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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
撃鹿血戦

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209/214

趙白杵の将才

 撃鹿平野で不毛なる同士討ちが行われているその頃、巣丘の顓謙鄀の陣の前で、趙白杵らは未だ防戦を強いられていた。敵や死を恐れないが、進展がなく、しかも、攻めるも退くも出来ない戦いというのは趙白杵としても、退屈で苛立ちがつのる。


「おい、いつになったらお前の言う、勝機とやらはいつになったらやってくるんだ!! 私たちが骸になり、魂が黄泉に流れ着いてからというんじゃないよな!!」

「……おそらく、あと少しかと」


 顓遜が苦し紛れに答えたが、その時に顓遜は、後方を見やって、


「――来ました」


 と、答えた。趙白杵が楯を構えながら振り返ると、後方に顓軍がいる。

 それは、始めに巣丘から出撃した三千の兵のうちの千であった。顓謙鄀は三千すべてを平野に向かわせたと装い、一部の兵には反転して趙白杵の後背を脅かすように下知していたのである。


「くそ、後ろから来やがった!! これのどこが勝機だ!! いっそう不利になったぞ!!」

「いいえ、勝機です。これで、矢の雨は止まるでしょう。そして敵は――我らを挟撃すべく、巣丘から出てくるに違いありません」


 顓遜にそう言われて、趙白杵は真意を察した。確かに、これは勝機である。




 巣丘の本陣にて、趙白杵ら恒崋山の兵が背後を突かれる様を、顓謙鄀は静かに見下ろしていた。


「藍俁がやったな」


 乾いた声で呟くと、


「こちらからさらに千五百を出す。あの目障りな羽虫どもを()り潰してこい」


 と、命じた。その命によって矢の雨はやみ、陣門が開く。騎兵が、雪崩のように巣丘の斜面を駆け下りた。まさに窮地である。

 しかし顓遜はこの状況を鳥瞰しながら、


 ――ここが、正念場だ。


 と、息を呑んだ。

 体が震える。今から行うことは、自棄としかとれない蛮行だ。それでも、果断する他に道はないこともまた、分かっている。


「後方の敵に構うな!! 全軍、前進せよ!! 我ら鋒矢(ほうし)となりて、巣丘の陣を落とすべすし!!」


 顓遜の叫びが響く。続いて、趙白杵が檄の声を轟かせた。


「我らの活路は死地にあり!! 思い出せ、お前たちを虐げた顓戎への怨みを!! 踏みにじられた家族の怒りを!! 飢えて死にかけた塗炭の苦しみを!! その悪逆を強いた連中が今、眼前にいるぞ!! この趙白杵はお前たちと共に進んでやる!! 骸を山野に枯らすも、勝利の美酒に酔うも、お前たちと一緒だ!!」


 趙白杵は女の身でありながら、将としての才幹という意味では三秧軍の中でも卓越しており、盧武成に匹敵する。それは単に武威だけの話でなく、兵と辛苦を共にし、兵を思い、情を昂らせることに長けているのだ。

 それは、思惑によって扇動しているのでなく、趙白杵は実際に、その胸中で激情を昂らせている。

 元はといえば、縁故の無い山賊たちの身の上に哀情を抱いて、彼らの長となったほどに、情の深い人である。それでいて、自らには槍働きの他に得手らしいものはないと知っている彼女は、情を寄せた相手に対しては、陣頭に立って戦うくらいのことであれば、思う存分尽くしてやりたいという気持ちもあった。それ故に、兵は趙白杵についていくのである。

 もう一つ、趙白杵には得難い将才がある。それは、こうと決めたら迷わないということである。

 今、顓遜が命じ、行わせようとしていることは、無謀な吶喊でしかない。しかしそこに勝機があると信じれば、躊躇なくそこに進んでいけるのだ。

 今の趙白杵には、自軍が低地の不利にいることも、背後から自軍とほぼ同数の敵が迫っていることも、認識はしていても、気にしていない。ただ眼前の敵を突破することだけを考えている。

 そして――猪突猛進する恒崋山の軍において、わずか二百ほどの兵だけは、取り残されたように留まっている。その場には呉西明もいた。

 この二百は殿軍であり、巣丘を駆け上がってくる顓軍を相手に死戦している。この兵を纏めているのは、(こう)という、豪快な虎髭を生やした男であり、二百の兵を巧く指揮して顓軍を留めている。


「それ、西明とやら。三十率いて右に飛び込め。三合打ち合えば退いてきていいぞ」

「はっ!!」


 その用兵の妙は、的確に顓軍の兵の綻びを突き、しかも兵をほとんど損なうことがない。

 軽妙な口調から放たれる的確な差配には、呉西明も、その命を聞きながら動くことに心地よささえ覚えるほどであった。


 ――洪どのは、何者なのであろうか?


 開戦前の話では、ただ食い詰めて山賊になったと聞いている。しかし、どうにも呉西明には、かつて兵を率いたことがあるのではないかという気がしていた。

 少しだけそんなことを考えたが、そのうちに敵と矛を交えることになったので、やめた。今は何よりも、顓軍を止めなければならない。

 言われた通りに三合打ち合うと、呉西明は馬首を返す。追ってくる敵を、洪の指示を受けた兵が横から攻めた。


「さて、お(かしら)たちも離れたし、そろそろ俺たちも逃げるか」

「え、逃げるのですか?」


 呉西明は、思わず声を裏返して聞いた。


「勝ち目がないからな。よし、お前ら――東西に散開しろ!! 馬の脚が折れるほど逃げるのだ!!」


 その叫びに応じて、二百の兵は一気に散開した。

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