番外編 大人
引き続き旭視点です。
「今日はお時間を作ってくださって、ありがとうございます」
教職員・来賓向けの、生徒とは別の玄関まで迎えに行くと、スーツを着た女性が開口一番に頭を下げてきた。
記憶にある姿よりも、大人っぽく、というか、大人になった香苗の姿。
「いえ、生徒のためですから。それではこちらにどうぞ」
玄関近くにある談話室に案内し、向き合って座る。
かつて同級生だった俺たちは、今は教師と保護者の関係。そう、俺は元同級生としてここに来ているわけじゃない。教師としてここに来ているんだ。そしてそれは香苗も同じこと。
「どうぞおかけください」
「失礼します」
予め用意していたお茶を隣の給湯室から持って来て、香苗の前に置いた。
「早速本題に入っても?」
「はい」
そこからは、御子柴智夏の――関係性としては甥らしい――過去について、父親からの虐待により痛みを感じなくなってしまったこと、自分自身の優先順位が明らかに低いこと、感情の起伏が乏しいことなど、書面上からはわからない現状を聞いた。
高校生の子どもが、よくここまで耐えられたものだ。香苗に保護されるまで、一体どれほどの苦痛と恐怖に耐えてきただろう。これからは普通の高校生として、ここで楽しく過ごしてもらいたい。
そう思うくらいには、会ったこともない子どもに情が移ってしまっていた。
「どうかうちの子を、よろしくお願いします」
「はい。責任をもって、お預かりいたします」
お互いに頭を下げた頃には、時間もだいぶたっていた。それくらいに、香苗にとってその子は大切な子なのだろう。その気持ちは言葉の節々から感じ取れた。それに、ここまで話しに来たのも、ひとえにその子のため。
その顔はもう、子を想う親の顔だった。
「そういえば、こんなに話したのに、まだ先生のお名前を聞いていませんでした」
わかっていたくせに。
「そうでしたか?」
すっかり大人になったと思っていたが、その目からはいたずらっ子のような輝きが放たれていた。
「えぇ」
ったく、こういうところは相変わらずだな。それともこっちが本性か。
「吉村旭と申します。以後よろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いしますね、吉村先生?」
わざとらしく先生とか言っちゃってまー。
「吉村先生は、なぜ教師の道に?」
「それは……」
結局俺は、高校っつー場所に未練が残ってたのかもしれないな。だから、戻って来たかったのかもしれない。もしかしたら、また会えるかもしれないと思って。
「大人になろうとする姿は、見ていて楽しいですから」
「なんじゃそりゃ!やっぱり旭は旭だね~!」
「とうとう本性出しやがったな、香苗」
お互いに、まるであの頃に戻ったように話をした。高校を卒業した後、何をしていたとか、どこに就職したとか。
「へぇ、アニメ作ってんだ」
「夢だったからね、ずっと」
まさかこの歳になって香苗の夢を知ることになるとは。あの頃の俺は、本当に何も知らなかったんだな。
「あ、そろそろ秋くんのお夕飯ができた頃だろうから、帰るわ~」
「秋くん?とうとうお前にも彼氏ができたのか?」
内心ヒヤヒヤしながら香苗の返答を待つ。
「やだ!彼氏よりもっと素敵な存在よ!秋くんは夏くんの弟!」
「夏くん?……あー、御子柴智夏の弟か」
「そ。秋人くん。とっても可愛い子たち。だから旭、私の宝物をどうかよろしくね」
「あぁ。なんせ俺は教師だからな」
「ふふ。無駄に歳食ったわけじゃないのね」
「ひでぇな」
「旭、またね!」
「おう」
またね、か。あの日、卒業式の日に「バイバイ」って言った香苗からその言葉が聞けるとは思いもしなかったな。
それから転入準備が整って、初めて御子柴智夏に会った。
「初めまして吉村先生。御子柴智夏です。これからよろしくお願いします」
写真で見た姿とは違い、前髪と眼鏡で特徴的な瞳や整った顔を隠していた。
「あぁよろしく。……前、見にくくないかそれ?」
「少し」
「ま、いいか。それじゃあ教室に案内すっから」
「はい」
聞いていた通り、表情が動かない目の前の子どもに胸が痛くなった。が、そんなことはおくびにも出さず。
俺が一方的に喋りながら、教室の扉の前まで着くと、中からガヤガヤと話し声が聞こえてきた。
「俺が合図したら入ってきてくれ」
「はい」
さて、子ども同士の第一印象はどうなるか。
~執筆中BGM紹介~
言の葉の庭より「Rain Of Recollection」作曲:KASHIWA Disuke様




