7/私と妹と、貴族の娘
セダン男爵の館は、貴族としては平均的な外観をしていた。
視覚情報から大体の建築年数が知れるものだが、六~七代前の当主は趣味人だったのだろう。
恐らく、当時に誂えられた調度品を引き続き使用していれば、品の良い館という印象を持った筈だ。
その名残は、ところどころに残っている。
内装に調和した年代物の磁器や絵画は、身分相応の資産価値しかないだろう。
だが固有の価値に縛られない、調和した美しさがあった。
だからこそ、残念でならない。
調和していた筈の美しさが、無残に引き裂かれて不調和と化した室内が。
さぞ領民から搾り取っているのだろうと窺わせる調度品が、そこかしこにある。
室内との調和よりも資産価値を優先したのだと、一目でわかる物悲しさ。
せめて壁紙との兼ね合いをもう少し考えれば良いものを……。
私は、セダン男爵邸の応接室にて。
取るに足らない『セダン男爵の言葉』を聞き流しながら、そんなことを考えていた。
セダン男爵との個人的な交流は、これまでに殆どなく。
話をしたことがあるのも、十年前……私が隣国へ『留学』に向かう際、一夜の宿を提供された時のみ。
だが十年の月日が間に横たわっていようと。
九歳の子供だろうと、見聞きしたことは存外覚えているものだ。
あの当時に見たセダン男爵の顔と、今の男爵の顔。
比べてみると、頭部が寂しくなってきたなと時間の流れを感慨深く思う。
感想は、たったそれだけ。
しかし、こうも思った。
人間性の薄さ、軽さは変わらないな……と。
男爵位を賜る貴族とて、低俗な輩はやはり低俗なのだろう。
十年そこらで急に高潔な人間に変貌している筈もない。
今回は私がある程度成長したことと、王太子との繋がりが暗に誇示されている為か。
それとも隣国の王妃に気に入られているという情報が回ったのか。
あるいは伴に連れている従者達、隣国貴族の目を気にしてか。
男爵の態度や振る舞い、私への扱いは驚く程に十年前と違った。
私のことを、『王子』と今更ながらに扱っているようだが……
それで、十年前の失態を取り戻せるとでも思っているのだろうか。
今は態度を改めるので、過去は水に流せとでも?
それとも本当に、私が十年前を覚えていないとでも思っているのか。
馬鹿にした話だが、ここでそれを指摘する訳にもいくまい。
顔に泥を塗る行為は、後々まで恨みを買う。
ここは穏便に流すことが、私に求められる『大人の対応』なのだろう。
それに私は今、妹を連れている。
私一人ならばともかく、妹が共にいるのに無茶をする訳にはいかない。
権力に弱い人間は、旗色を窺っては方々に尾を振るものだが。
十年前に目の前で嘲った子供に対し、今更取り繕っても遅いというもの。
丁重な態度を取る面の皮の下に、醜い人間性が隠せないまま覗いている。
ああ、これは。
私に利用価値を見出しただけか。
私への感情が根底から変わった訳ではないな、と。
薄っぺらな敬意の裏が、なんともあからさまで滑稽だった。
「――おお、そうです。殿下方に私の娘たちをご紹介致しましょう!」
セダン男爵が今思いついたかのような物言いで、扉の向こうから娘達を差招く。
だが、どうやらこの部屋の扉は薄すぎたらしい。
娘を呼びに廊下に出た男爵と、待機させられていたらしい娘達。
親子の会話が、丸聞こえだ。
『お父様、どうして私達が挨拶などしなくてはならないのです!?』
『お姉様の言う通りですわ! 大体王子とはいっても、第六王子なのでしょう?』
『私、十年前を覚えていますけど……あんなみすぼらしい子供が大きくなったってたかがしれてますでしょう? 私達が会いに行く必要を感じませんわ』
『お前たち! さっきも言っただろう! 第六王子個人が問題なのではない。隣国の王妃に目をかけられている王子だぞ!? ここで下手を打てば、我が家の評判が……』
しっかりと廊下から響いてくる、親子の会話。
私の背後に控えるダリウスが、笑いを噛み殺している。
その他の従者達には、なんとも言えない微妙な空気が漂っていた。
「おにいさま?」
「大きな声で騒ぐとこんな風に見苦し……いや、姿が見える訳ではないから、少し違うか。ミンティシア、あの聞こえてくる声をどう思う」
「…………よく、わかんない。あのひとたち、なんて言ってるの?」
「そうか。わからないか……あまり意味のないことを言っているので、理解する必要はあるまい。ただミンティシア、あんな風に騒がしくしていると声が響くだろう?」
「うん、キンキンするの」
「そうだな。周囲に配慮が出来ていないようだ」
醜悪な会話の内容が、ミンティシアには理解できないらしい。
それは言葉の意味が分かっていないのか、扉を隔てた声が聞き取り難いだけか……
まだミンティシアは幼い。
言葉の意味がわからないのであれば、無理に教える必要もないだろう。
やがて男爵は娘達の説得に成功したらしい。
渋々、という態度がまだ見えていたが。
男爵の開いた扉から、三人の娘が入室し……
何故か、私の顔を見て固まった。
失礼な態度は今更だが……人の顔を見て、その反応は如何なものか。
男爵がさり気無く脇をつつき、娘達は再び動き出した、が。
先ほどまでは慇懃無礼態度が滲み出ていたというのに。
動き出した娘達は、廊下から聞こえてきた本音とはまるで態度が違った。
本音を綺麗に覆い隠し、上辺を見事に取り繕う。
セダン男爵の娘達は、貴族の娘としては有能なようだ。
私に向けられる眼差しなど、見事な演技としか言いようがない。
この分であれば、社交界でも上手に渡り歩いていることだろう。
「そうです、殿下。お部屋には我が娘達にご案内させましょう。私は今宵の準備がありますので……」
「そうか。ああ、そうだ、セダン男爵」
伝え忘れていたことを、一つ思い出す。
席を立ちながら妹の手を引き、私は男爵にさらりと告げた。
「妹と私は同室にしてもらおう」
「殿下、それは……」
「まだ幼く、母を失ったばかりの娘だ。一人きりにするのは不安なのでな」
幼くとも、妹は女だ。
男である私と同室にすることに胡乱げな眼差しを向けられたが、こればかりは譲れない。
何より、知らぬ場所で妹を一人にはさせたくない。
物言いたげな目で男爵親子にじろじろ見られたが、押し通して客間に案内させた。
王太子である兄の面目を、私が潰す訳にはいかない。
彼の方の腹違いとはいえ、私も弟として貴族達には相応の態度で接さねばならない。
娘達が覚えているように、私も十年前のことをよく覚えている。
あの頃、彼女達が私に面と向かって何と言ったかも。
……思うところはあったが、表には出すまい。
「おにいさま?」
「どうした、ミンティシア」
「……おにいさま、へんなお顔、してた?」
「変な顔、か……ミンティシア、私の笑みはおかしいか?」
「なんか、なにかがちがう……の」
「そうか。ミンティシアは聡いな」
「さと?」
どうやら、ミンティシアには私の作り笑いがわかるらしい。
この幼い妹には今まで向けたことの無い表情だからこそ、わかるのかもしれない。




