戈楯の兵
共羽仞の、棍棒の薙ぎによって顓軍の前衛は崩れた。それを見るや盧武成は、戟を手に、兵を率いて吶喊していった。
この三千の歩兵は二種類に大別される。鉄板を張り付けた大楯を持つ兵士と、長戈を持つ兵士だ。
戈はとは、六尺から七尺(約一六二~一九八センチ)の長物であり、先端には柄に対して丁字型の穂先がつけられている。主に戦車同士の争いで使われる武器であり、戦車同士を激突させず、先端の穂先を相手の鎧に掛けて引きずりおろすのが主な用途である。
それだけに、戈そのものに斬突の能があるわけではない。ただし、馬上の高さから落とされるというのは、十分に激痛を伴うのである。
子狼は兵士たちに命じて、二人組を作らせた。
そして、楯を持つ兵士が戈を持つ兵士を守らせ、敵の間隙をついて戈を持つ兵士が、馬上から敵兵を引きずりおろすという戦法を徹底するよう厳命したのである。
さらに子狼は、落馬させた敵兵に、剣を抜いてとどめを刺すことを禁じた。これは慈心からの命令ではなく、それをしている間に、まだ馬上にいる敵への警戒が疎かにならぬようにである。
「余裕があれば、股間か喉か、こめかみでも蹴りつけてやれ」
いずれも人体の急所である。どれだけ屈強な豪傑が、鍛えても頑強に出来ぬ箇所であった。そういうことを理解して命じるのだから、子狼という軍師は、人というものに精通した上で非道である。
兵士たちは子狼の命を忠実に実行したため、顓軍は、死者こそ多くはないが、呻きと悶絶を垂れ流し、継戦できぬ状態の者が増えた。
乱戦の中に血風の明るさと生臭さがない代わりに、陰惨さが漂っている。
ただし二人だけ、そういった姑息な軍命の外にいる男たちがいた。
姜子蘭が誇る勇将であり、夏羿族の兵士たちからは多腕の怪物に准え畏敬されている男、盧武成。そして、顓族の中でも驍名を馳せた隻腕の豪傑、共羽仞である。
盧武成は戟を手に、徒歩の不利など取るに足らぬと、戦場を血の雨で彩った。
かつて姜子蘭と旅をしている時には、徒歩のままに戦車を相手取り、その上で無双を誇った盧武成にとっては、この程度は大したことではない。
共羽仞のほうは、今日はいつもの大剣ではなく、最初に顓軍の出鼻を挫くために用いた棍棒をそのまま振るい、敵兵を近寄らせずに殴殺していく。
共羽仞にとって、武器への拘りというものは特にない。大剣であろうと棍棒であろうと、敵を倒せればそれでよいのである。そして、今日の戦場では棍棒のほうが向いているというだけのことなのだ。
その頃、落馬の痛みから立ち上がった顓彰期は、剣柄に手を掛けた。彼の愛馬は、先ほどの棍棒の殴打によって足を折られてしまったため、自らの足で、共羽仞の下へと走った。
「共羽仞、俺と戦え!!」
そう叫んだが、共羽仞は、子供の寝言を聞き流すように目を細めると、
「見ての通り、貴殿の兵を攪乱するので忙しい。一本しかない腕で大軍に当たっている俺には、お前までは手が回らんのだ。悪く思うなよ」
と、芯のない声で吐き捨てた。顓彰期はあしらわれると、日に焼けた赤い肌を、怒りでさらに赤く染めながら、叫んだ。
「ならば、否応なしに相手をさせてやろうではないか!! いつまでも怯んでいるな、顓族の勇猛を見せつけてやるがいい!!」
そう、自軍の兵士に向けて檄を飛ばしたのである。
顓彰期の怒りに当てられて、顓軍の兵たちは、腹の底から雄叫びを上げ、武器を握る手に力を込めた。
盧武成、共羽仞率いる軍が攻めよせてきてから四半刻(三十分)ほどが経ったころである。
顓彰期の陣中にいた顓無卹は、残る兵を纏めて出撃の準備を整えていた。この兵は、多くが戦車である。それだけに、出撃させるにも騎兵隊より手間を要したのであった。
「今のところ、戦況は五分というところか」
「寡兵を相手に五分ということは、彰期さまが圧されているということになりましょう」
顓無卹の見立てに、怜悧な声でそう正したのは、その腹心たる法伝であった。顓無卹は、わずかに眉をひそめる。
「兄上の武勇であれば、すぐに跳ね返してしまわれるだろうさ」
「――そうなれば、よろしいのですが」
法伝は何か思うところがあるようで、わざとらしく、歯切れの悪い物言いをした。顓無卹は苛立ちながらも、続きを言えと目語して促す。
「顓項どのと北狄の兵は、まだおりましょう。あれがすべてであるはずがなく、だとすると、他の兵はどこにいるのかと気になりまして」
「逃散したとは考えられぬか?」
「ならば、今ごろは北へ踵を返しておりましょう。それでも我らと戦う他にないというのであれば、それは決死の兵であるはずです。しかしあの敵は、奮戦してはいても、まだ余裕があるように私には思えます」
顓無卹には、説明されてもその違いが分からない。しかし、法伝のことは信頼しているので、その見解を信じることにした。
それが正しいのであれば、敵兵にある余裕というのは、加勢を待っているということであり、何処かに伏兵がいるかもしれぬ、ということである。顓無卹は周囲に斥候を走らせようとした。
しかしそれより先に、東西の山より狼煙が上がったのである。
それは、砦への敵襲を報せるものであった。




