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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
撃鹿血戦

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204/213

不退の偃月刀

 風山、雨山の砦を攻めていた兵が合流したことで、三秧軍は活気づいた。

 この形に持ち込むことこそが、子狼の策である。そもそも子狼、肥何ら軍師たちとしては、最初からすべての兵を平野に置くことを考えていた。しかし、左右の砦の兵が降りて来て三方から攻められれば、たちまちに潰滅してしまう。

 そのために、どうしても両砦を牽制しなければならない。

 そうでなくとも兵数で劣っている三秧軍にとって、さらに兵を分けるというのは断腸の思いである。それでも為さねばならず、結果として、撃鹿平野に先んじて攻める三千は死線を強いられることとなった。

 盧武成、共羽仞という猛将を当たらせるここで、両山からの兵が来るまでを耐えなければならず、この戦いにおける一つの生命線なのだ。これは子狼自身、策とは呼べぬと自嘲するようなほど、将兵の強さを倚信したものである。

 そして盧武成、共羽仞と三千の兵は、その頼みに見事に応えた。

 未だ兵数では劣っているが、今や士気が旺盛なのは、間違いなく三秧軍である。


 ――戦いには潮流があり、それが一度傾けば、覆すことは容易ではない。


 共羽仞はそう考えており、これを機に、苛烈に攻め立てんと督戦した。自らも大剣を振るい、縦横無尽に暴れ回る。

 盧武成もまた、兵が持ってきた替えの戟を手に、戦場を駆けた。

 二人の武威はさながら、山野を乱す嵐、大地を削る豪雨の如くであり、顓軍の兵士たちは、その前に立つことさえ畏れだした。

 しかしここで気骨を吐いた将がいた。顓無卹である。


「退くな、進め!! あのような少勢の敵にこうまで圧されるは顓族の恥だ!!」


 そう叫び、自ら偃月刀を手に前に出たのである。それも、よりにもよって盧武成に勝負を挑んだのだ。

 常人であればそれだけでも称賛されるべき勇気であるが、将として、顓族の長の子として、顓無卹は盧武成に戦いを挑んだ。


「貴様のごとき、まだ嘴の青いひよっこ一人に蹂躙されるほど、顓族は弱くはないぞ!! 貴様の首を我が偃月刀にて絡め取り、雲上の彷徨へと送ってやる!!」

「貴殿は確か――顓公どののご令兄だな。虞の第四王子が直臣、盧武成と申す。お相手いただこうか!!」


 名を告げると、盧武成は饕朱を走らせる。顓無卹も、馬を進めた。

 戟と偃月刀が、激しく打ち交わされる。速さ、鋭さ、重さ。そのすべてにおいて、盧武成のほうが圧倒的に優っていた。

 にも拘わらず、顓無卹は絶命しない。全身を斬られ、突き刺され、受け身になることしか出来ないでいるが、かろうじて五体満足で継戦している。

 強さの話をするのであれば、顓無卹は盧武成にまるで及ばない。それでも戦えているのは、ただただ執念である。間断なく襲い来る斬突の激流に、歯を食いしばって耐えているのだ。

 この抗戦は、盧武成としても意外であった。しかし、兄を討たれ、今また軍そのものが崩れかけているのだから、もはや顓無卹には退くことなど出来ない。それは、顓軍の敗戦を意味する。ならば、死力を尽くして戦うしかなく、常の力に数倍する戦いも出来るであろう。

 ただしそれでも、盧武成にはまるで及ばないというのが現実である。

 盧武成としては、少しでも早く顓無卹を討ち取ってしまいたい。そうすればこの地の顓軍は、そのまま潰走するであろう。ただし、そういった欲心からくる焦燥が隙を生み、相手に付け入られるかもしれない。この場で盧武成は、いっそう落ち着き、先ずは確実に顓無卹を倒すことだけを考えた。


「見ているな、あれは一騎打ちなどではない!! 無卹様を援護しろ!!」


 顓無卹の腹心たる法伝が、兵に命じる。顓軍の兵が、左右から襲い掛かった。やむを得ず、盧武成は一度退き、そちらの兵に対処する。


「敵は所詮、連携などない雑軍である!! あの赤馬の将と、共羽仞を討てばこちらの勝ちだ!! あの二人を討った者には、多大な恩賞を授ける!!」


 法伝は、重ねて兵に命じた。その言葉に顓軍は沸き立ち、盧武成と共羽仞に殺到する。

 そうして命令を下すと、法伝は顓無卹の下へと向かった。


「無事ですか?」

「……どうにかな。しかし、勝手に恩賞の約束までしやがって」


 顓無卹は、全身に汗をかきながら、小さく怒った。しかし顔には、死から遠のけたことへの安堵が浮かんでいる。


「財は空まで持っていけませんからな。死ぬよりはよいでしょう。それに、顓彰期さまを討った相手に勝てたとあれば、顓公から頂ける恩賞のほうが勝るに違いありません。猛将二人を討った者に今の家財すべてを与えたとしても損はないかと」


 言葉こそ慇懃であるが、平然と主人の家財をも秤にかけるという不遜を口にしている。顓彰期は一応、叱りつけはするが、実のところ、ほとんど気にしていない。


「とにかく今は、数を頼みとして、損害を度外視してあの二将を討つことだけを考えましょう」

「ああ、分かった」


 顓無卹は、小さく頷いた。

 盧武成に勝てこそしなかったが、その勇戦は、戦意が傾き、三秧軍に呑まれかけていた顓軍が息を吹き返すには充分なものであった。

 兵を集中して有力な敵将を狙うというのは、本来であれば寡兵で大軍を破る時に用いる策である。

 それを、数で優っている顓軍が行うので、盧武成と共羽仞の負担はいっそう増す。二人は疲れや嘆きを表に出すことなく力戦敢闘しているが、近づきかけていた勝利が遠のいたことを否応なしに突き付けられた。


 ――くそ、ここまで、子狼と肥氏の読み通りか。


 盧武成はそう思いながら、少しだけ顔を上げる。視線の先には、撃鹿平野の背後に鎮座する巣丘(そうきゅう)があった。

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