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傾国の死後、私と妹【連載版】  作者: 小林晴幸
私と妹と、夜逃げの準備
11/39

『梟の国』

その頃、王太子は……

 我が母の故国は、遠くこの国にまで一つの異名で知られている。


 『梟の国』


 隙を見せれば、弱いものから殺されていく。

 愛嬌をふりまき、無害そうに見える女達は笑みの裏で毒の牙を研ぐ。

 彼の国の女達は闇に紛れた途端、誰よりも残忍な狩人(ハンター)と化して己が敵と定めた相手を嬲り、どこまでも追い詰めるのだ。


 女の争いが熾烈な国。

 そのように印象づけられてしまうのは、彼の国の『後宮』が独特の空間を形成しているためか。

 彼の国では女の園とは、過酷な生存競争が繰り広げられる場……らしい。

 男の手は及ばない閉鎖的な空間で……女達がどのように争い合い、傷つけあっているのか。

 所詮は外部の者に過ぎない、それも他国の者である私の目からは、憶測を重ねるしかない。


 だが、そのような環境で育てば。

 相応に歪んだ思考が染み付くのも仕方がないのだろうと。

 そのことだけは、妙な確信を持って断言出来る。


 彼の国では女が父・夫・息子以外の男に顔を曝すことは一生涯有得ない。

 子供の内は母親と共に部屋に閉じ籠って暮らし、成人すると同時に父親の決めた相手へと嫁ぎ、残りの人生は全て夫の屋敷の奥で生きる。

 それが彼の国では身分ある女の生き方だ。

 息を潜めるような、何とも窮屈そうな一生ではないか。

 その鬱積が、女達を凶行に走らせるのかもしれない。

 それを鷹揚に受け止めるのが男の器、だそうだが……私にはきっと、死ぬまで理解はできない。

 そのような国から、文化も風習も環境の全てが異なる我が国へと輿入れしてきた母。

 だがこの国では、女にも社交的社会的な役割が求められる。

 その最たるものが、『王妃』なのだが……。

 母は最期まで、『王妃』の役割を本当の意味で理解することはなかった。


 そもそも『王妃』という位の存在しない国から嫁げば、致し方ないのかもしれない。

 それでも理解してほしかったと、私は今でも思ってしまう。

 

「王太子殿下、ご報告いたします」

「聞こう」


 長年仮想敵国であった国との、友好の証として成立した婚姻。

 その果てに生まれた私の立場は、弟が思う程に盤石ではない。

 自分の価値は、培った能力で示してきたつもりだ。

 だが私の後ろ盾となる国への懸念を、そのまま私に投影されてしまうのも致し方がないこと。

 私を玉座に座らせることは、彼の国からの干渉を招くのではないか。

 そのように主張する者は、未だ一定数が存在する。

 多くは、腹違いの弟妹達を旗印に据えた派閥の者達なのだが。

 正当な理由もなしに私を玉座から遠ざければ、それこそ彼の国に口出しさせる隙を作ることになる。

 ……確定もしていない目先の利権に惑わされた俗物達は、いつだって自分に都合の良い未来しか信じない。

 彼らは戦乱を招きたいのだろうかと、頭の痛い思いをすることも少なくない。


「リュケイオン殿下、ミンティシア殿下、お二方とも無事に城門を通過したとのことです」

「そうか……ひとまずは安心とでも言っておくべきか」

「いえ、そのお言葉はまだ……」

「そうだな。まだ根回しすべき事案が山積している」


 母の生国からの干渉を私自らが封じてみせると、そうわかりやすく示すこと。

 そうしてそれを、臣下達に信じさせること。

 難しい課題だが、それを果たさねば次に進める時にいらぬ問題を招く。

 面倒だが、政敵を封じる為には一つ、一つと段階を踏んで計画を詰めていくしかない。


 済崩しに、強引に先へと進む方法がないでもなかったが。


「ですが、よろしかったのですか? リュケイオン殿下に協力していただかなくとも。隣国で見せ始めた才覚が報告の通りでしたら、王太子殿下にとって得難い味方となりましょうに」

「…………私は、不遇な生い立ちのあの子達を利用しようとは思わない。少なくとも、今暫し……私は甘いのかもしれないが、彼らが自分で立つことの出来るようになるまでは、可能な限りそっとしておいてやりたい」

「王太子殿下……そこまで、お二方のことを」

「今は感傷に浸っている場合ではないな。一先ずリュケイオン達の馬車を追跡する者への対策は、かねてからの予定通りに」

「小賢しい貴族の中にも、ミンティシア姫殿下のことを嗅ぎ回るモノが出始める頃合いですか」

「碌でもない予想ほど、当たれば虚しいものだ。国境を越えるまで確かに見届けるよう、後追いの者達に伝えてくれ」

「護衛対象に覚らせず、警護することに長けた者達です。きっとやり遂げてくれることでしょう」

「そうか……その言葉、信じよう。安心して此方の予定を進めることも出来なくなってしまうからな」

 このまま、気が狂ったままに父王が死んでくれれば……

 そう思うことを、私は止めることが出来ない。

 いや、止めるつもりはない。

 私が『父』と呼んだのは、かつての王。

 女に狂った今の国王を、到底『父』とは認められない。

 私の中では、最早過去と現在の王は別人だ。

 だが私がどう思っていようと、あの王の確かに血を分けた息子として……責任がない訳でもない。

 せめてもの償いを、償う気のない王に代わって私が行わねば。

 でなくば、王の狂気が犠牲にした人々に申し訳も立たない。


 犠牲の筆頭とも言える『彼女』は、助け出すことも出来ぬまま……ついに儚くなってしまったのだが。


 まだ猶予はあると思っていた。

 それこそ、私にとって都合の良い思い込みでしかなかった。

 他人を寄せ付けるのを嫌って、王は医師も寄せ付けようとしなかった。

 詳しい状況を掴むことも出来ず、認識は甘く。

 結果として、彼らから『母』を奪ってしまった。

 満足に、話す時間すら与えてやれないままに。


「無念だ……だが、この無念を共有できる相手がいる。それが、せめてもの慰め……なのだろうか」

「まあ、わたくしに慰めてほしいのですか。王太子様」

 客間に招き入れた女性の来訪は、時間通り遅くも早くもなく。

 優雅に微笑む眼差しの奥には、激情が炎となって鋭く光る。

 あの激しささえなければ、記憶にある『彼女』と女性は良く似ていた。

「可憐な奥様がいらっしゃるのに、罪なお人ですわね?」

「誤解を招く発言はわざとかな、ガーネット殿。私達は同志だと思っていたのだが、どうやら貴女は私を陥れたいらしい」

「ふふ、怒りました? 王太子殿下はあの愚王に良く似ていらっしゃるのですもの。顔だけ、ですけど。でもついつい重ねて陥れたくなってしまっても……仕方ないとお許しを」

「貴女の生い立ちを思えば、その物言いを咎めるのも心苦しいものがある。だが私にも立場があるのでね。人の目があるところでは控えていただきたい」

「申し訳ありません。育ち故に不調法が過ぎてしまうのです」

 生来の身分を隠し、本名を偽り、修道院に匿われて育った女性。

 生い立ちを思えば、むしろ厳しい修道院の躾に慎み深い女性へと育っていても不思議ではないのだが。

 しかし彼女の心に焼き付いた怒りと、憎しみが、修道院の躾に矯正されるのをよしとしなかったらしい。

 私が探し出した時、まだ幼さの残る年頃に似合わぬ憎悪と苛烈さが、彼女にはあった。

 その全身から、炎のような印象を立ち昇らせて。


 年を重ねるとともに身につけた強かさで、ある程度は内心の炎を隠せるようになったようだが。

 見つけた当時の印象が強過ぎて、ガーネット嬢が穏やかな笑みを浮かべていても不自然さしか感じない。

 だが、『彼女自身』を知らぬ相手には充分に騙すことが可能だろう。


「貴女の努力と成長ぶりは、既に報告を受けている。実際にこの目で見て驚いたが……ますます、『叔母君』に似てきたようだ」

「ふふっ。真実そう思っているのでしたら……思う以上に簡単に、あの愚王に近づけますかしら?」

「保障しよう。今の王は『彼女』を失って狂乱の極致にいる。目が曇り、思考回路の怪しい今であれば充分に試す価値がある」

「美しくお生まれになった叔母様の運命を悲しく思ったこともありましたけれど……こうなれば、むしろ感謝したいくらいですわ。お陰で、わたくしは復讐を遂げられそうなのですから」


 復讐を遂げる。

 その一心で血の滲む努力を乗り越え、ガーネット嬢は此処にいる。


 既に本名を捨て去った彼女は、ガーネットとしか名乗らない。

 その名が本来は誰の物であったのか、私は知っている。

 今から19年前、王の寵愛する側妃……『傾国』と呼ばれた『彼女』は男児(リュケイオン)を産んだ。

 しかし出産は精神的な衝撃から産気付くのが早まり、あわや母子共に命を落とすかと危ぶまれた。

 だがそもそも、そうなった原因は王にある。

 『彼女』がショックを受け、早産となったのは王のせいだ。


 きっかけは、出産を控えた女性の願いとしてはよくある懇願から。

 過ぎた寵愛から監禁されていた『彼女』は、妊娠が発覚すると国王に実家での出産を願い出た。

 生家で子を産み、体調が万端となれば子を連れて王城に戻ると。

 今までに国内の貴族から嫁いだ妃で、同様の願いが叶えられた例は何件もあった。

 『彼女』の願いはおかしなものではない。

 

 おかしかったのは、王の頭だ。


 彼は狂おしいまでに『彼女』を愛していたが、同時に自分が愛されていないことを知っていた。

 相手が『国王』だからこそ、逆らえないだけだと。

 逆らえないのだから、出産が済めば『彼女』は自分の言葉通り王城に子を連れて戻って来ただろう。

 だが王は、それを許すことが出来なかった。

 檻から出した途端、逃げるに違いないと。


 王は、『彼女』のことを全く信じていなかった。

 実家に戻せば二度と戻ってこないと思い込んだ。

 そうして、『彼女』がどこにも戻ることが出来ないよう。

 『彼女』の逃げ場を潰す為に。


 『彼女』の『実家(いえ)』を、滅ぼしてしまった。


 言いがかりの罪で滅ぼされた、哀れな貴族。

 焼き打ちは突然で、罪状を記した書類すら後から作られる始末。

 あまりに急過ぎる襲撃に、誰も対応することが出来なかった。

 殺されたのは当主夫妻と、先代の当主夫妻。

 それから『彼女』の兄夫婦と、その一人娘。

 ……まだ幼い一人娘には、姉妹同然の乳姉妹がいた。

 乳姉妹の名は、ガーネット。

 幼いながら『主』の為に、自ら身代わりとなった勇敢な少女だ。


 誰にも知られることなく、密かに。

 身代わりとなった乳姉妹の名を預けられ、一人娘は乳母に連れ出された。

 貴族の子は生まれた時に、国に届け出が出される。

 既に戸籍に名のある者を、身代わり無しに逃すことは不可能だった。


 そうして修道院に匿われ、しっかりと報復の望みを胸に育った女性が目の前にいる。

 彼女は両親を、一族を、そして乳姉妹を奪った王を決して許さない。

 だからこそ、彼女は私の同志と言えた。


「王の心は、予想した以上に弱っている」

「だからこそ、今が好機なのですわよね?」

「頼む。貴女の手腕に賭けさせてもらう」

「任せて下さいな、王太子様。あの王を地獄の底に引きずり落とす為の前準備なのですもの……幾らでも、協力させていただきます」


 血縁の成せる不思議、というべきだろうか。

 あまりに苛烈な生い立ちに、内に抱いた人格と呼ぶべきモノは『叔母』と『姪』であまりに違う。

 だというのに。

 二人の女性の面差しは……あまりに、似過ぎている。

 こうして協力……いや、利用させてもらうことに、胸が痛むほどに。

 ガーネット嬢自身が乗り気でなければ、とても頼めなかった。

 それでも私は、同情はするが……彼女よりも、末の弟妹の方が可愛いのだ。 

「お約束は、守って下さるのでしょう?」

「ああ。それこそ、私にとっても本意と言える」

 ガーネット嬢に頼んだことは、それほど多くない。

 だがそれらは❘未来さきを勝ち得る為に、確かに必要な布石だ。

 交換条件として、ガーネット嬢は私に願った。

 謀反人の家として破壊された一族の墓所の復元と、罪人として奪われた身内や乳姉妹の遺骨の返還。

 国王の命尽きた暁に、密かにその遺体を引き渡すこと。

 一族の墓の前で冒涜したいのだと、ガーネット嬢は笑顔で述べた。

 そして私はそれに快諾した。

 承諾しない訳がない。

「全てが片付かなければ、あの二人を呼び戻すことが出来ないからな……焦りは禁物だが、早めに完遂したいものだ」

「でもリュケイオン殿下って王城で疎んじられているのでしょう? 呼び戻しても心苦しい思いをさせるだけじゃないかしら」

「リュケイオンには公爵位を用意してある。家名は、滅ぼされた母君の姓を与えるつもりだ」

「あら。そんなに上手くいくかしら」

「いかせてみせよう。そうでもしなければ、あの子達にとてもではないが報いきれないだろう?」

「わたくしとしても滅ぼされた家名の復興は願ってもないことですわ。上手くいくよう、祈るだけは祈っておきましょう」


 私は、この国の王太子。

 だが母から『梟の国』の血を引いてもいる。

 陰謀と毒殺が横行する、血生臭いあの国の血が。

 女の争いばかりが目につく彼の国だが……男達も、そんな女の血を引いていることは変わりなく。

 私とて、同じ血を引いているのだ。

 敵を滅ぼす執念に身を焦がすとしても。

 陰謀と毒殺の血に賭けて、悲願は必ずや果たしてみせよう。


 そんな姿はとてもじゃないが、弟妹達に見せることは出来ないが。

 

 


本編から削った部分 ↓



 今から19年前、王の寵愛する側妃……『傾国』と呼ばれた『彼女』は男児(リュケイオン)を産んだ。

 しかし出産は精神的な衝撃から産気付くのが早まり、あわや母子共に命を落とすかと危ぶまれた。

 あの時、取り乱した王は既に狂人の態で。

 子が原因で命を失うのであれば、腹の子を殺して母体を助けろと……そう叫んで、『彼女』の腹を剣で刺そうとしたのだ。

 当然、そうなれば『彼女』も死ぬ。

 冷静に考えればわかることが、あの時の王にはわからなかった。

 唯一残されたたった一人の血縁……腹の子だけはと、『彼女』が全身で腹を庇い、ますます王は興奮して剣を振り回し……あの時の騒動は、思い出す度に血の気が引く。

 王位にある狂人を、取り押さえることなど誰に出来る筈もなく。

 

 実子で王太子の、私以外。


 あの時は男子禁制であるはずの産屋に踏み込み、私が王を産屋から引きずり出す役目を負わされた。

 それが簡単な役目であるはずもなく。

 うっかり刺された脇腹の傷は、今でもしっかり残っている。

 大変な思いをして出産の援護をした為か、今でもリュケイオンのことが我が子のように可愛く思える。


 19年前の、『傾国』の出産は……本当に、大事件だった。


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