吝嗇なる将
「当たったか、不漸」
「はい」
允綰の問いに、不漸と呼ばれた青年は短く答えた。首元にほくろが九つ、円を描くようにあるこの男は、夏羿族でも屈指の弓の名手である。射撃の確度は高く、さらには、激走してくる猪を前にしても動じることなく、眉間を一撃で射抜いて仕留めたこともある豪胆の男であった。
そんな不斬にとって、動きを止めた敵将の喉元を射抜くことなど容易いことである。
允綰はその手並みを褒めた後に、隣にいる男、沙元のほうを見た。
「あの敵将は、沙元どのの伯父上でございましたな。やはり、思うところはございますか?」
「何もないとは申せませんな。実の父以上に、世話になった人ですので」
戦のならいであり、沙元が顓項に着くと決めた以上、避けられぬ顛末ではあったが、しかし実際にその死を目の当たりにすると、覚悟の歯止めが利かぬほどに、心が傾揺していた。
まして、ただ敵として対峙しただけでなく、詐の密書を送るようなことまでしたので、その苦しみはなおさら多い。
沙元が子狼に沙屹の性格について語ると、子狼はこの策を提言したのである。
内通を信じずとも、沙元からの密書があれば、不自然な退却を沙屹に納得させることが出来る。顓軍が山間戦には不得手であることを知った上で、より迅速に、そして歴戦の老将に疑心を抱かせることなく、堅牢な砦から引きずり出すための策であった。
その策を聞いた時に、沙屹ならばそうするであろうと思った。そしてその通りになったからこそ、沙元は、複雑な胸中なのである。
それでも沙元は、一度だけ瞑目すると、葛藤を呑み込んだ。
「哀悼を考えるのは後のことといたします。私心と立場を、混同するようなことはいたしません」
「心配は無用でしたか。沙元どのは、丈夫ですな」
允綰は、向こう傷にしわを寄せて笑った。
開戦から半刻(一時間)も経たぬうちに、敵将の一人たる沙元を討ち取ることが出来たが、これは允綰たちにとっても慮外の戦功であった。そしてここまでの戦いは、まだ全軍の策のうちの序でしかないのだ。
允綰、沙元が風山砦を攻め始めたのと時を同じくして、雨山にもまた姜子蘭軍の兵は進んでいた。
その軍を指揮するのは、姜子蘭と顓項である。姜子蘭には補佐として子狼と楼盾、顓項の補佐には李遼がいた。
「今更ながらの話ではございますが、子狼どのは此処におられてよいのですか?」
雨山を登る行軍の最中、李遼がそう聞いた。
「まあ、当面はこれで構いません。今まさに、眼下の平野で戦っている三千は激戦の最中にありますからな。策はございますが、しかし将兵の武勇を頼むところも大きく、そこに私のような弱卒が身を置けば、かえって足手まといになるでしょう」
子狼は、臆面もなくそう答えた。
実際に子狼と肥何の立てた策は、撃鹿平野で顓彰期の軍を相手にどれだけ踏みとどまれるか、というのが一つの要となっている。そしてその戦いは、策士よりも猛将と強兵を置くべき局面なのだ。
さて、そのうちに姜子蘭らの率いる軍は、雨山砦より一里(五百メートル)のところまでやってきた。そして、そこで足を止めたのである。
雨山砦は、こちらもまた堅固な砦であることには違いない。しかしその防備の多くは東にある。
かつてはそうでなかったのだが、顓族がそう造り変えたのである。先撃鹿の戦いの後に顓族は、もしまた再び敵が攻め寄せるとすれば、それは東にある樊国であり、樊国が撃鹿城を抜くためには、平地を進むよりも雨山を抜ける途を取るだろう、という推測の下の改築であった。
顓族にとって、平野での会戦は得手であり、むしろ、守城戦や山間での戦いこそが不得手なのである。だからこそ、樊国への備えとして、雨山砦の東側を堅牢にしたのだ。
しかし今、姜子蘭らは西側から攻めてきている。
無論、こちらとて守りが薄いということはない。しかし、備えとしては東側に比べて劣っているのであった。
ただしこの顓族の改築は、子狼に言わせれば杜撰の一言しか出てこないものである。
――露骨な備えをすれば、敵は寄り付かない。しかしその代わりに、それを避けて通るための手段を模索する。分かりやすい堅城を築いたからといって、それが孤立していれば楯足りえない。
ただし、一万の兵が詰めているとなれば、無視することは出来ない。
「共羽仞どのの話によると守将の鵡涯は、利に聡く、蓄財を好むということであったな」
「加えて、吝嗇とのことでございます。人の上に立つ将がそうというのは、あまり好ましくありませんな」
主君の下問に子狼は、呆れつつも言葉を柔らかくした。
「それは、私もまったくの同感です。貯めるという行為は、使うための備えです。欲張って使うことを惜しむ者は、金塊を抱いて死ぬことになりましょう」
そう返したのは、潁段城の城主、李遼である。かつては顓族で行商の経理をしていた人であり、顓項にも、
『城主という立場であるならば、物持ちは悪いほうがよいのです』
と進言したことがある。顓項はその言葉を容れて、兵役についた城民に食貨を与えることを決めた。今、北岐三連城の将兵が顓項を慕うのは、顓項が財に興味を持たず、労役に対して公平であったからなのだが、その人望は李遼の献策があったからこそである。
「そういう意味であれば、ご令兄たる顓謙鄀どのは気前が良いと言えましょうな。戦に勝つためにと、我が君と顓項どのに、破格の賞金を掛けられたのですからな」




