釣りの戦術
楼盾は、敵の部隊を探した。そして存外、それはすぐに見つかった。敵将、列琦は楼盾の兵が放つ鏑矢の音を頼りに動いていたからである。
道なき山中で、少し離れながらも互いにその姿を見つけた時、まず動いたのは楼盾である。といってもそれは、前に出たわけではなく、すぐさま兵を返して逃げ出したのである。当然ながら、列琦はそれを追った。
「俺と戦え。敵の姿を見ながら、一合も打ち合わずに逃げるとは、それほどまで虞の王子やら顓族の兵というのは弱卒ばかりか!!」
背後から罵倒が聞こえる。しかし楼盾は耳を貸さず、武骨な表情を浮かべたままに馬を走らせた。その視線は前方に向けられている。伏兵がいないかを警戒するためだ。
時折、背後を窺うことはあったが、それは敵よりも、味方の状況を確かめるためである。
――維氏の兵には劣るが、山岳の早駆けに慣れている。
北岐三連城の将兵は、鉱掘りや狩猟のために、北岐山に馬で出かける。その経験があるため、顓族の兵であっても、山並みを馬で走ることには慣れていた。楼盾は速さを抑えているのだが、それでもまだ早すぎるかと思っていた。しかし、そのような憂慮は不要と知った。
それに対して、列琦とその兵は、段々と楼盾たちから距離を離されていった。歯噛みしながら強引に速度を上げると、隆起した地面に足を取られたり、木々に激突して離脱する者が増えだし、隊列は次第に乱れていった。
だが、先頭を駆ける列琦はまだ健在である。そして、兵が少しずつ減っていても、自軍の数を恃んで意にも介していない。
――所詮、こちらを見ただけで逃げるような軟弱な敵だ。その背に追い縋ることさえ出来れば、勝てるに決まっている。
自分の速さについてついて来れない兵は、むしろ足手まといだとさえ考えながら、列琦はひたすらに前方を見据える。自軍の兵は減ったが、楼盾の部隊との距離は少しずつ縮まっていた。
その時である。楼盾が合図をすると、その兵が二手に分かれた。
列琦も同じように、兵を二手に分ける。列琦は、楼盾が率いる隊を追った。いよいよ、列琦の眼前に楼盾の隊が届こうかというその時、列琦の兵は唐突に横撃を受けた。
敵は三十ばかりの小隊であるが、慮外の襲撃であったことと、前方の楼盾にばかり気を取られていたために、その奇襲によって列琦の兵は大きく隊伍を乱すこととなった。
そして、列琦が側面からの奇襲への対処に苦慮している間に、楼盾は馬首を翻し、疾駆して迫ってきていた。
楼盾が、手にしていた剣を振り上げる。白刃が唸り、振り下ろされた時、列琦は胸を深く切り裂かれて馬上で絶命していた。
列琦が討たれたことで、率いていた兵たちは浮足立ち、やがて逃散しだした。楼盾はそれを追うことなく、先に列琦を横撃した隊の長――子狼を睨んだ。
「よく俺の意図が分かったな。流石、楼将軍の子息なだけはある」
子狼はそう笑った。父の名を出して褒められるのは、楼盾にとっては最大の賛辞である。にも拘わらず楼盾は、眦に痛みを覚えるほど強く、子狼を睨みつけていた。
「……軍師どのが、採算なしに無謀な出撃を命じることはないであろうと思ったまでです」
落ち着いて、軍における上下を弁えねばと努めつつ、楼盾の声からは怒りがにじみ出ている。
子狼は初めから、楼盾を餌として列琦の前に差し出し、意地を張って深追いしてきたところを叩くつもりでいたのだ。
楼盾は子狼のこういう、多くを語らずに自軍と敵軍を操る姑息なところが嫌いであった。
同時に、そんな子狼の意図を、少ない言葉でわかってしまう自分のことも、同じくらい嫌いなのである。
「慧眼だな、楼盾。特に、血気に逸る敵将を討てたことは大きい。これで鵡涯という将は、迂闊に砦から出てこれなくなっただろう」
「そうですね。未だ、父に届かぬ若輩ではありますが、この身が些かでも王子のお役に立てたのであれば、幸いでございます」
楼盾は自分の中に渦巻く感情を呑み込めぬまま、形式的な言葉を口にした。
そこにあるものを察しつつ、子狼は素知らぬふりをして頷く。
呉西明にも、始めのころはいい顔をされていなかったし、楼盾に疎まれているということへの自覚もある。そして子狼自身、自らが他者に好かれずとも、特に気にしない性格であった。自分という軍師の存在を好意的に思われるための努力をしない、というほうが正しいかもしれない。
そもそも子狼は、武骨で愚直な性情の人間とはとことん合わないのである。子狼自身、そのことを自覚しながら、同時に諦観を抱いている。
唯一の例外とも言えるのが、盧武成であった。
――さて、武成のやつと共羽仞どのはどうなっているか。まだ生きていればいいが。
子狼は、平野のほうへ顔を向けた。といって、山中であるので平野の戦いの様子は見えないが、生きていてくれと、心の中で天に向けて祈っていた。




