顓族一の勇士
東西、風山と雨山の砦で攻防が繰り広げられている頃。その中央にある撃鹿平野では、さらに輪をかけた激戦が繰り広げられていた。
開戦より一刻(二時間)が経ったが、盧武成、共羽仞率いる三千の兵は未だ、自軍に五倍する顓軍を相手に奮戦している。
これは盧武成たちが、攻め立て、斬りこみ、平野を突破するよりも、むしろ守り、刻を稼ぐことを重視したためもあるだろう。長柄の武器を持って馬上の敵を引き落とし、馬の足を払う。それで顓軍の隊伍が乱れれば一度退き、敵が矢を射かけてくれば楯を以て守る。そして、落ちた矢を拾ってこちらからも矢を放つ。これらの行動をひたすらに繰り返すことで、兵の消耗を少しでも減らしつつ、耐えていた。
無論、耐えて守勢を維持するだけでは勝てない。
いかに堅固な備えがあろうとも、攻めに転じることが出来なければ、どれだけ屈強な精鋭であろうといつかは攻め崩されてしまうものである。
「おい、流石にそろそろ厳しいぞ!!」
これまで、数多の戦場を経験し、弱音らしいことを吐いたことはほとんどないこの隻腕の豪傑も、たまらず叫んだ。そう呼びかけられた盧武成は、既に全身に玉のような汗をかき、熱で顔を真っ赤に染めている。
「――わかっております」
そして、愚痴めいたことの一つもこぼさずに、そう返すだけであった。
盧武成は、将が動揺や不安を表に出すのは士気に関わると、胆力で己を律しているのであろう。それは見上げたことであると感心しているが、共羽仞としては将の先達として、
――誰も彼もが、お前のように胆が据わっているわけでもなく、困憊と焦燥から目を背けて動けるわけではないぞ。
と、叱りつけてやりたくもあった。
将自ら先陣に立ち、勇戦して兵を鼓舞する。それは確かに有効ではあるが、限度がある。苦戦が続いた時、兵が将に求めるのは、安易な鼓舞や勇姿ではなく、突破口となりうる一手なのだ。
実際にそれが、戦況を打開しうるものかどうかは重要ではない。
人とはとにかく、先の見えぬ暗路をひた進むということが出来ぬものであり、何か一つでも、指針が必要なのである。
共羽仞は、乱戦の最中にあって、一度だけ足を止めると、大きく息を吐いた。
そして、胸の中にある雑念をすべて吐ききると、叫んだ。
「――顓彰期、出て来い!! お望み通り、この共羽仞が一騎打ちをしてやろうではないか!!」
盧武成も、戦場でよく通る大きな声をしているが、共羽仞の声も劣らず、山鳴りのように激しかった。
思わず、敵味方問わず、兵士たちが動きを止める。ただし、顓彰期がその場に現れることはなかった。
「どうした、顓彰期と言えば顓公の子の中でも随一の豪勇と聞いているぞ。それが、俺の如き年老いた隻腕の敵兵一人を恐れるか!! さては、先ほど俺に一騎打ちを申し込んだのは兵の手前の空威張りであり、実は俺の前に立つ度胸などなかったというのではあるまいな!!」
大勢の前で、まるで自身が狡猾で惰弱だと侮辱されたようなものであり、やがて顓軍の中から兵をかき分けて、顓彰期が姿を現した。その手には、大剣が握られている。
「俺はここにいるぞ!!」
「おう、来たか。あまりに姿が見えぬので、撃鹿の城に帰って女の膝の上で震えているかと思ったぞ」
ここにきてもまだ、共羽仞は顓彰期を煽るようなことを言う。
「顓項の如き、妾腹の孺子についた顓族の恥さらしが吠えるな!! 馬に乗れ、剣を取れ!! かつては勇壮であろうとも、それは昔日のこと。今は、この俺こそが、顓彰期こそが顓族一の勇士であることを知らしめてやろうぞ」
「生憎と、愛馬はどこかに忘れてきたし、剣も今日は置いてきた。しかしまあ、既に腕の数という時点でこちらとそちらには差があるのだ。今更、馬や武器など些細なことだろう」
そう言い終えるやいなや、共羽仞は棍棒を振るう。一切の余分を持たない素朴な武具が、地を這いながら顓彰期の馬脚を狙う。
顓彰期は手綱を引き、馬腹を蹴る。大きく跳躍した人馬は唸りをあげる薙ぎ払いを躱し、共羽仞へと迫った。
共羽仞は、棍棒を引いて手元に戻す。そして、その真ん中あたりを掴み、手の中で滑らせつつ、宙めがけて突いた。流れるような動きで踊る棍棒が、吸い込まれるように顓彰期の喉めがけて飛ぶ。飛矢にも匹敵する速さでありながら、しかし顓彰期は怯まない。大剣を振り下ろし、棍棒を両断する。そのままの勢いで、共羽仞ごと斬断せんと、さらに剣速を上げた。
大きく後ろに跳びすさると、このままさらに攻めたてんとしてきた顓彰期を牽制するように、半分の長さになった棍棒を――顓彰期の乗馬に向けた。馬は体を震わせつつ、動きを止める。馬は、鋭利な物を恐れる。大剣によって切り裂かれた棍棒の先端は、槍の穂先のような鋭さであった。
顓彰期は馬を横に走らせつつ、共羽仞の右側に回り込もうとする。隻腕の男を相手取るにあたり、腕のないほうを狙うのは常道だ。しかし共羽仞としてもそれは、何度もされたことである。踵を浮かせつつ、地を摺るような体運びで動きつつ、顓彰期を警戒した。
二人の豪傑の間で、緊迫した空気が流れる。その静かな殺気に当てられたように、先ほどまで喧噪で満ちていた戦場を、次第に静謐が支配しはじめた。
その間に盧武成は、何人かの兵を呼んで、あることを命じた。子狼の策を実行に移すための準備である。
――そろそろだろう。
それを果断する時宜は、子狼からの合図を待つ手筈となっている。もう間もなくだろうという直感が、盧武成にはあった。
共羽仞にも似た感覚があり、故に、刻を稼ぐために顓彰期に一騎打ちを誘ったのである。
盧武成の場合は子狼への信頼が多いが、共羽仞の場合は、長年を戦場で過ごしてきたが故の独特の気配と、
――これ以上は兵がもたぬ。
という認識からくるものであった。場合によっては盧武成の意見を聞かずに、全軍挙げての吶喊をも視野に入れていた。
その時である。東方、雨山の山から、空に登る蛇のような白煙が吹き上がった。
「――やれ!!」
盧武成が叫ぶ。戦場に、無数の乾いた破裂音が響き渡った。




