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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
三秧連衡

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血か、民か

 虞の王子――制周城にいる姜子蘭に降る道があると、共羽仞は言った。

 初めこそ、その提言に驚いてはいたが、顓遜はやがて納得し、頷く。


「もしやあちらは、我らと滎倉、虢が不仲であり、いずれ内訌が起きるのを待っていたのでしょうか?」

「おそらく、そんなところであろう。奴らは一貫して、城攻めというものをしたくないのであろうよ。いいや、実は、攻めるための梯子さえろくにないやもしれん」


 共羽仞の見立ては当たっている。沃周城を囲んでいた、攻城兵器らしきものを、姜子蘭の軍が策のために焼いたことは顓遜も知っていた。実は、その時点で、姜子蘭たちには城を攻めるための武具はほとんどなかったのである。

 沙元がそこで気骨を見せれば、姜子蘭は窮地に立たされていた。

 最も子狼には、そうなった時の策もまたあったのだが、それは別の話である。

 とにかく、共羽仞と顓遜の推論は当たっていた。姜子蘭たちは、南から軍が派遣され、顓項と対立するのを待っていたのである。

 そして、姜子蘭にそういう思惑があるのであれば、今ならば降伏は叶うと二人は見ている。


「我らが城に籠っているということは、顓無卹どのは野に陣を敷かざるを得ません。虞の軍にとっては格好の的でしょう。共羽仞どのの言葉の通りにすべきかと」


 顓遜は姜子蘭への投降を勧めた。というよりも、そうしないとなればいよいよ、城を枕に全滅するより他にないのである。

 顓項としても、それが正しいというのは分かっているのだ。

 しかし、姜子蘭に降るということは、父や兄たちと戦わねばならぬということである。それが、顓項の心を悩ませていた。

 自分が父にも兄たちにも愛されていないということは、顓項にも分かっている。ただし、愛されていないという自覚があるからといって、戈矛を手にして叛けるかというと、それは違う話なのだ。

 その逡巡は、長く傍にいた紀犁と顓遜には分かる。

 ただし、この場において二人には、進言をすることは出来ても、顓項の苦渋を代わることは出来ないのである。

 だが、決断するにもあまり猶予はない。

 顓項は、一人にしてくれと頼み、半刻(一時間)だけ(へや)に籠り切りになった。やがて、青白く、死人のような顔つきになって出てきたかと思うと、


「――虞の王子に降る。すぐに、使者を」


 と、弱々しくはあるが、芯のある声で告げた。悩み抜いた末に顓項は、血族よりも北地の民を取ったのである。

 顓項は顓遜に頼み、姜子蘭がいる制周城に向かうように命じた。

 ただし、ここにも障害はある。今の潁段城は、四方を顓無卹の兵に囲まれており、制周城までの道が塞がれているのだ。

 特に、西門のほうは厳重に固められていた。

 共羽仞と共に、夜闇に紛れて突破するかとも考えたが、城を脱して制周城に向かい、援軍を引き連れて戻るまでに、潁段城が落ちてはならないのである。そうなると、戦歴から見ても、実力から見ても、共羽仞が欠けると厳しい。

 顓遜は、頭を悩ませた。そしてふと、思いついたことがある。

 顓遜は、出立の準備を家臣に命じながら、潁段城の四つの城門を回った。初めに向かったのは、東門である。そこで、


「虞の王子の者は、おられるか」


 と、叫んでみた。すると、城壁の影が起立し、黒衣を纏った女が姿を現したのである。

 今の顓遜は寸鉄さえ帯びておらず、これが刺客であれば、立ちどころに殺されてしまうだろう。しかし、顓遜は落ち着いていた。


「……もしやと思ったが、やはり、いたか」


 黒衣の女は答えない。顔も、目の他は布で覆い隠していて、覗く双眸が、静かに顓遜を見つめている。


「私は――」

「制周城の城主、顓項どのの季父で、顓遜どのでございましょう」


 名乗るまでもなく、黒衣の女は顓遜のことを知っていた。背筋に震えが走ったが、面には出さずに、黒衣の女を見た。


「そちらは、姜子蘭どのの細作(さいさく)か?」

「はい。(よう)と申します。それで、私がここにいると当たりをつけて呼びかけられたということは――制周の城主どのは、王子に(くみ)する肚を決められたと思ってよろしいのでしょうか?」


 巫者が先を見通すように、羊と名乗った女は口にした。これは、羊をここに遣った者の慧眼であろう。


 ――すべて、見抜かれている。


 顓遜としても、そうではないかと思っていたが故に、こうして夜半に人気のないところにまでやってきたのである。しかし、推測がすべて正しかったと分かると、やはり、恐ろしさのほうが勝ったのである。

 そう思いながら、気になったことが一つあった。

 羊は、降る、ではなく、与する、と言った。つまり顓項たち潁段城の軍を麾下に加えるつもりはなく、友軍として迎えてくれるということである。


「既に我が君は兄に攻められ、弁明の余地すら与えられない。この上は、かつて虞を恫喝した者の縁者なれど、そこに目を瞑っていただき、王子のご厚情に縋りたいと思う」


 仄めかされただけなので、顓遜は、言葉を選んだ。

 しかし羊は、向後の顓項らの処遇については口にせずに、


「では明日、顓無卹の兵が攻め寄せますれば、西門より、この包みをくべてください。それを合図に、王子の軍が顓無卹の後背を突く手筈となっております」


 といって、懐から黒い包みを取り出し、顓遜に渡した。

 周到な手回しである。潁段城は、籠城すると決めてから、蟻の一匹さえも通さぬほどに固めていた。つまり、この羊という女は、それより前から潁段城にいたことになる。


 ――すべて分かっていたのか。それとも、数多に巡らせた策の布石の一つに過ぎないのか。


 いずれにしても、軍略というものにおいて顓遜は、姜子蘭――というよりも、その軍師には及ばぬのだと痛感させられたのである。

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