Data.99 その後のハッカク
勝者がいれば、敗者もいる。
根回しに根回しを重ねたリ・デビュー計画を潰された『SpicieS』のリーダー・ハッカクは、失意のままに事務所へやって来た。
「どうして……こんなことになったんだ……」
頭を抱えてデスクに突っ伏すハッカク。
失敗の原因など『トラヒメがいたから』に決まっているのだが、優勝を確定事項としてファンの期待を煽りまくっていた手前、自分たちより強いチームがいたので負けました……では、言い訳としてあまりに弱いのだ。
しかも、今回の場合はボコボコにされているシーンを隠すため、回線不良とか言って配信を途中で切ってしまっている。
これだけ通信技術が発達した大VR時代に回線不良なんてそうそうない。ファンを納得させるためには、それに対する言い訳も追加で考えなければならない。ハッカクは憂鬱だった。
「……そういえば、バトロワの配信自体は人がたくさん来て盛り上がってたって言ってたなぁ。となると、その配信で起こった回線不良やバトロワの結果、おそらくウワサされているであろう不正の真相を匂わせる配信をすれば……盛り上がるんじゃねぇか!?」
ハッカクはガバッと上半身を起こす。そうだ、その匂わせ配信で人を集め、黒いウワサのすべてを美談に変えてしまえばいい!
どうやって美談に持っていくのかはこれから考えるとして、幸運なのはトラヒメがSNSの類をやっていないということだ。多少話を脚色したところで、彼女なら異議を唱えてくることはないだろう。
「あいつはなんか純粋なゲーム馬鹿って感じだったしな!」
作戦が決まったら、次にやることは情報集めだ。世論を誘導するためには、世論の声を聞く必要がある。
今、ハッカクたち『SpicieS』に対してどういう意見が多いのかを把握すれば、おのずと自分の口から出すべき言葉も見えてくる。
携帯端末を慣れた手つきで操作し、各SNSを流れるようにチェックしていくハッカク。その様子はまさにネットサーフィン。大波に乗るようなザッピング技術だった。
しかし、そんなエゴサ慣れした彼の手も止まるくらい、ネットの流れはおかしな方向に進んでいた。配信を切って見せないようにしたはずのバトロワ終盤の映像が……なぜかネットに流れていたのだ。
「お、おい……。おいおいおいおいおいおいおいっ!! なんじゃあこりゃあっ!?」
生配信の映像は有志によって即座に切り抜かれ、よりダイレクトにハッカクの醜態が伝わるように編集されて拡散されている!
今から配信アーカイブを非公開にして、切り抜き動画などを権利者削除したとしても、もう遅い。一度ネットに流れた情報は完全には消せないし、盛り上がっている最中に消すと動画は再投稿され、どんどん増えていってしまうのだ。
頭がクラクラしてくるハッカク。もはや止めようのない流れは……止めない。自分にできることは、こうなってしまった原因を探すこと。つまり、配信を止めなかった犯人捜しだ!
……といっても、すでに目星はついている!
「ぐるとクゥンッ! なぜ配信を切らなかったぁぁぁ!? 俺は確かに切れと3回は言ったはずだぁが!?」
「いえ、聞いてませんね」
「……え?」
ぐるとクンの聞いたこともないような冷たい言い方にひるむハッカク。その声からは怒りや悲しみのような感情をありありと感じ取れる。
ハッカクは察した。
ああ、ぐるとクンはわざと配信を切らずに、俺の醜態を世間に晒したのだと……!
それ以上何を話していいのかわからず、ハッカクは茶を濁すように手に持った携帯端末に視線を戻す。そこには自分がハッカクに買収されたとして、その手口をすべてバラす若きプロゲーマーたちの動画が流れていた。
ハッカクは思った。ああ、そうだ。若さとはこういうものだ……と。
後先考えない無茶無謀。買収を受け入れた時点で自分たちも悪者になるのに、そんなことは気にせず暴露を行う。今起こっている大炎上に、自分たちも乗っかるために!
この若きゲーマーたちを完全に黙らせて支配下に置くなど、最初から無理だったのだ。ハッカクはさらに思った。俺が若手の立場なら絶対に暴露してるもんな……と。
「ハッカク。突然だけど、私はこのチームを抜けさせてもらう」
「なっ、何言ってんだよクミン!? 抜けてどうするんだよ!?」
「もう一度、自分のやりたいようにやってみたくなった。いつだってあんたの言うことはすべて正論で、何も言い返せない客観的な意見だったよ。人間の知能を超えた高性能AIがアイドルやってるような時代に、大きなグループにも所属してない地下アイドルが成功する道なんて、きっとないんだ」
「なら、やめとけよ! 俺は別に嫌味で言ってたわけじゃないんだぜ!?」
「わかってる。あんたはそういう性格なんだ。結局、自分のことを一番否定してたのは自分なんだよね。道がないなら他の道に行かないとって、このチームに入ったんだ。おかげでいろんな世界が見れたし、稼ぎの方でもずいぶん面倒を見てもらった」
「なら、抜ける必要なんてないんじゃないか!」
「そうなんだろうね。でも、あの子の……トラヒメの純粋な姿を見て思い出したんだ、幼い頃の夢を。家族や友達の前で歌って踊ってた自分を……。だから、もう少し夢を見ることにした。幼い頃の夢がそのまま形になることはないかもしれないけど、それに近づく努力はしてみようと思うんだ」
「ああ……ああ……」
「もしこれから先、私の夢が形になることがあったなら……それはここで過ごした時間のおかげだと思う。ありがとうハッカク。忘れないよ」
事務所から出て行くクミンをハッカクは追えなかった。なぜなら、続いてガラムまで脱退を申し入れてきたからだ。
「我も……いや、俺もチームを抜けるよ、ハッカクさん」
「お、お前まで……!? 言っちゃあ悪いがお前が大会で結果を出すのは無理だって! クミンはルックスの良さがあるからまだしも、お前の場合は基礎能力が……!」
「足りない……。何もかも足りない……。そう思わされる毎日だった。それはこのチームに入ってからも一緒というか、むしろチームに入ってからの方が想いは強くなった。ゲームの上手さだけを求めていれば良かった頃と違って、人を楽しませるプロゲーマーは考えることが多い。口下手な俺1人でやってたら、絶対に成功しなかった」
「その通りだ! でも、今はまあまあ上手くやってるだろ!? 口下手なところが好きって女リスナーも増えてきてるしよ!」
「ああ、俺もハッカクさんには感謝してるよ。1つのことにこだわって視野が狭くなっていた俺に、いろんなものを見せてくれた。でも、それが逆に本当の夢を引き立たせることになったんだ。他と何と比べても、本気で情熱を燃やせるのは大会……競技としてのゲームなんだって」
「で、でも、本当にやれんのか!? 今回だって無名のトラヒメにボロ負けだったじゃねぇか!」
「ああ、恐ろしかった……。こんなプレイヤーがまだ世の中には眠っていたのかって震えたよ……。なのになぜか、また戦ってみたいと思ったんだ。もっと正々堂々、物言いナシの真剣勝負で。負けることが怖くて競技から逃げた俺がこんなことを考えるなんて、自分でも驚いたけどね」
「俺も驚いてるよ! あんな奴ともう一度戦いたい!? あれはなぁ、刀を持った猛獣だ! 人間が勝てる相手じゃねぇ! 俺は絶対に嫌だねぇ!」
「だから、1人で鍛え直して……いつか戦う。ハッカクさんといると、甘えてしまうから。俺じゃあ思いつかない企画をたくさん考えて実行できるあなたの近くにいると、そんなに労せず豊かな暮らしができてしまう。それではきっと前には進めないから……俺はもう少しだけ飢えてみます」
「う、飢えるってお前……」
「クミンさんと同じく、俺もここでかけがえのないものを得ました。同じ男として思うところもありましたが、プロゲーマーとしては尊敬しています。今までありがとうございました」
事務所から出て行くガラムをハッカクは追えなかった。もうその気力がなかったのだ。
「クッ……! そんなに感謝してるなら普段から言ってくれよ……!」
きっとスタッフも大量に出て行くだろう。そうなれば、もはやチームの形は保てない。この事務所も引き払って、またソロ活動に戻らざるを得ない。人気の急落は避けられず、もはや二度と立ち上がれない……。
「ハッカクさん」
「ああ、ぐるとクン……。すまないねぇ、今まで……。キミが抜けるのを止める権利は俺にないから……」
「僕は抜けませんよ」
「……え? 急に耳が遠くなって、よく聞こえなかったな……」
「僕はSpicieSに残ります」
「……えっ、なんで!?」
ショックで実年齢より10歳以上は老けて見えたハッカクの顔に相応の若さが戻る。正直、ぐるとクンが抜けるのはハッカクの中でも納得できるのだ。なぜなら、ロクな扱いをしてこなかったから!
「僕は昔からあなたのファンで、あなたに憧れてチームに入ったからです。今回配信を切らなかったのだって、悪い方向へ向かっている現在のハッカクさんに反省を促すために、やむを得ずやったことなんです」
「は、反省を促すため……?」
「あなたは昔からヒール役だった。悪者っぽく振舞って場を盛り上げ、最後には派手にやられる敗者の美学があった。でも今はただの悪者になっている。正しくないやり方でプライドを守り、利益を得ようとしている。今回もそう……! でも、最後にはかつての輝きを取り戻しました。あのトラヒメさんのおかげで!」
ハッカクは思った。そう、確か負けた時に感じたのは開放感に似たものだった。それにトラヒメの純粋な姿を見て、自分の口から『うらやましい』という言葉が漏れた。
リ・デビューとは初心に帰ることだったのかもしれない。ならば、彼の願いは敗北によってすでに叶えられている。
「敗者の美学……ね。確かに俺は勝っても負けても美味しい位置にいたからこそ、10年以上この界隈で生き残ってきたのかもしれない」
「ハッカクさんもまた天才です。もちろん、ゲームの腕前でトラヒメさんには絶対勝てないでしょう」
「うぐっ! 事実だって人を傷つけるんだぜ、ぐるとクン……」
「でも、あの人はきっと勝利でしか自分を満たせない人です。勝利でしか他人の心を動かせない人です。でも、あなたは負けてもそれができる。同じ土俵で戦う必要はないんです」
男なら誰だって一番になりたい。常勝無敗の強さで女の子にキャーキャー言われたい。しかし、勝者というのはいつだって少数、ごく一部の人間が独占している。大半の人間は敗者になるしかない。
しかし、勝者より記憶に残る敗者になれたら? 勝者よりも喜ばれる敗者になれたら? 勝者よりも人気者な敗者になれたら?
きっと、人はそれを『常敗無敵』と呼ぶのだろう。
「……ククッ、ならば負け犬らしく、無様に負けたことをこすり倒して稼いでやろうじゃないか! まずはカッコよく颯爽と去っていったクミンとガラムにちゃんとした脱退動画を撮影してもらう! ファンには誠意ある説明が必要だからな! もちろん、動画の最後にはもしかしたらまた戻ってくるかも……という雰囲気を匂わせてもらう! これによりクミンとガラムのファンも俺を完全に無視することができなくなる!」
「おおっ、いい感じに狡いです!」
「次に八百長と買収をバラした若造どもに喧嘩凸を仕掛ける! 最初に話を持って行ったのはこちらとはいえ、バラすのは裏切りであり俺は被害者だ! 遠慮なく大暴れしてあっちの若いリスナーに俺のことを印象付け、あわよくば奪う!」
「すごい! 首謀者なのに被害者ヅラなんて!」
「そして、極めつけには……トラヒメとコラボする! 結局みんな気になるのは、あいつが何者なのかってところだ! だから、俺がコラボして正体を暴く! もし正体が暴けなくても、画面にハレンチ衣装の女が映ってるってだけで数字は出る! クミンはアイドル目指してたクセに露出の多い衣装が嫌いだったからな……」
「ゲーム内の装備すら露出のない法衣でしたからね……」
「でもちょっと待て! トラヒメってSNSやってないんだったよな……。となると、ゲーム内でコラボに誘うしかないんだが、あんまりしつこいと絶対斬り捨てられるよな……」
「それはそれで取れ高じゃないですかね?」
「……確かに!」
ハッカクとぐるとクンの作戦会議は大いに盛り上がった。彼らもまた抜けていったメンバーと同じく自分の信じる道を探し、歩いていくのだろう。
その道がどこに続いているのか。再びトラヒメの歩む道と交わることがあるのか。それはまだ誰も知らない。
ただ、今日のSpicieSの事務所は夜遅くまで明かりが灯っていた。





