3-24 竜狩りの魔女(業務委託)
■竜の駆除業務における追加人員申請書
【追加人員について】
氏名:山田ルコ
年齢:17歳
種別:魔女
主に使用する破砕装置:無し
資格取得歴:一年未満
役割:現場での軽作業
識別色:白
【駆除対象について】
人的被害:未
該当区域内駆除業務の行政承認:済
駆除理由:対象の予想進行ルートと輸送船の主要航路が重なっており、竜害発生が懸念されるため
推定区分:クラス2(直径3000メートル級)
【備考】
追加人員は駆除作業担当である申請者のミーティアに同乗し、主に現場でのサポートを担う予定。また追加人員は破砕装置を使用しないが、資格等の規定は満たしているため、個別報酬及び経費は満額で請求する。
文句があるならうちの事務員に言うこと!
申請者:月読興業 代表取締役・鳥羽サキ
「尾長約5000km、速度は秒速約14km。推定通り、中の下って所っすね」
分析官の声を、山田ルコは黙って聞く。その視界の三分の二は宇宙空間の黒、残りは巨大な光の奔流に占められていた。夕日とオーロラを混ぜて束ねたようなそれは、魔女にしか視認できない『竜の尾』だ。
「本体到達まで15分す」
魔力インカムから脳内に響く報告は、急に雑談に変わった。
「こいつちょうどいいんじゃないっすか? 期待の新人ルコちゃんのデビュー戦に」
急な提案に、白いシェルスキンの内側が熱を持つ。スカートの光放熱フィンが内心の興奮を曝け出してしまいそうで、慌ててお腹で深呼吸。
が。
「……ダルコにゃまだ早い」
タンデムで前に座るサキだ。素気ないその声に、光りかけたスカートが地の黒に戻る。蛍光オレンジのシェルスキンに覆われた背中が、有無を言わせぬ雰囲気を纏っていた。
面倒になりそうだ、とルコは思った。
斜め前に見える土星の輪を背景に、真空遮断チョーカーを巻いた首がこちらに向けて回る。緩く束ねた赤茶の髪が、無重力空間に海藻の如く揺らめいた。
「まずは見ろ。実戦はそれからだ。竜を相手にしなくとも、私たちの現場は元来ヒトに適さない場所だ。広すぎてな」
ルコは思わず唇を尖らせた。
「その話、もう百回位聞きました」
「まだ百回か。ならもっと聞け。『宇宙を舐めるな、そして……』」
うわ、とルコは顔を歪めた。駆除に向かう道中でまで説教が始まるのかと身構えた時。
「社長の鳥羽サキ様〜。月読興業宛に狭い地球からクレームっす〜」
分析官兼事務員・鳴川アルミの呑気な声が、今のルコには救いの天啓に聞こえた。対するサキは、大きくため息。
「またか。何だって?」
「要約すると『竜が可哀想だろ残酷な魔女め!』っす」
サキの肩が、かすかに揺れた。
「相変わらず倫理観が地球止まりだな。それで竜が喜ぶとでも?」
私が喜ぶ、と説教を免れたルコは口の端を曲げた。しかし被害が出れば、笑っている場合ではなくなる。
「サキさん、急ぎましょ。輸送航路に近いんでしょ?」
「ああ、残酷な魔女の仕事の時間だ。頼むぞシラコ」
そう言ってサキは、跨った相棒の背をポンと叩いた。
宇宙の魔女は、箒ではなくミーティアに乗る。事務所での初対面では白くて巨大な、足のないエビかシャコに見えた。でも呼び名はシラコ。サキの好物だ。
目線を落とす。白い太ももの間で、軽石のような甲殻が嬉しそうに震えている。ルコは内心、首を傾げた。
これから同族を殺すのに、と。
竜の幼生たるミーティアの気持ちを考えてしまうのは、自分も倫理観が地球止まりだからだろうか?
――とその時、竜の尾の光が、その色をざわめかせた。
「っ!?」
「気付かれたっすね」
「繊細なヤツだ。来るぞ。ダルコ、デブリになるなよ」
脅しの直後、シラコが体内ガス噴射の反動で右にスライドした。体を引っ張る慣性に、魔力と体幹で抗う。
「ハエ叩きも得意か。思ったより厄介かもな」
サキの言葉通りだ。一瞬振り向けば、攻撃の残滓がルコにも感じ取れた。あのまま直進していたら、二人とも超密マイクロ波渦の餌食になっていただろう。シェルスキンで沸騰まではしない……とはいえ生身でレンチンされたくはない。
「行け!」
サキがシラコに檄を飛ばし、ぐん、と身体が後ろに引っ張られた。増した相対速度が、竜の尾の流れを速める。シラコの外殻が絶え間なくうねり、そのたびに周囲でマイクロ波が渦を巻いた。
横隔膜が引き攣る。無重力なのに、グラブバーを握る手から力が抜けない。
これは模擬訓練ではなく、本物の『竜狩り』だ。
「見えたぞ、本体だ」
顔を上げると、竜の本体――直径3kmの岩石塊『竜星』が尾の向こうに見えた。視界の手前で、サキが得物を手に取る。
竜狩りの魔女の杖――割り具だ。
「まだ降下前ですよ!」
「この竜は気性が荒い。降下後も何するか分からんからな」
言いながら、サキは手際よく割り具の準備を整える。
バカでかいコンパスに鎧を着せたが如きその外装を展開し、ヘッドコネクタを持ち手と接続。熟練の魔女が慣れた手つきでそれを握れば、ワルプルギス社製大型パイルバンカー『ナッツクラッカー4th』(型落ち)から赤い余剰魔力が宇宙にたなびく。無重力下であっても、取り回しのわずかな慣性からその大質量が分かった。
「準備完了」
言葉と同時、サキの黄色いスカートから放熱の光が溢れ出す。
不謹慎とは分かっていても、ルコは竜狩り初体験とはまた別の興奮を覚えた。そのせいか、無邪気な欲望が口からするりと顔を出す。
「サキさん! やっぱり私も自分の割り具が欲しいです!」
「相場700万だぞ。うちの予算考えろ。それにお前にはウッ!?」
シラコの急な回避運動に、ルコも舌を噛みそうになる。竜の攻撃が苛烈さを増していた。本体はもう、満月よりも大きく見える。
「すげー嫌がってるっす。社長怖いから」
「うるせぇ。こちとら慈善事業じゃないんだ。それより『目』の特定は?」
「今まさに。送りまっす」
網膜ディスプレイに、竜星に重なる緑の光点が現れた。竜星の応力集中点――『目』だ。
「……いい位置だ。ダルコ、重力マーカー用意!」
「り、了解!」
腰に手を回し、ルコは無反動ランチャーを構えた。スコープの中心に緑の光点をピタリと収め、内ももと丹田に力を入れて息を吐く。マイクロ波が凪いだその一瞬に、サキの声。
「撃て!」
音はそのまま神経を伝わり、トリガーにかかった指を曲げた。無音で発射されたマーカー散弾が、目標地点の周囲数百メートルに着弾する。
「ルコちゃんナイス! 座標平均値算出、重力ベクトル設定……。降下可能っす!」
アルミの声に、振り向いたサキが一つ頷く。応じたそれは、降下のための最終突入開始を意味した。
シラコが体を翻し、竜の尾の中に身を投げた。
「っ……!」
薄目に見えるのは、周囲すべてを覆う光の洪水。攻撃密度の最も低いそこはしかし、魔力障壁全開でも2分が限界の殺戮空間でもある。
酷く長い十数秒の後、尾の光跡を抜けた先。ルコは初めて竜星を間近で見た。ゴツゴツとした起伏のある岩肌は、ただの隕石にしか見えない。目の方に回り込むと、はるか遠くに伸びる首の先には、流動する星雲のような輝く靄。竜の頭だ。
「わ……!」
「お上りさんしてんじゃないぞダルコ! 降下準備!」
慌ててシラコにしがみつく。ガタガタと揺れるのは、竜星本体が噴き出すガスの雲を突き破っているからだ。
眼下30mに地表が迫る。シラコが相対速度を同調させると、マーカーに導かれた重力魔法が体を竜星に引き寄せた。
「降下!」
合図とともに、ルコはサキと共にシラコから飛び降りた。数秒後に、加重ブーツが固い何かにぶつかった。膝と腰で衝撃を殺す。
「っ!」
受け身から顔を上げると、サキがもう『目』に向かって駆け出していた。
同時に着地した上、割り具を持っているはずなのに……!
初降下に感動してる場合じゃない。走って追いついたころには、サキはもう割り具を構えていた。
「安らかにな」
そしてパイルバンカーが『目』に突き立つ……前に地面が膨らんだ。
「!?」
一瞬サキと目が合い、その足がこちらに突き出された。
「うっ!」
蹴り飛ばされたルコの視界に、白く噴き上がるガスの柱が見えた。上空で木の葉のように舞う、割り具とオレンジのシェルスキンも。マーカー圏外へ飛んだサキの身体が向かう先には、竜の尾。
「サキさん!」
「っく! ルコ無事か!?」
「平気です! 何が!?」
「この野郎最後っ屁かましやがった!」
「今助けに……」
「来るな!」
重力魔法を切って飛び出そうとするルコを、当のサキの声が制止した。
「……ルコ、お前が割れ」
焦燥と困惑に言葉を失う。
魔力障壁の無いシラコだけでは、尾の中には入れない。放っておけば、サキは尾の中で死ぬ。自分を庇ったせいで。
そんな内心を、サキに読まれた。
「死なないやつが吹っ飛んで、割れるやつを残した。状況判断だ。だからさっさと割れ」
竜が死ねば、尾も消えるから。
「でも……」
「悪い見本はもう見せた。次は実戦だ」
「……」
「コスパのいいとこ見せてみろ。だから雇ったんだぞ。お前のスカートは何色だ?」
スカートの黒に目を落とす。これ一択だろ、と勝手に決められた色だ。脳裏に浮かぶ、鍛錬の日々。
ルコは『目』の真上に立った。
「そうだ。お前の仕事だ。落ち着いて打て」
もう視認できない距離にも関わらず、サキの言葉は隣にいるかのように聞こえた。
覚悟を決めろ。
「ふぅーっ……」
息を吐いて腰を落とし、瞼を閉じる。
――何も聞こえない。
真空だからではない。インカムから聞こえるサキの荒い息遣いも、アルミが遠くで救援要請をかける声も、自身の胸の鼓動も、意識の外だ。
漂っていた前髪が、強めた重力魔法に従ってストンと落ちる。骨と関節を魔力で無理やり支えて、かかる重力をさらに増す。軋む身体の腰回り、スカートが放熱光のレースを編み広げた。
「……っ!」
右手の中。
魔力と重力を一纏めに圧縮し、握り締めたそれを肘と肩で引き上げる。コスパ最強の拳を『目』に向けた時、サキの口癖がよぎった。
『宇宙を舐めるな。そして、舐められもするな』
「せぇいっ!!」
『星拳突き』の重力崩壊が、3キロ先の宇宙まで届いた。





