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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
撃鹿血戦

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205/214

巣丘の兵

 撃鹿平野の南方にある小高い丘、巣丘には、顓戯済の長子、顓謙鄀(せんけんじゃく)が五千の兵を率いて控えている。

 巣丘からは撃鹿平野が一望できる。顓謙鄀は、頂上に立てた帷幕の外に椅子を置き、卓に肘掛けて広大な撃鹿の地を俯瞰しながら、戦況の把握に努めた。


「彰期め、圧されているな」


 まだ顓謙鄀の下に、顓彰期討ち死にの報は届いていない。しかし、劣勢に立たされていることを目ざとく見抜いた。

 続いて顓謙鄀は、左右に首を傾ける。風山、雨山ともに、戦いが行われている様子はない。

 にも拘わらず、どちらの砦からも、兵を撃鹿平野に差し向けていない。


 ――となると、沙屹どのは討たれ、鵡涯は臆したな。


 これについても、斥候が仔細を届けるより先に、顓謙鄀は悟った。勇猛果敢な沙屹であれば、砦に兵が攻め寄せれば奮戦し、敵が姿を晦ませば守兵を残して平野に参じるだろう。そのどちらでもないということは、戦死したか、そうでなくとも重傷を負って動けないのだろうと考えたのだ。

 鵡涯のほうは、伏兵に攪乱されて、迂闊に動けなくなったという見方であり、その推測はどちらも正しい。


「さて、どうするか――」


 顓謙鄀は瞑目しつつ、人差し指で机を不規則に叩く。これは顓謙鄀が思考を巡らせ、向後のことを決める際の癖であり、こうしている間は一切の物音を立ててはならぬというのは、麾下の部将たちであれば周知のことであった。

 そして、顓謙鄀は何を決めるについても、そこに他者の意見を聞くということをしない。

 顓謙鄀にとって臣下、部将とは、自らが決断したことをその通りに実行するだけの六博の駒のようなものなのである。

 ただ命令に忠実であればよく、そこに一切の思考、私心などを求めず、むしろ不要とさえ思っている。

 他者の喧囂などは、策を考える上でむしろ邪魔でしかないのだ。

 その上で、どうすべきか。

 顓謙鄀は、変わらず卓を叩いている。


 ――今から伝令を走らせて、左右の砦に出撃をさせるか?


 それは、刻がかかり過ぎる。

 ならば、牽制の兵を探させ、攻めさせるかとも考えたが、それもやめた。自軍が無能なのか、敵が有能なのかは分からぬが、とにかく三秧軍の隠密と撹乱は、顓軍の索敵能力を越えているようであり、その命令は不毛だと断じた。


 ――やはり、此処から兵を割いて平野に向かわせねばならぬか。


 元々、そのための五千である。

 顓謙鄀は、一度、目を開いた。まだ圧されているが、顓軍が幾分か立て直している。ちょうど、盧武成と顓無卹が一騎打ちをしている頃であった。

 再び目を瞑り、卓を叩く。少し盛り返したからといって、それだけでは危うい。巣丘の兵を割けば、勝利は盤石となるだろう。

 問題は、どれだけの兵を向かわせるかということであった。そして、顓謙鄀の指が止まる。


「――兵三千を、平野に向かわせろ。壁斗(へきと)を筆頭に、蘇洪(そこう)藍俁(らんぐ)で千人ずつを率いていけ」


 そう命じ、さらに、藍俁と呼ばれた部将にだけ、小さく何かを耳打ちした。

 顓謙鄀の下知により、名を呼ばれた将たちはすぐに兵を纏め、巣丘の陣を離れ、激戦の最中たる撃鹿平野へと向かった。

 この三千の助勢によって、顓軍と三秧軍の兵差はさらに広がることとなる。しかも、両軍ともに朝からの戦いで疲弊している中にあった、人馬ともに壮健な敵が増えるというのは、絶望といってよい。

 三秧軍を破滅へと導く三千の馬蹄の響きが、巣丘に響き渡った。




 その頃。

 巣丘の東側にある茂みの中で、今まさに撃鹿平野に馳せ参じんとする三千騎を遠望する者たちがいた。


「――本当に、従兄(あにき)と肥何の言った通りになったな」


 琴の音のような、美しさの中に張り詰めた雰囲気を含んだ声で言ったのは、趙白杵である。その横には呉西明と顓遜がおり、さらに十騎ほどが従っている。恒崋山の山賊たちであり、いずれも、(まぐさ)を噛ませた馬を曳いている。


「あれが平野のほうに向かえば、いくら武成や共のおっさんが強くても、もうこっちの軍は持たないぜ」


 まだ二十一の若さで、しかも女性でありながら、趙白杵はこの状況を的確に見抜いている。


「ですので、ここからは軍師どのが仰ったように、拙速にて事を運ばねばならないでしょう」


 呉西明は、顔を強張らせながら息を呑む。拙速とは、拙くとも速くの意であり、荒々しく強引なやり方であっても、巣丘の陣を落とし、顓謙鄀を敗死、または敗走させる。それが趙白杵率いる恒崋山の兵に与えられた任であった。

 趙白杵は兵を十数名ずつに分け、密かに巣丘のあたりに集結させていた。そして、巣丘から増援が出されると同時に、巣丘を駆けのぼりつつ合流する手はずとなっていたのである。

 そのため、今この場には僅かの兵しかいないのだが、それが顓遜を不安にさせた。

 そして趙白杵は、それを目ざとく見抜いたのである。


「なんだよ、顓族の軍師ってやつは胆が小さいな。心配しなくても、肥何が差配してるんだから不手際なんておきないさ。うちの連中は、私が槍を振るっている時にはよく言うことを聞くが、そうでないときは、私よりも肥何ことを頼りにしてやがるからな」


 怏々(おうおう)とした顔をする趙白杵を見ながら、呉西明と顓遜は、出撃前の光景を思い出していた。

 その時は、ちょうど肥何が隠密行動のための下知をしている時であり、趙白杵が手伝おうとすると、


「こういうことくらいは、老齢のこの身にお任せください。おじょう……頭目には、頭目にしか出来ないことがございます」


 と言って相好を崩し、周りの者もそれに追随していた。

 その時は、よき主従関係だと思っていたが、趙白杵の話を聞いた後であれば、役に立たないから容喙してくるなと、優しい言葉で告げていただけであるということを、二人は悟った。

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