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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
撃鹿血戦

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殿軍への救援

 日没間近に、子狼と共羽仞が撃鹿城の前に着くと、城壁の上には無数の炬火が灯っていた。

 ややあって、鈍重な城門がゆっくりと開く。その中からは、趙白杵が馬に跨って現れた。


「おう、首尾よく撃鹿城を落とせたようだな」

「ああ。顓軍は敗れ、謙鄀は滎倉に逃げた。いずれ我が軍がくれば、城兵悉く鏖殺(おうさつ)するぞと脅したら、あっさりと城門を開いたぜ」


 少しの抗戦もなかったらしく、撃鹿城の兵は、逃げる者と降る者しかいなかったようである。

 といっても、大半の顓兵は撃鹿の地に出陣しており、留守の兵は二百にも満たない。元より士気も低く、加えて、つい今しがた四万を越える自軍を破った敵と戈矛を交えようとは思うはずもなかった。

 加えていうと、撃鹿城は平城であり、守戦には不向きである。撤退を決めた顓謙鄀が、撃鹿城に退かず、滎倉城を目指したのには、撃鹿城に籠ることに心細さを覚えたからであった。

 兵が少なく、城壁は頼みと出来ない。それでいて、顓軍四万を破ったのだから、三秧軍はそれに比肩する大軍に違いないと、城兵たちは慄いた。よもや、実数は一万ほどであり、将兵悉く疲労困憊した虚威の軍だなどと、考えすらしなかったのである。


 ――しかし、そういう恫喝を使ったあたり、この跳ね馬娘にも疲れというものはあるらしいな。


 口に出すと面倒なことになるので、子狼はその感想を心の中だけで留めた。肥何の進言もあっただろうが、趙白杵の顔にも、どこか安堵の色が見える。


「それで今、肥翁は何をしておられる?」

「動ける者を使って、撃鹿城を収めたことを喧伝して回っているよ」


 それは、未だ戦場にある三秧軍の士気を保ち、顓軍の気勢を削ぐためのものである。三秧軍にはいっさいの余力などなく、これ以上の継戦は厳しい。肥何のやっていることは、無用な戦いを避けるための急務であった。


「それで従兄(あにき)のほうはどうなんだよ? 虞の王子や盧武成はどうした?」

「我が君はじきに参られるだろう。武成は、殿軍を務めている」

「そうか。ならば、私も助けに行ってやろうか?」


 子狼は、先ほどの考えを改めた。この華麗にして勇猛なる従妹には、戦疲れというものはないようである。

 子狼が趙白杵に、頼もしさと、兄代わりとしての悩ましさを覚えている最中、趙白杵は城中に戻ると、すぐに百ほどの兵を率いて戻ってきた。その中には呉西明もいたのである。

 こうして、趙白杵率いる百人は、夜闇が待ち受ける中、再び北の撃鹿平野へと駆け出したのである。

 子狼は、この軍に同行した。


「しかし、お前はよく兵に慕われているな」


 激戦を経て、再び戦場に赴くというのに、百の兵が従っている。その人望に子狼が感心すると、趙白杵の後ろを駆ける洪が、鈍い息を吐いた。


「お(かしら)は、こうと決めると、取りやめるということを知りませんのでな。やるとなると、一人でもかまわず決行されるので、皆、捨て置けないのです」

「なんだ洪、それじゃまるで、私が子供みたいじゃないか?」


 趙白杵は、語気を荒くして洪を咎めた。その起こり方は、実に子供らしくて、子狼は必死になって苦笑を噛み殺している。しかし、ひとしきり声をひそめて笑い終えたところで、


 ――まあ、如何なる理由であれ、人が従うというのは、将の素質というものだな。


 そう思いつつ、子狼はちらりと後ろを振り返る。そこでは呉西明が、顔を白くして馬を走らせていた。よく見ると、既にその太腿は震えてる。慣れぬ馬上での戦闘を行ったために、疲労が肉に溜まっているのだ。

 それでも、趙白杵が出陣するとなると、迷わず従うことを決めたのである。

 その理由が、未だ殿軍を務めている盧武成への救援だということもあるが、子狼の見立てでは、もう一つの理由のほうが大きそうだ、と見た。


「ところで白杵、我が僚将たる西明の働きはどうであった?」


 いきなり名を出され、呉西明は驚いた。そして、強張った面持ちで趙白杵の言葉を待つ。そのような表情をしているなどとは知らぬ趙白杵は、


「さあな。後陣を任せていた洪と一緒にいたから、私は何も知らないよ」


 と、渇いた声で返した。子狼は、ならばと、洪に同じ問いを投げた。


「腕は立つが、まだ若いなと」


 洪の答えは、面白みのない、あっさりとしたものであった。

 子狼にとってもそれは同じ意見であり、こうなると話はここで終わってしまう。実際に、この話はここで終わった。

 一応、今は盧武成への援軍に向かう最中なのである。

 しかし、趙白杵率いる百人が敵と戈矛を交えることはなかった。巣丘の頂上に辿りついた時に、今まさに退かんとしている盧武成と夏羿族の兵たちの姿を見たからである。

 連衡した味方たる趙白杵らを見ても気を緩めず、朝からの連戦を経てなお率然としている夏羿族を見て、趙白杵は思わず感嘆の息を吐いた。


「あの武成という男のほうこそ、よくもまあ、こうまで見事に夏羿の北狄を纏めているもんだな。伯父上でさえ、北狄と和してから兵として従わせるまでに数年を要したんだろ?」


 子狼は頷く。伯父上というのは、樊国の少卿、維弓のことである。北地の騎馬民族に通暁し、交流があった維弓であっても、実際に兵とするにはそれなりの月日をかけたのであった。


「それが、なんであの若さで、しかも一年と経たずに、あそこまで夏羿を率いられるんだよ? 実は従兄(あにき)の嘘で、本当は夏羿の族主の子だったりするのか?」

「いいや、(れっき)とした姜姓の男だぞ」


 二人がそんな話をしていることなどは知らず、盧武成は子狼たちを見てもなお、戟を片手に持ち、周囲を警戒することを怠っていなかった。

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