戦の巧拙
巣丘の麓に潜んでいた趙白杵たちは、顓謙鄀によって放たれた三千の増援が離れたのを確かめると、巣丘を駆けのぼった。
巣丘は、茂みが多いが木々は少なくて見通しがよい。別動の恒崋山の兵からも次第に合流し――そして、頂上にいる顓謙鄀の陣からも、その姿は丸見えであった。
「やはり、伏勢がいたか。しかし、せいぜい千かそこらというところだな」
本陣にいる将兵が浮足立つ中で、顓謙鄀だけは落ち着いている。初めから、援軍を送ったのを見計らい、襲撃があることを見抜いていたのだ。
「陣から出て迎戦する必要はない。ひたすらに柵を頼みとし、矢を射かけ続ければ、そのうちに向かってくる者はいなくなるだろう」
顓謙鄀は、そう命じた。
将兵はその通りに、向かい来る趙白杵たちに向かって斉射を浴びせかけたのである。
矢の雨を受けながら、趙白杵は舌打ちをした。
予想できたことであるが、やはり、顓軍は陣から出撃してこない。こうなると、攻める方策も限られてくる。もし武威を頼んで陣門を開いたならば、自軍に倍する敵であっても打ち破るという自負もあったが、これでは、亀の甲羅をひたすらに殴り続けるようなもので、如何ともしがたい。
「おい顓遜、お前は軍師だろう? 何か策はないのか?」
「そう言われましても、この状況では、守りながら敵の矢が尽きるのを待つくらいしか……」
「ですが、ここの兵は虞領一の兵廠たる滎倉から出陣してきたのです。日が暮れるまで撃ち続けたとて、矢が尽きることはないかと!!」
顓遜の言葉に、呉西明は事実を突きつける。三人ともに、楯で身を守っているが、逆に言えばそれくらいしか出来ることがないのだ。そしてそれは、下策でしかない。
実はこの戦いにおいて、趙白杵率いるこの軍こそが三秧軍の主攻なのである。その矛先が停滞することは、全軍が潰滅するのと同義なのだ。
そして、ここまで戦場の絵を描いた姜子蘭の軍師たる子狼は、最も重要なこの軍の方針について、
「肥翁と顓遜どのに託しましょう」
という、とても無責任な一言だけであった。
顓遜は今もってなお、子狼がどういう思惑で、維氏の宿将たる肥何はともかく、自分を名指してそう言ったのかが分からない。
――まるで、この会戦の要訣を博打で決めるようだ。
元を正せば、先に子狼と顓遜が軍議で対立した時も、決めるための手段は六博であった。
そんなことを考えているうちに顓遜はふと、あることを思い至った。それが正しければ、勝機が見出せる。
――そして、私の推測が当たれば、確かに謙鄀どのは顓項が言うように、戦下手だな。
甥の賢察を心の中で称えながら、顓遜は暫くは楯を構えて耐え、兵の消耗を抑えるように進言した。同時に、呉西明にも指示を出し、頷いた呉西明は、陣の後方へと馬を走らせた。
撃鹿平野では、三秧軍と顓軍が激しく戈矛を交えていた。
空から照り付ける夏日の暑気を押し返すほどの、血と狂乱の織り成す熱気が渦を巻いている。
その中で最も苦境に立たされていたのは、共羽仞の率いる、北岐三連城の兵であった。これは法伝が、共羽仞に兵を集中させるように命じたからである。
盧武成と共羽仞とを重点的に狙う、という方針に揺らぎはない。
しかし、自分が狙われていることを逆手にとって盧武成は、饕朱に及ばないまでも駿馬を操る数十騎とともに、縦横無尽に戦場を駆けまわった。そうすれば、三秧軍の二将を討てと命じられている顓軍は、盧武成を追わなければならず、やがて陣容に綻びが生じ始めた。
――どちらかに、標的を絞ったほうがよい。
そう考えた法伝は、どちらを狙うかを考えて、倒した時により士気が揚がる首を狙うべきだと考えた。それならば、無名の若武者たる盧武成よりも、顓族に驍名を轟かせた豪将たる共羽仞である。共羽仞とその麾下に顓軍が殺到したのは、こういう経緯からであった。
そして一方で法伝は、盧武成を牽制することも怠らなかった。
時折、盧武成が足を止めざるを得ないように、腕に自信のある者を選んで一騎打ちを挑ませたのである。数合でも止められれば、その間に囲んで攻めさせる。もし盧武成が攪乱を優先させて勝負を避ければ、その惰弱を盛んに喧伝して三秧軍の気を削ぎ、顓軍の闘志を高めるつもりである。
ただしその策は、やや遅れながらも撃鹿平野に降りてきた子狼によってすぐに見抜かれた。
子狼は、敢えて共羽仞の苦境を救おうとはせず、顓軍の焦点が定まっているのを逆手にとってその動きを読みやすくし、夏羿族と維氏の兵を左右に動かし、顓軍の隊列を縦断する策を取ったのである。
夏羿族を率いるのは允綰、維氏の兵を率いるのは楼盾である。祖父と孫ほどに齢の開きがあるこの二人は、子狼の下知によく従い、顓軍を斬攪した。
兵数の多寡に反して、三秧軍が優位に立っている。
しかしその時、子狼は平野の南方に砂塵が舞うのを見た。
――いよいよ来たか。思ったよりも遅かったじゃねぇか、顓謙鄀。
それは巣丘の陣より出撃してきた、顓軍の増援であった。




