは素直な子だと思う。
私に対しても、人見知りはなかった。
だが今夜は、様子が少々おかしい。
花を見に行くと飛び出していった、あの唐突さ。
あの積極的ともいえる態度は、なんとなくミンティシアらしくなかったように思える。
敢えてわざわざ見に行く程、花が好きなのか。
しかし好きな花を見てきたにしては、帰って来た時の消沈した様子が気になる。
何かあったのかと問うても、無言で首を横に振るのみ。
なんとも歯痒いことだ。
何かがあったように思えるのに、それを知る術がない。
単純に何かがあった、とするのであれば。
理由として疑わしい事柄は、幾つか予想がつく。
予想は出来る、が……これは妹の精神面に関与する物事。
ミンティシア本人の証言がなければ、何が理由か断定するには至らない。
僅か数日の関わりではあるが、妹の様子を見ていれば察せられるものもある。
かつての私を思い出し、重ねてしまう部分もある。
この妹から無理に口を割らせようとすることは、良くない結果しか生むまい。
だからこそ、強引な真似は控えたというのに……
折角、セダン男爵に指図して用意させた誕生日の宴席。
これは、ミンティシアの為のもの。
だというのに、妹の顔に笑みの片鱗も窺えない。
元より、表情の薄い娘ではあるのだが。
肝心のミンティシアが喜ばぬとあっては……
一体、何の為に用意したというのか。
妹はきっと喜ぶはず、と。
意図せず、思い込みに近い期待をしてしまっていたのだろうか。
そのような思い込みは、妹に対する押し付けにも等しいというのに。
それでも、と思う部分もある。
幼少時に知ることのできなかった分、初めて甘味を口にした時は衝撃を受けた。
知らず知らずに、幸せとはこのような味か……とぼんやり考えて。
あの味を、妹にも教えてやりたい。
もう既に知っている、ということもあるかもしれないが。
だが、私が手配した甘い味を、味わって欲しいと。
そう思ってしまう。
宴席の中、並ぶのは王族を持成す豪勢な料理の数々。
中央に座すのは、クリームと花で飾られた真白いケーキ。
王族を持成すのだからと奇をてらったモノを用意されたらどうするべきか、と懸念もあったが……こうして表面を見る限り、どうやら誕生の祝いに相応しくポピュラーな物に落ち着いたらしい。
童女が好みそうな愛らしく、華やかなその見栄え。
花が好き、なのであれば。
この見栄えはミンティシアの好みに適うと思うのだが。
ミンティシアは不安げな顔で、私をちらりちらりと見上げてくる。
だが私ばかりを見ているかと思えば、時として別の場所にも妹の視線は寄せられた。
眼差しの奥に、私もよく見知った……かつては常時、私も抱いていた感情が見える。
怯え。
眼差しの奥に、深く怯え、震える何か。
何に不安を感じ、何に怯えているのか。
妹の眼差しがいっそう怯えを揺らすのは……セダン男爵の、令嬢達か。
先ほど考えていた、予想が当たった、か?
この様子を見るに、可能性として高いものが一つ、二つと候補に挙がる。
セダン男爵の娘達に何かをされたか、言われたか……
あるいは心無い噂話を耳にした、か。
何にせよ、どうやら私の妹を深く傷つけてくれたのは、あの頭の残念な三姉妹で確定のようだ。
今は細かく追及する猶予はないが……だからといって、調査をしない理由はない。
何をしたのかは知らないが、調べておくに越したことはない。
私は心の中のメモ帳に、優先順位も高めの位置でセダン男爵家の身辺調査を刻んだ。
必要と思ったからには、必ず調べる。
その結果、どのような答えが出たとしても。
ミンティシアが今後セダン男爵家の人間と単独で会うことの無いように気を配るべきだろう。
男爵家を出立する時間も早めることとする。
本来は二泊を義務付けられているのだが……明日、出立しよう。
それまではこの館の中で、ミンティシアを決して一人にすまい。
幼さに見合わぬ、愁いを帯びたミンティシアの顔。
本来は無邪気に驚き、騒ぎ、喜んでも許されて然るべき年齢だというのに。
今、何を不安に思い、何に怯えているのか。
予想は出来ても、やはりミンティシア本人でなければ真の理由は掴めない。
せめて少しでも心の負担を減らしてやりたい。
ミンティシアの膳は、あまり進んでいない。
元より、ミンティシアは少食だ。
成長期に相応の食事を与えられていなかった為、一度に多くを食べることが出来ない。
そこは今後、医師と相談しながら改善していこうと思うが……
現時点であまり多くを食べられないことに変わりはない。
しかし今の食事は、少食にしても進んでいない。
心の中を占める不安や心配事が、怯えが、食事を阻害しているように見えた。
あまり無理に進めるのも良くない。
ミンティシアに無理に食事をさせるつもりもない。
本人が食べられないものを、強引に詰めてはかえって体調を崩す。
このままでは、ケーキにまで手が回らないかもしれない。
私は思い立って、あまり食事の進んでいないミンティシアの元へと皿を寄せた。
切り分けられた、ケーキの乗った白い皿を。
味を見る意味で、自分の更に乗せられたケーキを一口咀嚼する。
……少々砂糖が足りないようにも思えるが、素朴な良い味をしていた。
たっぷりと間に挟まれた果物の自然な甘みが、砂糖の不足を補っていた。
悪くない。
ミンティシアの年齢に合わせたのか、子供の好きそうな味でもある。
私は新しく一口、フォークに掬い取る。
それをそのまま、ミンティシアの口元に寄せた。
「お、にい、さま?」
「ミンティシア、口を開けなさい。あーん、だ」
「あ、あー……?」
戸惑いながらも、素直なミンティシアは私の言葉に従った。
開かれた口の中に、フォークからケーキの欠片を滑り落とす。
「食べなさい」
「……」
口にモノが入っている為だろうか。
ミンティシアを口を閉じたまま、ただこっくりと頷いた。
ゆっくりと味を確かめるように咀嚼し……その口の動きが、味わうように遅くなる。
やがて喉がこくりと動き、ミンティシアはぱっと私を見上げてきた。
気のせいでなければ、表情の出難いミンティシアの瞳がキラキラと輝いている。
「甘味は好きか、ミンティシア」
「かん、み……?」
「ああ。甘いものは好きか?」
「……わかんない」
「では、今の『ケーキ』は美味しかったか?」
「『けーき』?」
「ああ、そうだ。『ケーキ』だ」
「あま、い?」
「そう、この『ケーキ』の味だ。どうだろう、ミンティシア。美味しかったか?」
「…………うんっ」
今までになく、はっきりと。
しっかりと頷くミンティシア。
どうやら甘い味は、気に入ったらしい。
先ほどまでの憂えた顔を、忘れたように。
ミンティシアはキラキラした目で、『ケーキ』をじっと見ている。
私は皿からケーキを掬い取っては、雛を抱えた親鳥の様にミンティシアに与え続ける。
今一時だけのことかもしれないが。
不安や心配、怯えを忘れて。
キラキラと喜びに顔(※無表情)を輝かせる妹は、なんだかとても愛らしかった。
願わくば、余計な心配事など忘れて。
これからもずっと、明るい顔をしていてほしいものなのだが。




