撃鹿の戦い
撃鹿――滎倉とは黄河を挟んだ北側に位置する平城である。
滎倉にとっては喉元とも言うべき城であり、黄河に隣接しているため、虢にも通じている、虞領の水路の要衝であった。
今、姜子蘭たちが狙うべき城は撃鹿の他にないのである。
しかし、問題があった。
撃鹿は、城としては攻めやすいが、その北には撃鹿平野と呼ばれる広大な野が広がっている。しかもその東西には風山、雨山と呼ばれる山があり、撃鹿平野を見下ろせる砦が築かれていた。
撃鹿城を攻めるためには、どうしてもこの撃鹿平野を進まなければならない。故にここまで子狼たちは、この地を迂回して滎倉を突くことを前提に話していたのである。
「この地に進んで勝つことは難しいか?」
姜子蘭の問いに、子狼は黙り込んだ。しかしそれは言葉に詰まったのではなく、脳裏にて思索を走らせている顔である。
姜子蘭の軍師が考えこんでいる間に、顓項の軍師、顓遜が口を開いた。
「子蘭どの、それは、難しいかと思います。言いにくいことではございますが……」
「樊伯のことでしたら、お気になさらずに。むしろ、その時のことを仔細に並べ立ててこそ、今に活かせるというものでしょう」
撃鹿の地は、かつて樊伯――樊の荘公が、近畿の諸国を率いて顓族と戦い、敗れた地である。虞にとっては不快な話であり、顓族たる顓遜の口からは憚られることに思えたが、姜子蘭は気にしなかった。
「今の我らの境遇は、荘公と似ております。如何にして荘公が敗れたかを知ることで、我らが勝つための方策が見つかるかもしれません」
姜子蘭がそう言ったことで、今の軍議はひとまず止まり、かつての撃鹿の戦いについての授業が始まった。
この場において撃鹿の戦いのことをもっともよく知るのは、共羽仞である。何せこの猛将はかつて撃鹿の戦いに顓族の将として参戦し、彼の地に右腕を置いてきたのだ。
子狼もまた、撃鹿の戦いについてはひとかどの知見がある。当時、子狼は九歳で、しかも北地にいたのだが、この会戦に興味を持ち、個人的に調べていたのである。
二人は撃鹿の地図を取り出し、その上に駒を並べていく。
荘公率いる樊、近畿諸侯の連軍八万、顓項の祖父であり当時の顓公――顓峯烈率いる兵が五万であった。この兵数は共羽仞と子狼の知識をすり合わせて算出したものであり、多少の誤差はあるだろうが、おおむね信用に足る数である。
荘公は引き連れてきた樊の三卿――武氏、士氏、韓氏の軍を前衛に立て、自らの陣を後方において撃鹿平野の只中に布陣した。
さらに諸侯軍を二つに分け、一軍は西の雨山の砦を抑え、もう一軍を以て東の風山の砦を突く構えを見せたのである。兵数の内訳は、三卿がそれぞれ一万ずつ、荘公の本陣には残る樊の卿、智氏の兵を入れて三万。東西に分かれた諸侯軍が一万ずつであった。
これに対し顓峯烈は、撃鹿平野に四万の兵を並べて迎撃した。
残る一万は二手に分け、片方は風山の砦を守らせ、残る五千を撃鹿城の前にある巣丘という丘に陣取らせたのである。
撃鹿平野には楓水と呼ばれる黄河の支流があり、両軍は水を挟んで対峙した。
「荘公の布陣は完璧といってよいな。疎漏がなく、すべて軍略に適っている」
並べられた布陣を見て、盧武成は感嘆をこぼした。
「それに対し、顓公のほうは、なんとも単調な布陣だな」
兵力の有利があり、布陣に卒がない。荘公の敗北は樊の武氏、士氏、韓氏の背信があったとの智氏の言は正しかったのかもしれないと、盧武成は思った。
この条件を見ると、荘公がどう敗れたのかが、盧武成には分からなかった。
「いいや、その意見には同意だが、この場合はこれが正しいのさ。もし俺が顓公の立場でも、このような布陣にするだろう。数で劣っているのに、兵力を分散するのは愚行だ」
それが子狼の分析である。
戦いの経緯の話をすると、まず午前。日が昇ると同時に、顓族が北進した。楓水を越え、樊の前衛に襲い掛かったのである。一進一退であったが、顓族のほうがやや圧していた。
また時を同じくして、風山砦でも攻防が始まった。数においては諸侯軍が勝っていたが、風山砦の五千は堅守し、昼過ぎになっても砦は落ちなかった。
業を煮やした荘公は、雨山の諸侯軍一万に狼煙を送り、顓族の後背を突いた。荘公はおそらく、東西両山を取り、三方から威圧したかったのであろうが、風山砦陥落の報を待ちきれなくなったのであろう。
実際にその頃には、樊の三氏の前衛は大きく後退を強いられており、間もなく荘公のいる後陣と衝突しようというところであった。
荘公のこの判断は正しく、東より横合いを突かれた顓族は一転して、劣勢に回った。
このまま、風山砦が陥落すれば、樊と諸侯軍の勝利は確実であったのだが、しかし風山砦は粘り強く抗戦を続けたのである。
そしてその日は、決着の突かぬままに日が風山の裏に傾いていき、夜戦を嫌った荘公は、一度軍を退いた。
緒戦の死傷者は両軍合わせて一万近く、樊軍のほうが多かったとされている。
後退を余儀なくされ、しかも風山砦はついに抜けなかった。荘公としては散々な緒戦であった。それでもまだ、兵数では樊と諸侯軍のほうが多い。
ここから敗れることになろうとは、樊国の将兵は誰も考えていなかった。
しかし、次の夕暮れが訪れるよりも前に、樊、諸侯軍を斜陽が照らすことになるのである。




