聴こえた
智夏視点→香織視点に切り替わります
照明が落ちてしまって、ライブ会場は真っ暗になってしまった。それこそ、新月の夜のように。自分の指先ですら、見えないくらいに。
「なにこれ?停電?」
「おい、どうなってんだよ!」
「お前いまぶつかったろ!?」
「はぁ!?あんたがぶつかったんだろうが!」
戸惑いや不満、怒号なんかも聞こえてくる。
「落ち着いてください!もうすぐ復旧するはずです!」
さっきまで話していたアーティストが大声を張り上げて注意を引こうとするが、騒めきの渦にかき消される。そんなときだった。
騒めきの中、マイクも使わずに歌う声が聴こえたのは。
姿は見えない。けれど、感じる。
彩歌さんがレクイエムを歌っている。彩歌さんが歌うことを選んだのなら、俺は――。
「~♪」
鍵盤が見えなくても、楽譜が無くても。
「~♪」
指が動く。覚えている。楽譜も、指の動きも、彩歌さんの息継ぎのタイミングも。
――――――――――――――
ステージの奥でピアノに向き合っていた智夏君が、アーティストが話している途中で私たちに気付いて、驚いたのが見えた。
「チーちゃーん!」
「うちわ見えてるかしら?」
「見えてるからあんな顔になったんだろうね」
周囲の観客に迷惑にならないように、私たちだけに聞こえるくらいの小さい声ではしゃぐ。昨晩、エレナちゃんの家でうちわを作った甲斐があったってもの。
『投げKISSちょ~だい』
青色のモールでデコったうちわを振るのはエレナちゃん。智夏君を驚かせたくてこの文章にしたんだって。2人は幼馴染なだけあって、独特な距離の近さがあるなぁ。
『3秒こっち見て!』
黄色のモールでデコったうりわを振るのはカンナちゃん。1秒は気のせい、2秒は偶然、3秒は確信的。そう言いながらうちわをせっせと作っていた。よく見るとちょっとだけ、文字の部分の端っこが切れていたり、のりがはみ出ていたりしているけれど、それはご愛敬。
『ウィンクおくって!』
赤色のモールでデコったのは私のうちわ。智夏君は絶対にウィンクはしてくれないのは作る前からわかってた。だからこそ、これを作ったの。だって私にとっての智夏君は手の届かない偶像じゃなくて、同じクラスの……好きな男の子だから。
私たちがステージに一番近い最前列に座っていて、うちわを振っていることに気付いた智夏君は驚いて、うちわを見て、呆れて、少し笑って。
それだけで心が躍る。嬉しくなってしまう。
「ゲストを呼んじゃうよ~!さーいーかーちゃーん!」
「は~~~いっス!」
ゲストの鳴海さんが来て、エレナちゃん達の意識がそっちに移った。視線の先にいる智夏君も。
……って、鳴海さん!?うそ!?
「キャァアアアアアアアッ」
「「「うぉおおおおお!!!」」」
声優界で1、2を争うほどの歌唱力を誇る歌姫!声の演技もピカイチで、まさに非の打ち所がない、超人気女性声優!
今日の出演アーティスト情報に彼女の名前は無かったから、会えないと思ってたのに!まさかゲストで登場するなんて!オタク魂が淡い恋心を上回って、叫び声が出た。
これから彼女の歌声を生で聞けるんだと、興奮した矢先。
バチン!
煌々とステージ上を照らしていた照明が突然消えた。アーティストの人が喋っていたマイクの音も、途中でプツンと切れてしまったみたい。
どうしよう……。
「停電?」
「とりあえず動き回らずに」
「う、うん」
真ん中に座っていたカンナちゃんが両脇の私とエレナちゃんの手を握って言った。こういうときに一番慌てそうなカンナちゃんが一番落ち着いてる、だと!?
友人の意外な姿に驚いている自分が一番冷静かもしれない、と思っているとき。
――音が、聞こえた。
ピアノの音色。
「……智夏君?」
ピアノを弾いているのが誰かなんて、見えなくてもわかる。この音色は、間違いなく彼のものだ。
ステージに近い観客席から、徐々に騒めきが消えていく。
暗闇のライブ会場が静かになっていくにつれて、歌声がはっきりと聞こえてきた。
鳴海さんが、歌っている。スピーカーからじゃない、ステージの上から直接、清廉な歌声が聞こえてくる。それに寸分の狂いもなく、ピアノの伴奏が重なる。
鳴海さんのいる中央ステージは、ステージの真ん中から客席に向かって飛び出すような形のステージで、そこで歌っていた鳴海さんとの距離は私の方が近かったはずなのに。
あの騒めきの海の中、智夏君には鳴海さんの歌声が聞こえたの……?
気が付けばみんな、歌声に耳を傾けていて。ペンライトの光が暗闇を優しく照らしていた。
その光景は今まで見てきたなかで、一番綺麗で、心が揺れて。それなのになんでかな。
涙が零れるの。
~執筆中BGM紹介~
夏へのトンネル、さよならの出口より「フィナーレ。」歌手・作詞:eill様 作曲:eill様 / Ryo'LEFTY'Miyata様




