戟狼剣虎
姜子蘭と顓項が命じ、酒宴が始まったことで、場は一気に和やかなものとなった。
とりわけ、子狼、顓遜、共羽仞の三人は、昔年からの友のように和気藹々としている。
「いや、しかし風聞しましたところによると、共羽仞どのは相当にお強いそうですな」
「まあな。無駄に年をとってはおらぬよ」
「いいや、子狼どのは、姜子蘭どのの軍師なのでございましょう。私は虞の兵書を読みましたが、未だ修めてはおりません。一将は三軍に勝ると聞いておりますが、どうか私にも用兵の妙をご教授願いたいものです」
子狼、共羽仞、顓遜はすでに酩酊している。騒がしく、一応、元は北地の守将のために作られた室は、三人のいるところだけは巷間の酒場のような喧しさであった。
「……こちらの酒客が迷惑をかけております」
「……いえ。我らの酒徒も、大差ありますまい。そちらはおひとりですが、こちらにはお二方おられますので」
盧武成と紀犁は、互いに、嗜む程度に酒を呑みながら恐縮しあっている。互いにその横では、呉西明と李遼も、のんびりと酒を呑んでいた。
肴は、雉肉を醤で焼いたものや、川魚の醢などである。それらを酒と共に味わっているが、盧武成と紀犁は酔いすぎぬように、間に、李の果水などを挟んでいた。
そして、直視せぬように主君、姜子蘭のほうを見る。
姜子蘭は顓項と席を隣り合わせにしていた。二人が呑んでいるのは、黍から抽出した汁物である。
「顓項どのは、酒は飲まれぬのですか?」
「ええ、まあ。そういう姜子蘭どのも、先ほどから一滴も酒精を含んではおられないのでは?」
二人の齢は、姜子蘭が十四で、顓項が十三である。しかし酒については、何歳から呑んでよいといった決まりはない。人の体が酒精に耐えうるのは十七になってから、という説はあるが、早いものは十の齢には酒を呑むのである。
「実は前に一度、少しだけ飲もうとしたのですが、武成に見つかって叱られましてな。武成というのはあれです、あの、鬼のように険しい顔をした我が臣でございます」
「姜子蘭どのもですか。私も似たようなものでしてな。武成どのの横にいる、紀犁という、おっかなくて口やかましい家宰から、頑なに禁じられているのです」
主君に名指しされた二人は、聞こえないふりをした。思うところはあるが、二人が意気投合しているのであればそれでよいと、強引に自分を納得させたのである。
「ですが、姜子蘭どのの軍師の……子狼どのであれば、少しくらいは目こぼしてもらえるのではありますまいか? 少なくとも、私の季父は、一度は見逃してくれましたよ」
「そうかもしれませんな。ですが子狼は、あれで、私には厳しいのです。それよりは、西明のほうが、存外、見逃してくれるかもしれません」
顓項も姜子蘭も、心なしか口が軽い。酒は一滴たりとも飲んでいないのだが、三人の酒飲みの喧噪と酒精にあてられて、気分が高揚していた。
盧武成と紀犁は、思うところはあれど、歓談に水を差すまいと黙っていた。
いつの間にか、呉西明と李遼も子狼たち三人に混ざって会話を弾ませている。気が付けば、不愛想な顔でいるのは盧武成と紀犁だけである。ただし紀犁は少し、落ち着かない様子である。
「お加減が悪いのですか、紀犁どの」
「……いいえ。ただ、ついこの前までは命のやりとりをしていた相手と、酒席を共にする胆の太さがないだけです」
この場でただ一人の女性だからか、紀犁は少し引いたところから男たちをを見ているらしい。この場では誰も、敵同士であった時の遺恨を持ち出すようなことはせず、むしろ互いの健闘や知略を褒め合ったりもしている。紀犁にはそういった空気を、どうしても受け入れられないのであった。
「あれらは、親しんでいるというのもありましょうが、半分は欺瞞でしょう」
「欺瞞、ですか?」
「この場では、互いに怨恨を呑み込んで共に南に向かうより他にありません。でなくば、どちらかが全滅するまで戦うことになります。そうせぬために、やむを得ず敵と結んだという心の憤慨を、酔うことで晦ませているのでしょう」
そう言われて響く喧噪を聞くと、顓項と顓遜は、少し無理をしているように、紀犁には思えた。
この場合、呑み込むところが多いのは、間違いなく顓項たちなのである。虞王と顓族の対立、因縁はあれど、戦火なきこの地に兵乱をもたらしたのは姜子蘭であり、顓項たちは平穏を奪われたことになる。
それを怨む思いは顓項たちにもあるだろう。
紀犁にも、ないとは言えない。
「盧武成どのも、己を晦ませておられるのですか?」
「いいえ。私には、思うところなどございませんので」
盧武成は淡々と言った。しかしこの話を、実は子狼に聞かれていたのである。酒臭い息を吐いた子狼が、酒杯を持ったままに肩を組んできた。
「嘘をつけよ、共羽仞どのに負けたことを悔しがっているくせに」
「……のけ、子狼。鬱陶しい」
盧武成は露骨に嫌そうな顔をして、剛力を以て子狼を引きはがした。不服そうな顔をした子狼は、しかしすぐに喜色を浮かべて口元に笑みをつくったのである。
「まあ、気を落とすな。このめでたい席にお前の鬼面は不吉だからな。俺が友として、その凶顔を祓うために、お前の武功を歌ってやろうじゃないか」
その言葉を聞いて背筋を凍らせたのは、盧武成と呉西明だけである。顓遜と共羽仞は何も知らず、むしろ子狼に、歌え歌えと囃し立てている。
そして何よりも、
「それは良いな、子狼。だがここは、私と顓項どのの連衡の席だ。歌うのであれば、武成と共羽仞どのの武勇を称えるものとせよ」
と、主君たる姜子蘭が命じたのである。こうなってしまえば、もう止めることは出来ない。子狼を遮ってしまえば盧武成は、友軍の将と同列に称道されるのを厭ったことになってしまう。
子狼は、御意に、と頷いて、詩作を走らせた。
「北岐夏颪兮 北岐に夏の颪し
顓虞相見兮 顓虞相見える
共不有天命 共に天命を有さず
勝敗唯帰勁 勝敗は唯だ勁きに帰す
顓虞豪勇将 顓虞豪勇の将
如猛虎狼兮 猛き虎狼の如し
多腕狼有戟 多腕の狼、戟を有し
隻腕虎操剣 隻腕の虎、剣を操る
剣戟屡戛然 剣戟、屡戛然するも
終不定趨勢 終に趨勢定まらず
虎狼之主兮 虎狼の主
此処交連衡 此処に連衡を交わす
豈両軍敗哉 豈両軍敗れんや」
盧武成を虎、共羽仞を狼に喩え、二人の主君たる姜子蘭と顓項が結んだ今、この軍が敗れることはないであろうと、子狼は勇壮に歌い上げた。
ただし、虎狼に喩えられた二人の猛将は、互いに相対した時よりも激しい苦痛の最中にあったのである。
「くそ、腕の一本なくしたとて不便はないと思っていたが、両の耳を同時に塞げぬのは――辛い、な」
「……貴殿らが酔いに任せて歌わせたのが、端でございますぞ」
共羽仞は、隻腕では抑えきれぬ右耳を、寝転がって床に押し当てて無理やりに塞ごうとしたが、漏れ聞こえる轟音は、百日分の宿酔を同時に味わったような頭痛をもたらすのであった。
盧武成にとっては、子狼の歌はこれで三度目である。それでも一向に慣れるというきざしはなく、かつて共羽仞の大剣をその身に受けた時を越える衝撃が全身を襲っていた。
当然のように、顓遜らは目を回している。
子狼の歌を絶賛しているのは姜子蘭と――。
「……これは、なんとも素晴らしい。無学な私には、ただ胸に響いたとしか、褒める言葉を選べません」
その隣にいる、顓項だけであった。
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