沙屹
顓無卹と法伝は、東西の山砦から、ほとんど同時に白き煙が空へと立ち上るのを見た。おそらく敵は、日時計などで刻を示し合わせて、同時に砦に襲い掛かったのであろう。
「敵は、唯一の勝ち筋を自ら捨てたようです」
そうほくそ笑んだのは法伝である。
顓無卹は、わずかに苛立ちを見せた。法伝の口ぶりは、こちらが負ける危殆もあったと言外に言っているからである。
「兵の多寡は、必ずしも勝敗を決するものではありません。かつて我らが、数で勝る樊を破った例がございます」
主君の顔色を読み取って、法伝はそう告げた。
「大軍であることは時に慢心を生み、少兵であれば、必死から来る力戦が兵士の力を倍加させることもあります。ただしそれにも限りがあり、少勢である唯一の強みを、敵は自ら捨てたといえましょう」
「強み、か。お前の言うそれはなんだ?」
そういうものを信じていない顓無卹は、しかし一応、法伝に聞いた。諛言からほど遠く、言葉に愛嬌のない家臣であるが、不愉快であるという本心を隠せずとも、それを聞くくらいの度量は顓無卹にもあった。
「我らが相対するのは、虞の王子が率いる軍といえど、その実態は騎兵――すなわち、蛮夷と蔑まれし北狄と西戎でございます。屈強にして剽悍なるその兵を一つに束ね、ただひたすらに撃鹿平野を抜かんと挑んでくれば、あるいは万に一つ、我らの負けもあり得たかもしれません」
顓無卹ら顓軍は、三秧軍の総数を一万と把握している。多少の誤差はあれど、だいたいその前後、千から二千というところだろう、というのが法伝の見立てであった。
そして、撃鹿平野に陣取るのは一万五千である。数千ほどの兵差であれば、士気と勢いがうまくかみ合えば、覆されることもあるかもしれない。
しかし今、先に撃鹿平野に現れた兵は三千しかおらず、その上で、東西の山砦を攻めている。ただでさえ数で劣っているのに、三方を同時に攻めるのは、法伝からすれば愚策でしかなかった。
法伝は兵法というものを学んだことはない。しかし、顓族が樊の荘公を破った先撃鹿の戦いについては知っている。あの時も荘公は、軍を三つに分けていた。
――敵陣や砦があれば、それに応じて兵を分けるというのは、虞人の語る兵法とやらの常道なのであろう。
と、法伝は見ている。
敵軍の内情を知らぬ法伝は、やむを得ず北狄から兵を借り、顓項ら北岐三連城の兵を味方につけたが、主導しているのは虞の王子とその側近であろう、と見ていた。それ故に、法伝からすれば愚行であるこれは、虞でいうところの、兵法の常道というものを愚直に再現したが故の挙動であると見たのである。
確かに、実際に策を立てたのは虞の王子たる姜子蘭の軍師、子狼であるが、独断でなく、降将たる顓項や山賊の長たる趙白杵を立て、合議で決めたとは思いもよらなかった。
このあたりに、大陸の人々が未知の民を蔑むのと同じように、彼らもまた王畿の人々を、形式を重んじるばかりの惰弱な堅物、と侮る心があるのだ。
撃鹿の東、風山砦を守るのは、沙屹という老将である。今年で六十五になる人だが、それを感じさせぬ、伸びた背筋と、鷲鼻が特徴の老将である。
砦の守将として、朝は誰よりも早く起き、平野の顓彰期が盧武成たちの軍と戦い始めたのにも、風山砦で誰よりも先に気づいていた。
この老将は、盧武成たちの兵が少ないのを見て、
――やがて、この砦にも敵がくるであろうな。
と、心の中だけで一人、血気を滾らせていた。
そして、どこから来ても見逃すまいと、砦の上にある物見櫓から敵の動きを見下ろしている。その眼は、獲物を睨む猛禽の鋭さに似ていた。
その時である。一人の兵士が櫓に登ってきた。その手には、薄汚れた布が握られている。
「先ほど、沙元どのの使者という男が密かにやってきて、これを」
「沙元が?」
その布には、文字が掛かれている。密書であった。
甥の沙元が曲周の城主をしていることは、沙屹も知っていた。ただし今は、顓項に従って敵軍の中にいることも知っていたので、何を言ってきたのだろうかと不審がった。
――“兵民の命を惜しみ、一時降る。されど心は顓族に在り。顓項の如き孺子には従うに能わず。願わくは帰降し、再び顓公に仕えん”、か。
真実ならば朗報であるが、沙屹はすぐには信じなかった。
そもそも沙元が北地にいるのは、まさに伯父たる沙屹と対立したが故なのだ。
沙元の父は、沙元が幼いころに死に、独り身であった沙屹が親代わりとなって養育したのである。そのために、虞との戦いにも同行していた。
ところが沙元は、いつまでも虞に留まる顓戯済らに不満を抱き、西に帰ろうと沙屹に言ったのである。しかし沙屹にはそのようなつもりはなく、激しく沙元を叱り、そのまま北地に送られたのである。
このあたりの経緯は顓項と同じであるが、沙屹が虞に留まらんと欲したのは絢爛な生活を望んでのことではない。
――この上はさらに東進し、東の果てにまで顓族の驍名を轟かせるべきである。
との持論からである。つまりは、戦を欲するが故に、虢の地に留まったのである。
顓戯済の父、顓峯烈は野心的であった。しかし顓峯烈が撃鹿の戦いの直後に死ぬと、顓戯済は、虢での安住を楽しむようになった。沙屹はこれが不満で、度々、顓戯済に進言した。
しかし顓戯済は取り合わず、
「北風を伴侶として余生を過ごすか?」
と言われると、黙り込んでしまった。
顓戯済には東を望むつもりはない。それでも、沙屹は虢に留まった。西に踵を返すよりは、戦が起こる可能性が高いからである。
そして今、渇望した戦の陣風を身に浴びている最中に、かつて訣別した甥からの密書が届いたのだ。




