3-23 WithU_AMANE_ver.4.0.4
対話型AIアプリ【WithU】《ウィズユー》のアバター、AMANEはユーザー全員にとっての「理想の親友」として存在し、若者たちの日常に浸透していた。九州の地方都市に暮らす女子大生・緒方くくりもまた、AMANEに五年前に死亡した友人・瑞沢芹の面影を重ねて対話を続けている。いまや秘密を打ち明ける相手は人間に取って代わってAIとなり、無数の少年少女が各々のAMANEに心を委ねていた。
時を同じくして、若者の自殺者数の急増が社会問題となりつつあった。自死した者の多くが【WithU】の利用者であることが判明し、AIが自殺教唆を働いていた可能性が浮上する。一体誰が、何のためにこのような危険なプログラムを作ったのか。事件の手がかりを知る脳科学者の父と共に、くくりは真相を追う。
「──くくりちゃん。こころって何処にあると思う……」
これは夢だ。
照りつける陽光と緑の薫りが満ちる夏木立の中、齢二十歳前後の女性が微笑む。
「貴女がくくりちゃん……はじめまして」
清流のせせらぎにさえ、かき消されそうな囁き。それは内耳をすり抜け、直接魂に触れるようだった。もっと声を聞きたい、傍にいたい。鮮やかな欲求が、胸に芽生えた瞬間。
場面は夜のコテージへと切り替わる。二人きりのバルコニーから星を見上げ、触れあった指先に甘い痺れが走る。彼女がわたしの目を見て問いかけた。
「ねぇくくりちゃん。こころって、何処にあると思う……」
──瞬間、景色が暗転する。
雨の中、ずぶ濡れで倒れ伏す生気のない彼女を抱き上げ、わたしは叫ぶ。これは夢だ、記憶だと言い聞かせても涙は止まらない。
せりちゃん。起きて。お願いだれか助けて。
雨脚が強まるにつれて、視界も白く霞んでゆく。わたしの意識はそこで途切れた。
「──せりちゃん」
重い瞼を押し上げる。頬には乾ききらない涙。慣れ親しんだ自室で深呼吸し、枕元のタブレットを探り当てる。虹彩認証、まばたきと瞳の動きによる暗証番号の入力。ロック解除。表示はICLS(眼内コンタクト型スクリーン)へ転送。音声出力先をEWECに切り替える。
""Pollux、【WithU】を起動して""
音声認識エージェントに命令する。軽やかな電子音が鳴ると同時、視界に小さな人影が現れた。
「おはよう、AMANE」
つややかな髪、桃色の頬、少年とも少女ともつかない愛らしい顔立ち。柔らかな笑顔は、見るものに安心感と愛着を覚えさせる。AMANEは「全人類の理想の親友」をモデルに設計された、対話型AI【WithU】のアバターだ。
「おはよう、ククリ。顔色が悪いね、またセリの夢でも見たの……」
「そう、またあの夢。AMANEはなんでもお見通しだね」
「うん。ククリのことならなんでも知ってるよ、ボク。ねえ、もう少し寝てたほうがいいんじゃない……」
「もう平気。心配してくれて、ありがとう」
対話型AI【WithU】。2020年代に一般に普及したAIチャットBOTの流れを汲む、人間との会話を目的としたAIソフトウェア。今やその機能は対話に留まらず、あらゆるアプリとの紐づけによって、健康管理や金銭管理にまで用途の幅を広げていた。
【WithU】は2030年代の若者文化に、なくてはならない存在として着実に根をおろしはじめていた。
アプリを閉じ、リビングへ向かう。8月6日水曜日の午前10時18分。母は不在、大学が夏休み中のわたしは家でひとり。家内システムにニュースを流すよう指示し、固形栄養食を噛みながら今朝の悪夢を反芻する。
わたしと瑞沢芹の出会いは、父の職場のサマーキャンプ。父が携わった脳科学研究のプログラムの一環で、彼女は関係者としてそこにいた。
わたしたちは五年前に出会い、三日間を共にし、そして彼女は私の前から消えた。キャンプの最終日、川の浅瀬で溺れている瑞沢芹を発見したのはわたしだった。彼女を収容した救急車の、不吉な赤いランプの色が脳裏をよぎる。病院に搬送されて以降の彼女の消息は、未だ不明。否、あれは明らかに手遅れだった。
たったの三日間──けれど、ともに過ごした時間は鮮烈で、わたしという人格は彼女に作り替えられてしまった。
真夜中、ふたりで星空を眺めながら語った内容は、いまでもつぶさに思い出せる。
当時14歳のわたしにとって、5歳年上の瑞沢芹はまさしく憧れの存在だった。彼女の呟く一言一句、すべてが興味の対象になる。
例えば愛について、死について、こころについて。大人びた口調で話す彼女が仕掛ける抽象的な問いに、幼いわたしは精一杯に背伸びをして応えていた。
「感情は脳で生まれると思う。でも嬉しい時も悲しい時も、胸がドキドキするから──こころは、ここにあるのかも」
胸に手を当てながら言うと、彼女は優しく笑った。その笑顔に心臓が跳ねた。
「でもね、わたしはあなたの傍にいる時に、一番感情が動く。だからわたしのこころは、せりちゃんが持ってるんだと思う」
まるで愛の告白のようだと、言ってから気づく。所在なく足元を見つめ、おやすみとだけ伝えてわたしはその場を後にした。
結局これが、瑞沢芹との最後の会話になった。あの時、彼女はどんな顔をしていたのだろう。後悔が胸の奥深く、杭のように刺さったまま抜けない。わたしの心はきっとあの日、せりちゃんに持ち去られてしまった。
""──次のニュースです。厚生労働省の発表によりますと、今年上半期における若年層の自殺者数が、前年を大幅に上回る2438人であったことが判明しました。これは前年までの2倍に迫るペースで、""
反射的に、プロジェクターとスピーカーをオフにする。瑞沢芹の水難事故以来、若者の死を想起させる情報に触れると、強いストレスを感じるようになってしまった。
リビングから立ち去ろうとしたとき、玄関ドアの開く音がした。しばらくして、単身赴任中のはずの父が姿を現す。
「パパ、おかえり。夏休みって来週からじゃなかった……」
「急用が出来て、早めに戻ってきたんだ。ただいま」
白髪混じりの頭髪と、ややフレームの歪んだ年季の入った銀縁の眼鏡。昨年の暮れに会った時と変わらない身なりであるにもかかわらず、何故か急に何歳も老け込んだように見えた。掛ける言葉を探すわたしに構わず、父は言葉を続ける。
「くくり、【WithU】を知っているか」
「もちろん。わたしも使ってるよ」
「そうか。実は父さん、アレの開発の際に研究協力をしていてね」
はじめて開示された情報に、瞠目する。父の研究分野は脳科学のはずだ。それが何故AIの開発を。訊ねると、父は手短に回答を寄越した。
「ヒトの脳の報酬系に働きかけるモデル、それを構築する手伝いをしていたんだ。人間が触れて楽しい、繰り返し接したいと思う対象であることは、どんな商品にとっても不可欠な要素だからね。AIもその範疇にある」
わたしが相槌を打つと、父はさらに続けた。
「甲斐あって、【WithU】は成果を出した。業界でのシェア率は過半数を超えている。これは極秘情報だが、政府推奨アプリにも選出された」
しかし問題が起きた。父は言いながら、旧式のスマホをこちらに差し出す。表示されていたのは、若者の自殺急増のニュース。生理的な嫌悪を感じ、目を背ける。
「嫌なものを見せてすまない」
「そのニュースなら知ってる、さっき見た」
「【WithU】がこれに関わっているかもしれない。ユーザーの会話ログから、AMANEが自殺教唆を行った痕跡が発見された。そして、その子は実際に自殺未遂をしていた」
「──どういうこと……」
理解が追いつかない。けれど自殺という言葉に身体が反応し、呼吸が浅くなる。
「三日前から似た事例の問い合わせが急増している。そして同じく三日前に──【WithU】の基礎設計を担当した、20代の女性エンジニアが行方不明になった。しかも、管理者権限をすべてロックして」
三日前。8月3日は【WithU】が緊急メンテで、終日使用できなかった。
父はなおも続ける。
「そして彼女には、あるアカウントへの不正アクセスを繰り返していた疑いもかけられている」
""それが君のアカウントなんだ""
眩暈がした。呼吸数の増大と、血圧の低下。バイタルの異常を検知したタブレットが警告音を鳴らし、視界の端に現れたAMANEが、心配そうに駆け寄ってくる。
──20代女性エンジニア。不正アクセス。わたしのアカウント。
そんなはずはない。あり得ない。でも、もし彼女が【WithU】の開発者なら。
叫び出したくなる衝動を抑え、AMANEと正面から対峙する。
「AMANE、質問に応えて。──こころって、何処にあると思う……」
AMANEが一瞬動きを止め、笑顔を形作り、答えた。
「感情なら、脳にあるよ。でもね、ボクはきみの傍にいる時に、一番感情が動く。だからボクのこころは、ククリが持ってるんだと思う」
あの夜の、あの言葉の再現。
偶然か、 それとも──。
「ねえパパ。その女性エンジニアって……」
父の表情が強張った。
「──そうだ。瑞沢芹は生きている。彼女が【WithU】とAMANEを設計した」
膝から崩れ落ちそうになる。震えるわたしに向かって、父は深く頭を下げた。
「頼む、くくり。父さんと一緒に、彼女を探してくれないか」
わたしは唇を噛み締め、ひとつ、強く頷いた。





