Data.59 水の申し子
トラヒメがサハラやライオーと戦っていた頃――。
優雅蝶から振り落とされたうるみもまた、待ち構えていた『惨堕亞暴琉斗』のメンバーと戦っていた。
「うるみ……。まだ異名こそ持っていないが将来有望なプレイヤーと聞いているぞぉ。良い技能と装備を持っていそうじゃないか……!」
彼女の目の前にいる男の名はクリサリ。彼もまたライオーと同じく黒地に金の刺繍が入ったヤンキースタイルの羽織を着ている。
この羽織はいわゆるオシャレ装備で、ステータスに影響を与えることなく、装備枠を使用することもない見た目だけの装備である。しかし、組合全員で同じ装備を身に着けることで、その結束力を高める効果はあるようだ。
クリサリの武器は鞭の一種である『鎖』。普通の鞭に比べて柔軟性はないが、その分一撃の威力が高い武具だ。彼はその鎖を威嚇するようにぶんぶん振り回している。
「逃げ回っても助けは来ないぜ! お前の仲間のところにも、我ら1番隊の隊士が向かっている。それも1人に対して2人ずつだ! 倒されるのも時間の問題ってな!」
「なら、私を追っているのはあなた1人だけということですか?」
「そうなる! 我ら1番隊は5人だからな! まあ、一番弱いお前は俺1人で十分だ!」
「そうですか……。では、一番楽な私が負けるわけにはいきませんね」
うるみは樹海を抜け、木々が生えていない開けた土地に出た。
「命運尽きたな。こんな開けた場所では純粋に戦闘能力が高い方が勝つ。地形を生かした鬼ごっこもここまでというわけだ」
「ええ、その通りです。私にとってあの森はあまりにも窮屈でした」
「なにぃ?」
「だって……木々の葉っぱが雨を受け止めてしまいますから」
うるみが扱う技能の雲は、迷宮のような閉鎖された空間では天井付近に出現する。
しかし、地上では普通の雲と同じく上空に出現するため、空と地上の間に雨を遮るものがあると雨粒があまり地上に届かず、その性能が低下してしまう。
だからこそ、うるみは森を抜けて、空がよく見える開けた場所を探していたのだ。もはや、雨を遮るものは何もない。青い宝石が輝く杖を天に掲げ、技能を発動する!
「呪血の雨!」
深紅の雲から呪われし血の雨が降り注ぐ。それをダイレクトに浴びたクリサリの基礎能力はみるみる弱体化していく。
「なんだこの雨は……! うるみと言えば回復の雨じゃないのか!?」
「蟒蛇水流!」
血の雨の中を這うように進む水の蛇。クリサリはそれを鎖で打ち落とそうとしたが、思うように腕が振れない。水の蛇はそのままクリサリの首筋に噛みついた!
「ぐうぅ……味な真似を……! だが、複雑な動きをする分こういう技能は低威力! まったく問題にならん!」
動きや効果がシンプルな技能ほど回避されやすい代わりに威力が高い。逆に複雑な動きや特殊効果を持つ技能ほど威力は控えめになる。それが『電脳戦国絵巻』のゲームバランスだ。
実際、それなりの防具で身を固めているクリサリ相手に、この一撃は決め手にならない。クリサリは冷静に判断した結果、森の中に逃げ込むことにした。雨の技能は雨らしく、雨宿りで回避できると彼はすでに察していた。
だが、うるみは彼がそう動くことすら読んでいた。
(今まで私は攻撃に積極的になれなかった……。攻撃系の技能が少ないだけじゃなくて、性格的にもあまり攻めるのが好きじゃなかった。でも、トラヒメさんに出会ってから、私も戦うことの楽しさに気づけた気がする! もうサポートだけのうるみじゃない!)
クリサリは太い木の陰に姿を隠した。うるみはそこへ杖を向ける!
「虹の……閃!」
一直線に伸びる虹色の光が、木ごとクリサリの頭を貫いた! 予想外の一撃に目を白黒させるクリサリ!
しかし、彼とて中堅組合の上位メンバー。遮蔽物を貫通する攻撃をうるみが行うとは思っていなかったが、以前そういう敵と戦った経験はある。
下級技能ゆえにまだ威力が低い【虹の閃】では、頭を貫いても一撃で撃破とはいかない。すでに血の雨は止んでいる。クリサリはイチかバチかの接近戦を仕掛けるべく、木の裏から飛び出した。
だが、もう勝負は決していた。
「食らえうるみぃぃぃ……なっ!?」
何かに足を取られてすっ転ぶクリサリ。彼が隠れた木の周りには、すでに【滑滑飛沫】がばら撒かれていた。知らずに踏み込めば誰であろうと転んでしまうヌルヌルに足を取られた彼は、もはや立ち上がることすら困難!
「トドメの虹の閃!」
連発される虹の光に体を貫かれた彼は、ヌルヌルの中でもがきながら消滅した。強力であると同時に屈辱的……! それがうるみが手に入れた新たな戦法だった。
「勝った……! 私が中堅組合のプレイヤーに1人で! もうズズマごときにやられていた私じゃないんです!」
両手を上げて喜ぶうるみ。そこへ森の中から聞きなれた声が聞こえてきた。
「おーいうるみー! いるんでしょーう!」
「トラヒメさん! こっちですよー!」
総長と副総長にケンカを売られようと問題はなし! 2対1の戦いに勝利したトラヒメがうるみの元へやってくる。
「あ、トラヒメさんそこは……!」
「え? うわぁ……っ!」
まだ残っていたヌルヌルに足を取られすっ転ぶトラヒメ。彼女といえど、不意のヌルヌルにはまだ対応出来ない……。
「またヌルヌルになっちゃった! でも、ここがヌルヌルになってるってことは【滑滑飛沫】が役に立ったってことでしょ? やっぱりあの技能を選んでおいて良かったね!」
「はい……! この技能を選んでおいて良かったです……!」
うるみは頬を赤らめながら言う。魅力的であると同時に刺激的……!ヌルヌルにまみれたトラヒメの姿を見るのが、彼女に芽生えた新たな性癖だった。
「うーん、やっぱり立てない! 早く雨で流してほしいなぁ」
「あのぉ……まだ念力が回復していないので少しだけ待ってください……!」
「そ、そう? なら仕方ないか……」
自分がいかがわしい目で見られていることに薄々気付いているトラヒメ。でも、そういう目で見られるのも悪い気はしないので、この状態はしばらく続いた。
この2人がリュカのことを思い出すのは、もう少し後のことである。





