車騎の両輪
子狼と肥何はこの場にいる主君と諸将たちに、撃鹿で如何にして戦うかということを、広げた地図を使って説明した。
聞き終えた諸将は、策として理解はしたが、顔色に晴れやかさはない。
策を立てた子狼と肥何さえ、堂々としてはいるが、敢えて、必勝を誓うようなことは言わなかった。
これは策そのものに疎漏があるということではなく、戦というのは常に形を変える生き物であるということを、この場にいる将たちは知っているからである。
そして、子狼と肥何が語った策は、まだ顓族の将についての知見や陣容が分からない時に立てたものである。ここからは、顓項とその麾下の将たちに顓軍の将のことを教えてもらった上で、仔細を詰めていかなければならない。
「まずは鵡涯、沙屹の二将でございますな」
「沙屹は私の伯父であり、よく存じております」
そう言ったのは、沃周城の城主たる沙元である。
剣と弓を得手とし、野戦を好む勇壮の老将、とのことであった。
もう一方の鵡涯については、共羽仞が知己だとのことである。この人もまた、齢は共羽仞より五つ上であり、先の撃鹿の戦いにも参戦した人であるらしい。
「蓄財を好む、吝嗇な男だよ。下卑た出目が印象に残るやつで、あいつはその巨眼を通せば敵兵はすべて銭に見えるのだ、と言っていた。利に聡く、揉め事が起きればより自分の儲けになるほうに就くというので、あまり将兵からの評判はよくない。しかしそれだけに、無駄なく他人を顎で使うのに長けた奴ではあるな」
というのが、共羽仞の鵡涯への評である。
そして顓謙鄀と顓彰期については、顓項が説明した。
「謙鄀兄上はおそらく、あまり戦が得意とは言えません。逆に彰期兄上は、荒事を好み、自ら先陣を駆けることを誉れとしております」
「謙鄀が戦下手というのは、何をもってそう仰っておられるのですかな?」
子狼に問われ、顓項は黙り込んだ。決して虚言を吐いたつもりはなく、印象としてはそうなのだが、それを形ある言葉にするとなると難しいのである。
顓遜が、主君たる甥を佑けるように容喙した。
「強兵と勇将、そして大軍を用いれば必ず勝てる、という考え方の人です。私は何度か六博を打ったことがありますが、その時の印象としては、自分が優勢であれば盛んに攻め立てますが、劣勢となると投げ出す性格であり――そして、勝ったとしても、勝ち方に満足できなければ不満を見せる人です」
それが、顓遜の顓謙鄀への評である。ただし、顓謙鄀は顓遜の六博の師でもあり、顓遜はほとんど勝ったことがない。それ故に、顓謙鄀の才について顓遜は周知しており、顓項が戦下手と評したのは疑問でもあった。そもそも顓項は、顓謙鄀が軍を指揮しているのを見たことすらないはずである。
子狼はさらに他の者たちにも、各将について、見知っている話を少しでも多く話してくれと頼んだ。これは今までの話が信用できぬということではなく、見識とは一義的なものであり、しかも人は、こうと決めつけると自分の意見を是として偏見を抱くことがあるからだ。
これは子狼の性分であり、さらに言うのであれば、その師たる肥何、楼環の教えでもある。子狼は、一人の言葉、一つの報せのみを頼んで策を立てることをしない。
諸将の見解を総攬した上で、子狼の廟算では、
――十度戦えば、五回から七回は勝てる、というところか。
というところである。嘗胆の思いであるが、その苦難は胸中に留め、軍議の場では必勝を担保するような顔をしている。
話が白熱してきたため、子狼は、少し中座したいと言って、外に出た。
既に空には群青の幔幕が広がっており、陽光を憚っていた星群が煌々と輝いている。その光に照らされた憂色を、見咎める者がいた。
「どうした、子狼。思い悩んでいるようだな、らしくもない」
盧武成である。
「らしくない、か。そうだな。そういうお前はどうした?」
「我が君に言われてな。どうも、子狼の様子が気になるから追いかけてくれと」
「それはなんとも、臣下の一挙手に目敏くあらせられる。有難くもあり、申し訳なくもあるな。俺もまだまだ未熟者だ」
子狼は自嘲を込めて呟いた。
「まあ、我が君の見立ては正しいよ。維少卿に、機略は三軍に敵い、千乗の弼たりと評されておきながら、今の俺は、その言葉を重荷に感じている」
子狼は、他に誰も聞いていないのをいいことに、そうこぼした。
肥何がいることで助けられてはいるが、自分の立てた策で勝てるのかという自問が、子狼の中で絶えず沸き起こってきているのである。もっともこれは子狼に限らず、軍師、将軍であれば逃れえぬ命題であり、この世に必勝を期す策などは存在しないのだ。
むしろ、兵事に通じ、真摯に向き合っている者ほど直面する葛藤であると言えよう。
「しかし、お前の思う最善の策なのであろう」
「ああ。しかし俺は、これまで万を越える軍を以て、それに数倍する敵を破る策などを立てたことはないし、そういう大功を為したこともない。そもそも、兵数で劣るような有様で、しかし戦いを避けずに挑まざるを得ないという時点で、軍師としては失格なんだよ」
斥候からの報せを聞いた時には平然としていたが、顓戯済がここまでの大陣容を以てこちらを迎え撃ってくるとは、実は子狼もほとんど考えていなかったのである。その最悪も想定していたが、誰にも明かさぬ本心は、そうはなってくれるなと希求していたのだ。
「お前でも、そういったことを口にするんだな」
「悪いかよ。俺も、人の子だからな」
子狼は、少しだけ拗ねたような顔をした。
普段は事あるごとに揶揄っている盧武成の不愛想が、今は少し羨ましくさえある。爾汝の仲たるこの僚将は、これから三倍の兵差がある戦いに挑まねばならず、しかも頼みの軍師が弱音らしいことを吐いているというのに、恬然としていてまるで取り乱す様子がない。
「共羽仞どのによると、俺とお前は、我が君にとって車騎の両輪であるらしい」
しかも何やら、意図の読めぬことを言いだした。子狼はいよいよ、盧武成のことが分からなくなった。
「お前は才幹を絞り切って策を立てたのだろう。ならば、それで足りぬところは俺が補ってやるさ。それが――主君を同じくする友というものじゃないのか?」
素面で、いっそ聞いているほうが気恥ずかしさを覚えるような言葉を、平然と口にするのが盧武成という男である。そしてその言葉は、弱っていた子狼の心を、大いに活気づけた。
――俺は果報者だな。善き主君に出会え、得難き友がいてくれる。
そう思うと子狼は、
「武成よ。俺は、お前のためになら首を刎ねられても悔いはないぞ」
と、思わず口にしていた。赤心の吐露である。
しかし盧武成は少しも表情を変えることなく、氷のような怜悧な声で、
「くだらないことを言うな。俺のために捨てる命があるならば、我が君のために捨てろ。それが人臣の道というものだろう」
と、その友情の誓いを、容赦なく切り捨てた。
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